ラピスラズリのかけら 2:宵の歌姫 8 名の由来

 

「それにしても、リティシアさんのお嬢様は綺麗でしたね」
「まぁ、そんなことありませんわ。フィシュア様には敵いませんもの」
 フィシュアの言葉を否定しながらも、やはり嬉しいのだろう。リティシアと呼ばれた婦人は顔をほころばせた。
 
 結婚式が終わった後、今日の宿を探しに行こうとした三人に花嫁の母親だというリティシアは礼にぜひうちに泊まってくれと申し出た。
 勝手に歌わせてもらったのだから気にしないでくれ、とフィシュアは断ったが、それこそ気にしないでくれ、と押し通された。
 一人娘がいなくなって寂しいのだ、これからは夫婦二人きり。
 これからどうしようか、というところに歌姫様が来てくれた、それが嬉しいのだ、と。
 なので、今夜はお言葉に甘えて三人はリティシアの家に泊めてもらうことなった。
 
 リティシアの言葉は偽りのないものだったようだ。
 一緒になってフィシュア達を歓迎していた彼女の夫は夕食の後席を立つと、窓際に座りこみ、外を眺めながら一人黙りこんでしまった。
 ね、こうなると思ったんですよ。こんな状態のこの人と二人だけなんて私には耐えられないわ、とリティシアは苦笑する。
 
「でも、結婚式を夕方に行うなんて珍しいですね」
 この国、ダランズール帝国では“二人の新しい門出”という意味にかけて日の出とともに結婚式を始めることが多い。
 もちろん、そうしなければならないという決まりなどはないのだが、その意味にかこつけて式をとり行う場合が大半を占めている。
 その場合昼前までに式は終わっているはずだから、リティシアの娘の祝いの儀は少なくとも昼過ぎから執り行われたことになる。
 朝以外に皆の仕事が終わる夜からというのもあるが、夕方というのは滅多にないものだった。
 
「変わっているでしょう? でもどうしても夕方がいいと言い張るもので。娘は黄昏時が一番好きなんです。だからそのころちょうど終わるように、寺院を出た時ちょうどオレンジに輝く太陽が見えるようにって」
「そうだったんですか。でも、それって正解ですね。寺院も舞い踊る花びらもドレスも全部、陽に当たって煌めいていて溜息が出るほど美しかったから」
「そうですね、私もそう思います。夕刻の結婚式って私も初めてだったのですが、これから増えるかもしれませんね」
「えぇ、私の時も暮れ時がいいかも、やっぱり宵の歌姫だし……って、テト、そこ綴り間違ってるわよ?」
 隣で数字の書き取りの練習をしていたテトは、「え、どこ?」 と首を傾げた。
 フィシュアはテトからペンを受け取ると間違った場所に修正を入れる。
「5は“フィチュ”じゃなくて“フィス”でしょう?」
「あ、そっか」
 自分でも、もう一度書き直しているテトの隣では彼のジン(魔人)も同じく書き取りの練習をさせられていた。
 初めは乗り気ではなかったが、テトに言われて渋々と、しかし、ちゃんとやるところが彼らしい。
 
「けど、数字の書き取りなんかしても無意味だろう。そのまま数字で書けばいいじゃないか」
「あら、そんなことないわ。この世の中には数字からできた語がたくさんあるもの。発音してみて?」
 その言葉に、書き上げた紙を目の前に掲げ、テトが大きな声ではっきりと発音しだした。
「1(アーネ)、2(ネジュ)、3(トゥッス)、4(クレ)、5(フィス)、6(ポル)、7(ソーラ)、8(ヒュイ)、9(パピ)、10(ニッカ)!」
「はい、じゃあ何か気付くことは?」
 フィシュアの質問にテトは腕を組んでうんうんと考え出した。その隣ではシェラートも眉を寄せて何か必死に考えているらしい。
 けれども一向に何も思い当たらない様子の二人にフィシュアは笑いながら一つの皿を指差した。
「ほら、目の前にあるじゃない」
「パピレイユ……?」
 皿の上には食後のおやつにと、リティシアが出してくれた木の実が入った甘いパイが並んでいるだけだ。
 これがどういう関係があるのかという顔をする二人にフィシュアは答えを教えてやることにした。
「パピ(9)、レイユ(葉)でしょう?」
 あぁ、と納得していたテトの顔に一つの疑問が浮かぶ。
「けどなんでパピ(9)レイユ(葉)なの?」
 それはね、と口を開いたフィシュアの横から、「私が説明しますわ」 とリティシアはナイフを取り出し、パイを一つ切り出した。
 そして、その切れ目の断面をテトとシェラートに見せる。
「パピレイユはパイ生地と木の実を交互に重ね合わせて作るお菓子なんです。その時、パピ(葉)、この場合はパイ生地のことですね。これを9枚重ねるのです。だからパピレイユというのですよ」
 なるほど、頷く二人にリティシアが切り分けたパイを配る。
「それに、フィシュア様の名前も数字からですよね?」
え、そうなの!? とパイを頬張りつつ顔を向けるテトにフィシュアは笑いながら答えた。
「そう、フィス(5)とアが訛ってフィシュアなの。“ア”っていうのは女性名詞や女性の名前につくことが多いしね。5番目の女の子っていう意味。まぁ、うちの場合は兄弟姉妹が多かったし、名前のネタが尽きたんじゃないかしら? 5人も女の子がいる所って少ないからフィシュアって名前も珍しいし」
「多いって、一体何人くらいいるんだよ?」
「ん? 13人?」
「……なんで疑問形何だ?」
「え、だって、旅から帰ったらまた増えてるかもしれないでしょう?」
「……」
  どうしてそういう考えになるんだ、普通今いる人数を素直に答えるだろう、と思ったがシェラートは口をつぐむことにした。
 どうせ言っても無駄であるということはこの三日間で充分すぎるほど分かっていたからである。
 案の定、何かを飲み込んだらしいシェラートに何も気がつかなかった風を装ってフィシュアはテトに話を切り出した。
 
「テトはテト(強い)ラン(光)だったわよね?」
 そう、とテトが元気良く頷く。
「強い光で自分の道を照らせるように、できるなら周りの人の道も照らせるようにっていう意味」
 そうなの、すごく素敵な意味ですね、とリティシアに微笑まれテトは照れたように頭をかいた。
「リティシアさんの名前は? どんな意味なの?」
「私ですか? 私の名前は両親の好きな花の名前からですよ。」
「もしかして、リティシュルームアですか?」
 尋ねたフィシュアに、「よく判りましたね」 とリティシアが笑う。
「リティシュルームアの小さな紅色の花を父が求婚の際、母に贈ったそうです。そんな由来ですから少し恥ずかしいんですけどね」
 そう言ったリティシアにフィシュアは、「そんなことはありません」 と首を振った。
「素敵な話じゃないですか」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
 頬を紅色に染めてふわりと微笑するリティシアはリティシュルームアの花そのもののように見える。
 彼女にぴったりの名前だ、とフィシュアは微笑んだ。
 テトもリティシアの方へと体を乗り出して言う。
「うん、素敵! それに、今日、歌ってたフィシュアの歌の歌詞とおんなじ!」
「本当ね。あなたに花を贈りましょう あなたの花を受け取りましょう。テト、よく気付いたわね。」
 褒められてちょっと誇らしげな顔をしたテトが今度は隣にいるシェラートを見上げた。
「シェラートは?」
「そうよ、あなたの名前はこの国のものじゃないものね。カーマイル王国とは言語が同じはずなんだけど、あなたの名前は地方の言葉なの?」
 フィシュアの問いにシェラートはかぶりを振る。
「いや、この名はカーマイルの精霊の名からきたものだ。カーマイルには暦の日ごとに一日ずつ守護精霊がいるからな、生まれた日の精霊にちなんでつけることが多い。お前がしていた話に出てくる東の国の魔女の名もそこから来ているんだろう。サーシャは“たなびく者”という意味だっただろう? おそらく風属性の精霊の一人から来ている。俺の場合は氷属性の精霊の一人だな。“涼やかなる者”という意味だ」
「へぇ~、おもしろいのね」
 初めて聞く話にテト、フィシュア、リティシアの三人は感心して頷くと、それぞれ感想を漏らした。
「やはり、国によってさまざまな名の付け方があるのでしょうね」
「カーマイル王国って精霊がいるんだね」 
「まぁ、カーマイルには精霊がいる代わりに、ジーニー(魔神)やジン(魔人)がいないからな」
 最後のテトの呟きに、何気なく返されたシェラートの答えにそこにいる誰もが驚いた。
 窓辺に座り込んで耳だけを傾けていた旦那までも振り向いて、こちらの方へとやって来たほどだ。
「それは本当なのですかい? ジーニー(魔神)やジン(魔人)がいないなんて」
「あぁ。カーマイルがある大陸に住んでいる者は西の大陸、まあこの国がある大陸だな、にジーニー(魔神)やジン(魔人)といった存在がいるというのは知識として知ってるけどな。あっちの大陸にとってはこっちの大陸に精霊がいないことの方が驚きだ。まぁ、でも、精霊もジーニー(魔神)やジン(魔人)と大して変わらないだろう。違いは、そうだな、ジン(魔人)ともし契約することができたら願いを叶えてくれるくらいじゃないか?」
「そう、なんですか……」
 今までジーニー(魔神)やジン(魔人)が存在することが当たり前と信じて暮らしてきた四人は今まさにこの瞬間、その常識を覆され、しばしの間黙り込んだ。
 
「世界はやっぱり広いのですね……」
 しばらくしてリティシアの口から漏れた溜息のような囁きに、はっとしたフィシュアはシェラートに耳打ちした。
 この夫婦はシェラートの手首の紋様を街の若者がしているものとなんら変わりはないと思っている。
 ジン(魔人)は時に恐れの対象ともなりうる。心配を掛けないためにもシェラートがジン(魔人)であるということは黙っておくことにしたのだ。
 なので、フィシュアは聞こえない程度の小さな声で問いかける。
「でも、そうしたらあなたはどうなるのよ? カーマイル王国の出身なんでしょう?」
「そうだ」
「それなら矛盾するじゃない。だってあなたはジン(魔人)でしょう?」
「そうだが、別に矛盾はしていない。」
「でも……」
「それより、もう今日の講義はこれで終わりなんだろう? それなら明日進む道を決めよう」
「……そうね」
 フィシュアは深く溜息をつくと、リティシアにこの辺の詳しい地図を貸してくれるように頼んだ。
 
 シェラートはフィシュアの問いかけを拒むように先を遮った。
 もうこの話は終わりだ、という意味なのだろう。
 そうやって打ち切る者にこれ以上訊ねても無駄だ。
 フィシュアは自分にも言えないことがあるように、このジン(魔人)にも言えないことはあるはずだと無理矢理自身を納得させたのだった。
 
 
 
「今更だけどテトの村ってどこなの?」
 机に広げられた地図を囲むように三人は座っていた。
 フィシュアの問いにテトは地図を覗き込んでみたが、読み方など全く分からないようだ。かぶりを振ると、フィシュアを見上げて答えた。
「地図でどこかは分からないけど、ミシュマール地方の端の方だよ。エルーカ村って言うの」
 エルーカ村、エルーカ村、と呟きながらフィシュアはミシュマール地方の外枠をなぞる。
「あった。ここね。端ってこのチェドゥン地方との境じゃない。ここなら、今日と同じペースで走れば、後、四日もあれば着くわよ?」
 フィシュアの言葉に、テトが、「本当?」と嬉しそうに叫ぶ。
 それに頷き、フィシュアは地図を使って説明してやる。
「いま私たちがいるのがここね、で、テトの村はこっち。このおっきな街道をまっすぐ進んだ後小さな道に入って少し山を登れば着くわ」
 テトは地図の中のエルーカ村を見ながら、「わぁ」 と歓声を上げた。
「本当に後もう少しでつくんだね……」
「そうよ、後もう少し頑張りましょうね」
 栗色の髪をふわふとわとなでられ、テトは気持ちよさそうに目を細めた。
 
 シェラートも地図を覗き込んでいたが顔をあげると二人に向きなおった。
「いや、これなら二日もあれば充分だぞ?」
 どうして、と首を傾げたテトとフィシュアにシェラートもまた地図を使って解説する。
「ここまでお前と同じ道を通って移動するだろう?」
 シェラートの指はフィシュアが示した街道の途中の街で止まった。それから山の方へと指を動かす。
「この街からまっすぐテトの村に飛んで行った方が早い。この辺なら山だから人も少ないし、こまごまとした村を避ければ特に問題はないだろう。その街からは一日で着く」
「なるほど……、その方が早いわね。この街なら明日の朝少し遅く出ても充分余裕で着く距離だし」
 そうしましょう、と頷くフィシュアをテトは呆然と見ていた。
 そんなテトに気付いてシェラートはテトの前に屈みこむと、「どうした?」 と問いかける。
 
「本当? 本当に後、二日で着くの?」
 
 まだ信じられないという顔をしているテトの栗色の髪をシェラートがわしゃわしゃ、と掻き回した。
 
「あぁ、あと二日だ。もうすぐ母さんに会えるぞ」
 
 その言葉を聞いたとたんテトは何かが切れたようにわぁっ、と泣き出すとシェラートに飛びついた。
 突然響きだした大きな泣き声に夫妻は驚いてこっちを見たが、フィシュアはそんな二人にひらひらと手を振って大丈夫、気にしないで下さい、と微笑む。
 ひっくひっくとしゃくりあげながら泣くテトを抱えあげると、シェラートは小さな背中をぽんぽんとなでた。
「ここまでよく頑張ったな」 
 シェラートの肩でテトが小さく頷く。
 嗚咽は段々すすり泣きへと変わり、それが消えたと思ったらスースーという規則正しい寝息になっていた。
 
「泣き疲れちゃったのね」
 
 すっかり寝入ってしまった様子のテトを起こさないように抱えて運び、二人はそっとベッドに寝かせた。
 そのベッドにシェラートもフィシュアもそれぞれ腰かける。
 
 愛らしい寝顔をの覗きながら、汗でくっついているテトの前髪をフィシュアが優しく払ってやった。
 
「ずっと我慢してたのね」
「あぁ」
「そうよね、こんなに小さいんだもの。よく笑ってたことがすごいんだってこと気付かなかったわ」
「あぁ」
「契約が終わったらあなたはテトから離れるの?」
「そういう決まりだ」
「そう」
 
 
「テトのお母様、無事だといいわね」
「あぁ、そうだな。」
 
 
「……ねぇ、こんなこと、本当は言いたくないんだけど。もしも……、もしも最悪の結果になったとしてもそれはあなたのせいじゃないわよ? もちろんテトのせいでも」
 
 フィシュアは立ち上がると、隣に居たジン(魔人)の顔を見下ろした。
 
 
「……もしそんなことになれば、きっとあなたは自分を責めるんでしょうけどね。誰のせいでもない、ってこと、ちゃんと覚えておいてね?」
 
 
フィシュアはそっと茶色がかった黒髪に手を触れると、「おやすみなさい」 と囁いて部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
 
 

 (c)aruhi 2008