ラピスラズリのかけら 3:テトラン 2 強盗団と宵闇の姫
 

 
「あんた本当に化け物だったのか……」
 重い鉄の格子越し、頭の高い位置で一つに束ねられた琥珀に近い茶の髪を揺らしながら颯爽と歩いて来た人物に向かって男は感嘆の声をあげた。
 フィシュアは一つの牢の前に立つと腰に手を当て、中にいる男たちを見下ろした。
「失礼ね、これでも結構大変だったんだから」
 バデュラの詰め所で一番広い牢。今は三十人に及ぶ男たち、バデュラの街の民を毎夜恐怖に陥れた強盗団エネロップに占められていた。格子のはまった小さな窓から入る朝の光が埃で薄汚れた男たちの顔を照らす。そこはきちんと綺麗に掃除してあるものの、やはり牢が持つ独特の雰囲気なのだろう。空気はどこか湿り気を帯びて陰惨だった。
「歌姫さん、わざわざこんなむさくるしい所に何しに来たんだ? もしかしてここから出してくれるのか?」
 相変わらずへらへらと笑う頭にフィシュアは溜息をついた。
「なんか、牢に入っても相変わらずね。少しは反省しなさいよ」
「ちゃんとしてるじゃんかよぉ。清く正しく生活してるぜ? 今日なんか朝早くから起こされちまったし。いつもなら昼に起きるのに。もうげんなりだぜ。で、何しに来たんだ?」
「―――視察よ。牢の衛生面とかもちゃんと見とかないとと思って」
「へぇ~、歌姫って歌うだけが仕事じゃないんだな。大変そうだ。ご愁傷様」
「……今日の昼食と夕食抜きにするぞ?」
「えぇ!? それはないぞぉ!」 「それだけが楽しみなのに!」 「ここの食事うまいんだよ、なぁ?」 「ああ、こないだまで食ってたのよりもかなりうまい」
「あんたたち本当に反省しなさいよ……」
 一斉にあげられた元強盗団達の抗議にフィシュアは深い溜息をついた。
 頭領は辺りを見回したが、宵の歌姫の後ろや近くには誰もいないことに気付き少しばかり驚いた。
 昨日あんなことがあったにもかかわらず目の前にいる歌姫には誰も付いていない。
 昨日怒っていた二人くらい付いて来そうなものを―――
「一人で来たのか? 昨日の兄さんと坊やはどうした?」
「―――まいて来た」
「また、何で?」
 頭の問いにフィシュアは一瞬言葉を詰まらせた後、答えた。
「……だって、あの二人視察なんてさせてくれそうにないんだもの。お腹が痛いって言ってトイレに籠ってるふりして抜け出してきた」
 フィシュアが抜け出してきた方法に牢の男たちはげらげらと笑い出した。
 そんな男たちをフィシュアは眉をひそめて睨み返す。
「それでも女かよ……」
 笑いの中、どこからともなく漏れた呟きに、フィシュアは悠然と笑みを浮かべて、けろりと言い放った。
「何言ってるのよ、女だから使える技なんじゃない。女の子がトイレに入ってるのを急かす男なんていないでしょう? なかなか恥ずかしい申告だから疑う人もいないし。一応、怪しまれないように警備隊の皆には協力して二人を見張っててもらってるから、今のところは安心よ」
「二人とも心配しての行動だろうに、当の歌姫さんがこんなんじゃ報われねえなぁ~」
 フィシュアの言葉に頭はかぶりを振りながらしみじみと呟いた。けれど、その声音とは反対に顔は面白いものを見るように、にやけているのをフィシュアは見逃さなかった。
 頭領を筆頭に牢の中にたむろしている男たちを藍の双眸が格子越しに睨みあげる。
「元々二人に心配かけるはめになった原因を作ったのはあんたたちでしょうが!」
 
 
 そんなことよりも、と前置きすると、フィシュアはエネロップの牢の前にしゃがみこんで格子に手を掛け、頭と相対した。
「―――聞きたいことがあるのよ」
 昨日の夜と同じ鋭い光を宿した藍の瞳に、頭はにやりと笑った。
「それが抜け出してまでする視察の大きな理由か。しかも、“まいた”というよりは、あの二人に聞かれたくなかったっていうのが本当だろう?」
 どうやら感が当たったらしく、黙り込んでしまったフィシュアに頭はふっ、と笑うと続けた。
「へぇ、歌姫さんは、あの二人を信用してないのか」
「違うわよ。―――ただ、今度こそは巻き込みたくないだけ。それに……、このことはあの二人とは全く関係ないの」
「“関係ない”ねぇ~。歌姫さんが何を聞きたいのかは知らないが、また一人で動いたら怒られるんじゃないか、あの二人に」
「今度は一人で動くわけじゃないから大丈夫よ。だけど、あの二人とは次の村でお別れだもの。事が起きるとしても、その時は二人が知る由もないわ。だから、今あの二人が知っても意味をなさないのよ」
 そう答えたフィシュアを、「ふ~ん」 と言いながら頭領はしばらく眺めていた。それから、手を頭の後ろで組むと再び楽しそうに笑ったのだ。
「いいだろう。俺に答えられることだったら答えてやるよ」
 
 
「―――何で俺たちが、この街に来たかって?」
 繰り返された疑問に、フィシュアは静かに頷いた。
「そう。宿屋で会った者達は、エネロップが現れたのは最近だと言ってた。だが、お前たちの動きを見る限り強盗業を最近始めたばかりではないだろう? それに、カルレシアはアエルナ地方に多く生息する植物だ。他の毒ではなく、カルレシアを使ったのはお前達がそれを手に入れやすい環境、アエルナ地方か少なくともその周辺で活動していたからではないのか? だとしたら、カルレシアが少ないこの地域へわざわざ移って来たのは移らざるを得ない不都合があったってこと」
 違うか? と問いかける藍の瞳に、頭はパチパチと手を叩いて拍手を送った。
「御名当。さすが歌姫さん。その通りだ。俺達はアエルナの方から来た」
「―――やっぱり」
「三か月ほど前か? 妙な技使う奴らが俺たちが根城にしてた街にやってきたんだ。そりゃあ、もう、訳が分からないうちにこてんぱにやられそうになってなぁ。命とられる前にその街から逃げてきたんだよ。俺らは逃げ足だけはかなり早いからな。勝てないとわかったら見切りをつけてとんずらする。勝てそうだったら勝負を楽しむ。それが俺達のモットーだからな。逃げる俺らを見た街人は皆泣いて喜んでそいつらに感謝してたぞ? けどなぁ、俺達は見ちまったんだよ。その街が燃えるところを丘の上からな。あいつらは、感謝を捧げた街人たちを圧倒的な力で焼き払ったんだ。な、俺達より性質悪いだろう? そんな奴らがいる場所に長く留まる謂れなんてないからな、早々とアエルナから離れたってわけよ」
 アエルナ地方でいくつかの街が突然消された理由。当初、フィシュアも調査するはずだった謎の答えが一人の男によって告げられた。
 頭が語った話の中、それとは別の何かがフィシュアには引っかかっていた。
 これで終わりだ、と伸びをする男を見ながら、それが何だったのかを確かめる為、頭の中でもう一度話を反芻する。そして、それが何だったのかに思い至った時、藍の瞳は驚愕に見開かれた。
「―――妙な技を使う“奴ら”と言ったか?」
「そうだ」
「一人じゃないのか?」
「少なくとも、三人はいたぞ? その後ろには妙な技を持たない普通の人間も何人かいたけどな」
 告げられた答えにフィシュアは歯噛みした。
 妙な技とは、きっと魔法のことだ。ロシュは大丈夫だろうか。一人ならまだしも対魔であるラピスラズリを持たない彼に三人というのは危険すぎる。もし、彼らと出会ってしまった場合、ロシュは対処しきれるのだろうか。
「―――どんな奴らだった?」
「どんな奴らと言われてもなぁ」
「腕に黒い紋様があったか? シェラートと同じような」
「あぁ、あったぞ? それがどうした?」
 ―――ジン(魔人)、か。
 フィシュアは眉根を寄せた。
 砂漠で案じていたことが現実になってしまった。しかも、一人ではなく三人、いや、それ以上と考えておいた方がいいだろう。その上さらに複数の契約者とその支援者がいるはずだ。厄介なことになった。
「どうしたんだ? 歌姫さん。あんなの街いる奴らがしているのと変わんねぇだろ」
 頭の言葉に、フィシュアは顔を上げた。
「―――変わらない!? ジン(魔人)の腕の紋様の方が明らかに複雑だったろう? 一目見ただけで分かるはずだ」
「そうか? 全然違いなんてわからなかったぞ?」
「―――まさか!! 全く違うだろう!」
「いや、本当だ。というか、なら、あの兄さんはジン(魔人)だったって訳か。俺はてっきり、兄さんもあいつらのことも魔法使いか何かかと思ってたからな」
「それはない。この世界には魔法使いと呼ばれる者、つまり魔法が使える人間ということだが、それは魔女と賢者しか存在しないからな。彼らと彼らの師匠弟子を含めて現在は17人しか存在しない。そして彼ら全ての居場所は知れてる。黒い腕の紋様があったのなら尚更ジン(魔人)としか考えられない」
「そんなものなのか?」
 いかにも興味なさそうに呟く頭領にフィシュアは再び質問を重ねた。
「他に何か覚えてないか? 何でもいい」
 けれど、頭は手を広げて肩を竦めた。
 それを見て、フィシュアはその後ろの男たちへと目を向ける。
 男たちも同様に肩を竦め、首を振りながら、他の仲間へと視線を送った。その中で、ただ一人、口に手を当て、しばらく考え込んでいた男が口を開いた。
「……確か、ジン(魔人)の後ろの奴らが笑いながら“皇都へ行く前の腕試し”とか言ってたぞ?」
「―――それは本当か? 確かに聞いたんだな?」
「いや、残念だが、耳で聞いたわけではない」
「どういうことだ?」
 いぶかしむフィシュアに頭が親指で男を指しながら説明した。
「こいつは読唇術に長けてるんだ。だから俺達が聞いてない言葉も“読んだ”んだろう。こいつのは、かなり正確だからな。九割がた当たってると考えていいぞ? 剣はからっきしだが、それだけが取り柄だからな」
 ひでぇ、と抗議する男の後ろで、ちげぇねぇ、と笑いが巻き起こった。
 けれど、その中でフィシュアだけが笑っていられる状況になかった。小さな窓から漏れる朝日が床に作り出した光をじっと睨む。
 ―――皇都へ行く前の腕試し―――
 皇都からは、まだそんな報告は受けていない。
 今のところは安心してもいいだろう。けれど、近いうち予測していた通り不穏な事態に陥る。
 しかも、最悪の形で――――――
 一刻も早く皇都へ戻って準備を整えなくてはならない。だが、テトの村へも行かなければならない。
 エルーカ村へ行けば少なくとも五日は到着が遅れる。
 テトの村へ行くと決めた時から、そんなことは理解していたはずなのに、知らず焦り始めた自分を落ち着かせる為、フィシュアは軽く息を吐きだした。
 だからこそ、ロシュを先に行かせたのだ。ホークもいる。皇都へこのことを伝えるのは十分可能だ。フィシュアが皇都へ着くころには準備もすっかり整えられているだろう。
 自分の最優先事項を見失ってはいけない。エルーカ村の奇病の現状を把握すること。奇病が広がれば先のジン(魔人)たちと同じくらい脅威となる。そして、それが最も迅速に行えるのはここにいる自分だけなのだ。
 それだけを、素早く整理して自分に言い聞かせると、フィシュアはもう一度息を吐き出してから立ち上がった。
 
「礼を言う。おかげで助かった」
「協力したんだから、ちょっとは短くなるか?」
「なるわけないだろう。それとこれとは話が別だ。しっかり働いて罪を償うんだな。刑期中、真面目にやれば早くて十年そうじゃないなら長くて三十年だな。」
 げぇ~、と一斉に不満の声が上がる。フィシュアはそんな男たちに向かって鋭い目を一閃させた。
「三十年でもお前達がしたことに比べれば軽い方だ。―――まぁ、そうだな、出てきた後、仕事先がなかったら皇都へ来い。私が手配してやろう。ただし、私の下で働く気があるならな?」
「三十年も経ったら、歌姫さん、皺くちゃのおばさんじゃないか。何の楽しみもねえ」
「安心しろ。その時はお前たちもよぼよぼの爺さんだ。大人の魅力が付いた頃の私に会いたいのならせいぜい労役に励むことだな」
「ちゃんと綺麗に成長してくれんのかよ」
「―――つくづく失礼な奴だな」
「ま、いいや、それも楽しそうだしな。よろしく頼むとするか。俺はノーグだ。ちゃんと覚えておいてくれよ?」
「ちゃんと伝えておいてやろう」
「あ、歌姫さん、俺の名前覚える気ないな」
「というか、覚えておく自信がない」
「なら、メモでもしとけよ」
「失くしたら意味ないじゃないか」
「ひでぇ、失くすの前提かよ」
「分かった、分かった、覚えとく」
「ずいぶん投げやりだな。何か俺に恨みでもあんのかよ」
「私を殺そうとしたのはどこのどいつだ。恨みなら有り余ってる」
 そうだったけか、と嘯(うそぶ)くノーグに、フィシュアは溜息を落とすと、ひらひらと手を振りながら牢を後にした。
 
 
 この時ノーグ達はアエルナ地方に現れたジン(魔人)とその契約者達の計画以外にもフィシュアに重要な情報を告げていたのだが、フィシュアがそのことを思い出すのは、まだ当分先の話である。
 
 
 
 
 
 
 
 
(c)aruhi 2008