ラピスラズリのかけら 3:テトラン 7 鎮魂歌<レクイエム>

 

 そして契約は果たされる。
 
 届けられた薬草はシェラートの力によって、全て処方薬へと変わった。
 すぐに皆が全快した、という訳ではないが、病に冒されていた人々の症状は全て快方へと向かいつつあった。
 フィシュアもその中の一人で、薬が投与された二日目には熱も下がり、咳も止まっていたが、今度こそは絶対安静だ、と今日一日ベッドに縛りつけられていた。
 しかも、寝台から降りようとする度にやって来て、それを咎めるのがテトであった為、抜け出そうにも抜け出せなかった。
 
「フィシュア、ご飯」
 小さく扉が開き、そこから顔を出したテトが陶器の器を乗せた盆を抱えながら、落とさないようにと慎重に入って来た。
 フィシュアは起き上がると、「ありがとう」 と言って盆を受け取った。
 中に入っているのは、秋にたわわに実るライーをとろとろに柔らかくなるまで煮込んだもの。白いライーに消化の良い数種類の薬草が彩りを添えていた。
「熱いから、気をつけて?」
 下から覗き込むテトに頷き、フィシュアは匙でライーを掬った。
 ふぅ、ふぅと息を吹きかけ、口へと運ぶ。
「どう?」
「すごく、おいしいわ」
 フィシュアがそう言うと、テトは、「ホント?」 と嬉しそうな声を出した。
「今日は、僕が作ったんだ! エリアールおばあちゃんにちょっと手伝ってもらってもらったけど。僕が風邪ひいた時は、いつもお母さんがこのライーのおかゆを作ってくれたの」
「そうなの。本当においしいわ」
 フィシュアは、掛布に手を置いて本当に嬉しそうに自分を見上げるテトの栗色の髪を撫でた。
 気持ちよさそうに、目を細めるテトに声を掛ける。
「テト、本当によく頑張ったわね。偉かったわ」
「……うん。だけど、ごめんね、フィシュア。僕……」
 テトは、その先を続けられず、口をつぐんだ。
 彼は、知っているのだ。
 自分が閉じこもっている間に失われてしまった命がいくつもあるということを。
 そして、テトの母と同じように、それらを取り戻せすことは二度とできないということを。
 そのことに気付いたテトは後悔し、自分のことを責めている。
 彼は命の重さを知っている、だからこそ、フィシュアは微笑んだ。
「いいのよ。テトはちゃんと役目を果たしたわ。あなたのおかげで助かった命があることを忘れないで。あなたがいなければ、あなたがシェラートを連れて来なければ、今ここにいる人たちは誰一人として笑っていなかったわ。私も含めて、みんなを救ったのはあなたよ、テト」
 フィシュアは、「おいで」 とテトを手招きすると、その体を抱きしめた。
 誰が、この少年を責めることができるだろうか?
 彼はたった一人で堪えて来たのだ。
 恐怖と闘って来たのだ。
 それでも、誰一人しようとしなかったことをした。
 皆が諦める中、彼一人が諦めなかった。
 まだこんなにも幼く、小さな少年はジン(魔人)を連れて、その願いを叶える為、故郷の村へと辿り着いたのだ。
 己の願いを叶えることのできなかった少年は、小さな体で絶望を乗り越え、代わりに周りの人に希望を与えたのだ。
 失われるはずの命を救ったのは、たった一人の少年だった。
「テトは本当に、よくやったわ」
 フィシュアはテトを抱きしめる。
 今は亡き彼の母の代わりに。
 そっと、そっと、テトを包み込んだ。
「テト、全てが終わったら、お母様のお墓へ行きましょうね。うんと綺麗な花を捧げて、いっぱい褒めてもらいましょう」
 腕の中で、テトが微かに頷いたのをフィシュアは確かに感じた。
 
 
 
 篝火(かがりび)が燃える。
 赤々と。
 消えていった命の美しさを、尊さを、そして儚さを表すかのように、それは神々しく輝いた。
 弔いの火は空高く立ち上がり、ゆらゆらとした煙は星明かりの下、ゆっくりと藍色の空へと吸い込まれていった。
 
あなたに感謝の言葉を
瞬く星の下で歌う
遠いあなたへ届くようにと
 
その瞳 見えなくとも
その輝きは変わらないから
その記憶 色あせようとも
貰ったモノは変わらないから
 
あなたに感謝の言葉を
瞬く星の下で歌う
この篝火に願いを乗せて
 
 
 凛と響き渡る歌が残した余韻を胸に、集まった人々は思い思いに篝火に花を手向けた。
 この日、鎮魂歌(レクイエム)と共に、山間にある小さな村を襲った悪夢が、ようやく終わりを告げようとしていた。
 
 
 
「変わったこと?」
 広場に集められた村の人々は皆一様に首を傾げた。
「何かあるはずなんです。どんなに小さなことでもいい。何か思い当ることはありませんか?」
「そうはいってもねぇ……」
 シェラートが言うにはこの病はミフィラ病が変化発展したもので、各地に広がっていないのなら、その原因は必ずこの村にあるはずだった。
 きっと見落としている何かがあるはずだ。
「何か、いつもと違って今年だけ起こったことってありませんか? 例えば、例年は見ることのない渡り鳥がやって来たとか」
「渡り鳥ね~……」
 相変わらず、村人に反応のないように思われた。だが、その中に一人だけ、「そういえば」 と口を開いた者がいた。
「何? ルネシィ。何か思い出した?」
 フィシュアに、そう問われた小さな女の子に一気に皆の注目が集まった。
 ルネシィは自分を一身に見つめる大人たちに緊張しながらも、その口を再び開く。
「あのね、ルモアが言ってたの。森の泉に見たこともない、すっごく綺麗なチョウチョがたくさんいたんだって。今度連れて行ってあげるから、みんなにはまだ内緒だよって。」
 少し悲しそうな顔をして口を閉じたルネシィに、フィシュアは隣にいたエリアールへと目を向けた。
「ルモア、というのは、初めにこの病で倒れた若者の名です。ルモアはルネシィのことを本当に可愛がっていて、すごく仲が良かったのです」
「そう……。シェラート、これに病の可能性は?」
「ああ。まだ行ってみないと分からないが、考えられないことではない」
「そうね」
 フィシュアは頷くと、ルネシィに笑みを向けた。
「ルネシィ、教えてくれて、ありがとう」
 
 
 フィシュアとシェラートは村人を解散させた後、早速、森の中を泉へと向かって歩いていた。
 二人はてっきりテトも付いて来るものと思っていたが、「村に残ってバデュラの警備隊と一緒に村のみんなへ物資を配る手伝いをしたい」 というテトの意見を尊重して、留守を任せることにした。
「テトも大人になっちゃったわね~」
 しみじみとしたフィシュアの呟きに、シェラートは苦笑した。
 確かに、幾らか寂しく感じる。
 昔のテトなら、絶対自分も付いて行く、と主張したはずだった。
「まぁ、色々あったからな。」
「うん、テトは今回本当によく頑張ったわ……」
 そう言う割には、前を歩くフィシュアが浮かない顔をしていたので、シェラートは一つに束ねられ、歩くたびにゆらゆらと揺れている茶色に近い琥珀の髪を引っ張った。
「―――っちょっと、何するのよ!? 痛いじゃない!」
「え、あ、いや……、何か変だったから。まだ、病が治ってないんじゃないのか?」
「別にそうゆう訳じゃないわよ」
「じゃあ、どうしてそんな不機嫌そうな顔をしてる?」
 シェラートがそう言うと、フィシュアはキッと睨んで、前を向いて再び歩き出した。
 けれど、数歩歩いたところで立ち止まり、「もうっ」 と息を吐き出すとシェラートの方を見ないまま、諦めたように口を開いた。
「ちょっと、自己嫌悪中なのよ……。私ってずるいなぁ~と思って」
「何が?」
 だってさ、と呟くとフィシュアは振り返り、シェラートの翡翠の瞳を見上げて言った。
「私はテトに選べない選択肢をつきつけた。テトなら絶対、私を助けてくれると思って……、そういう確信があったからこそああ言ったの。きっと、また同じ状況に立たされたら、私は何度でも同じことをするけど……でも、やっぱり、ずるいなぁ、とも思う」
 溜息を吐きだすかのような、その物言いにシェラートは苦笑する。
「けど、それが最善だった。フィシュアは間違ってない」
 フィシュアは少しばかり驚いたように藍の目を見開いたが、シェラートの言葉を噛みしめるように一つ頷くと、「ありがとう」 と小さく微笑んだ。
 
「あぁ~~~~、何か私この頃シェラートに愚痴ってばっかりな気がする」
「そうか?」
「そうよ、こないだも愚痴って抱きついたまま寝ちゃってたし。……あの時は悪かったわね」
「それは別にいいが、他の男には、あれはやらない方がいいんじゃないか?」
「何? じゃあ、シェラートには抱きついてもいいってこと?」
「まぁ、テトと大して変わらないからな」
「何それ!! ほんっと、シェラートって失礼よね」
 ふんっ、と不機嫌そうにそう言ったフィシュアだったが、次の瞬間には少しばかりの好奇心が混じった藍の瞳が再びシェラートを見上げていた。
 心なしか、にやにやと笑っているフィシュアにシェラートはやっぱり同じ表情をしている時のテトを思い描く。
「じゃあ、ジン(魔人)とかジーニー(魔神)の女の人だったら、ちょっとは慌てる? というか、あんまり聞かないけどジン(魔人)とジーニー(魔神)に女性はいるの?」
「あー……、いるにはいるが、できればもう会いたくない」
 嫌なことを思い出し、心底疲れたような顔をしたシェラートにフィシュアは笑みを増した。
 え、何があったの? と、すごく楽しそうな表情を浮かべているフィシュアにシェラートは呆れの溜息を漏らし、その頭をぽんぽんと叩いた。
「いいから、早く行くぞ」
 そう言って立ち止まっていたフィシュアを残し、先へと歩きだしたシェラートは背中から聞こえた、「けち」 という声に、ひらひらと手を振った。
 
 
「ここが問題の泉ね……」
 エリアールに聞いた場所に辿り着いたフィシュアは、泉の入り口で足を止めた。
 他の場所から村へと水が引かれている現在、この場所に立ち入る者は殆どいない。
 かつて、唯一の水場であったその場所にはこれでもか、というくらい青々とした草が生い茂り、その先を塞いでいた。
 ただ僅かに、その背丈の高い草の間に道があったかのように思われるのは、最初の被害者である村の若者、ルモアが通った跡なのだろう。
 彼が、一体何しにこの場所へやって来たのか、もはや誰も知る術は持たない。
 草を掻き分けて、泉のある少し開けた空間へと足を踏み入れたフィシュアは、彼が生前、小さな女の子に見せようとした目の前に広がる景色に息を呑んだ。
 泉から漏れた水が地面に沁み渡っているその場所には、話に聞いていた通り、無数の蝶が群れをなしていた。
 青緑をした蝶の羽は、陽の光に当たり、青にも緑にも、時には黄色に光り、輝きを放っている。
 まるで、ここだけ時間の流れが遅くなったかのように鮮やかな色の羽を有する蝶はゆったりと辺りをたゆたっていた。
 ひらひらと優雅に宙を舞うその様は、例えようのないくらい美しく、ぞっとするほど不気味だった。
「これが、村人を恐怖に陥れた原因……?」
 誰に対するでもなく自然と呟かれたフィシュアの問いは、しかし、隣に立つ一人のジン(魔人)によって肯定された。
「ああ、間違いないな」
「だけど、この蝶は……、キックリーレはガンジアル地方では珍しくも何ともない蝶よ? それが何で……?」
「それが問題なんだ」
 目の前の一種神秘的な光景を見上げながら吐かれたシェラートの断定にフィシュアは首を傾げた。
「どういうこと?」
「キックリーレは水場を好む。本来の生息地であるガンジアル地方は大河であるぺルソワーム河が流れているし、今は雨期のはずだ。それにも関わらず、キックリーレの一部がここまで移動してきたということは……」
「ガンジアルを流れるぺルソワーム河の水量が大幅に減っていて、雨季であるにもかかわらず極端に雨量が少ないということ」
「そうだ」
「だけど、おかしいわ」
 手を顎に当て、フィシュアは訝しげに眉を寄せる。
「皇都からは何も報告を受けていないもの。ぺルソワーム河は皇都にも通っているのよ? だけど、下流に位置する皇都の川の水量が減ったなんて聞いてない。こないだ受け取った手紙にもそんなこと書かれていなかったわ」
「なら、ガンジアル地方でだけ何か異変が起こっているんだろうな」
「それも調べなくちゃいけないってわけね……。丁度良かったわ。王都へ帰る途中、どちらにしろ通らなくちゃいけなかったもの。じゃあ、それはひとまず置いておくとして、キックリーレが病に影響しているっていう確信はどこから来るの?」
「―――麟紛」
 そう言いながらシェラートが指した指の先には、優雅に舞う蝶の後を追うようにキラキラとした光の粒が踊っていた。
「高湿地帯であるガンジアル地方では、湿気で重くなった麟紛が飛散することなく地へと落ちていたから問題がなかったんだろう。だが、ミシュマール地方、特にこの村がある地域は砂漠地帯と割と近いということもあってか割と乾燥している。つまり、本来なら飛散するはずのないキックリーレの麟紛が飛散しやすい環境になってしまったんだ。しかも運の悪いことに、せっかく人の寄りつかない森の泉に飛来していたキックリーレの元にやって来た者がいた。恐らく、ここへ来たというルモアという男は、自覚症状が出ていなかったにしろ、その時すでにミフィア病に罹っていたんだろう。その男が、吸い込んでしまったキックリーレの麟紛が何らかの形で作用して、徐々にミフィア病が特異変化してしまった。そんなこと知るはずもない男が村へ帰ることによって、この病を広げたんだ。それが、今回の病の概要と見て、ほぼ間違いない」
「そう……」
 
 不運に不運が重なった結果だろうか。
 目の前の光景は、この村で起こった悲劇など微塵も感じさせない。
 人知れぬほど森の奥にある静かな泉のほとりでは、たった二人の観客を前に鮮やかな蝶たちが舞いを披露し続けていた。
 
 
 
 
 
 
 (c)aruhi 2008