ラピスラズリのかけら 3:テトラン 8 テトラン【1】

 

 蝶によってもたらされた病は、エルーカ村に大きな爪痕を残した。
 原因である蝶、キックリーレを駆除することはできない。
 なぜなら、キックリーレは本来ガンジアル地方にしか生息しない希少な蝶だったからである。
 フィシュアはエネロップに聞いたアエルナ地方の話も含め、小さな村で起こった奇病と原因、その対処薬の作り方についてまとめた報告書をホークに託して皇都へと送った。
 まもなく、この国の誰もがエルーカ村の奇病のことを知るだろう。
 そして、その時、奇病は奇病でなくなる。
 解決法のある新しい病として認知されるのだ。
 だが、そうではなかった村人たちはどこかやりきれない気持ちを残しながらも、元通りとは言えない元の生活を再開したのであった。
 
 フィシュアとテトは村から延びる小道を二人並んで歩いていた。
 その後ろからシェラートがゆっくりと付いて来る。
 丘へと続くこの道の脇に咲く白い小さな花々は、まるで自分はここにいるのだと示すかのように咲き誇っていた。
 その白い花をフィシュアとテトは一つ摘み、また一つ摘みながら、花束を作っていく。
 テトの母の墓へと向かう日の朝、「綺麗な花を買いに行きましょう」 と言うフィシュアに、テトはかぶりを振って答えた。
 「お母さんは、野に咲く花が一番好きだったんだ」 と。
 だから二人は時折足を止め、道端に咲く花を摘みながら、丘の上に建てられた墓地へと歩を進めた。
 
 
 
「テト。私、明日ここを発つわ」
 もう少しで丘の上に着くという所、唐突に告げられた別れにテトは隣を歩くフィシュアを見上げた。
「エルーカ村の病もかなり落ち着いてきたし、私がいなくても警備隊に任せれば問題ないと思う。彼らも後、少しすれば引き上げられると思うし。それよりも私は早く皇都へ戻ってこの病の対策をもっと練らなくちゃいけないから。他の仕事もあるしね」
「そう、なんだ……」
 分かってはいたが、やはり寂しくて、それを誤魔化すようにテトは足元に転がっていた石ころをこつん、と蹴った。
 小さな石は前をコロコロと転がり、やがて、また歩くテトの足元へやって来る。
「テトはこれからどうするの?」
「どうしよっか」
 これから先のことなんて、まだ思いもつかない。
 母が亡くなり、シェラートとの契約も切れ、フィシュアもいなくなるという、今、テトは自分がこれから先どんな生活を送るんだろう、という漠然とした疑問は持っていたが、想像ができるかと言うと、そんな生活全く想像がつかなかった。
「テトさえよければ、私と一緒に皇都へ来ない?」
「え?」
 戸惑いを隠せず隣を見ると、フィシュアは少し慌てたように続けた。
「―――あ、無理に、とは言わないわ。テトがここで暮らしたいって言うなら、もちろんそうしていいし。テトがこの村のことを大切にしているのもちゃんと分かってるから。ただ、皇都には皇立学校もあるし、テトはなかなか筋がいいから、きっといろいろなことが学べると思うの。もちろん、衣食住は心配しなくていいわ。私がきちんと手配するし。それに、テトが見たがっていた海もあるわ。他にも……」
 
「一緒に付いて行ってもいいの? 一緒に……いてもいいの?」
 
 驚いた顔で、しかし、嬉しそうに見上げているテトに、フィシュアは破顔し、栗色の髪を撫でた。
 
「当り前じゃない」
 
 
「シェラートは?」
 フィシュアは振り返ると後ろを歩くシェラートに声を掛けた。
「シェラートはどうする? 別に急ぎの用がないなら、テトもいるし付いて来てもらえると助かるんだけど」
「そうだな、俺も付いていくか」
「本当!?」
 すぐに返ってきた言葉にテトは嬉しそうに声を上げた。
 走り寄って抱きついて来たテトをシェラートが持ち上げる。
「別に元居た街に用もないし、フィシュア一人じゃテトが心配だからな」
「なんなら、今度は私が契約者になってあげてもいいわよ?」
「断る。そんなことになったらこき使われるのが目に見えてる」
「あら、残念」
 フィシュアは肩を竦めて見せた後、初めて会った時と変わらぬ少年とジン(魔人)という奇妙な組み合わせに向かって顔を和ませた。
「それじゃあ、まぁ、皇都までよろしく」
 
 
 
 丘の上。この辺りで一番景色の良い場所に墓地はある。
 背の高い木々に囲まれ、ぽっかりと開いた空間。その先に見えるのは、緑溢れる山々、青く澄み渡る空、そして、エルーカ村。
 今は亡き村人が丘の下に広がる小さな村をいつも見守っているのだ。
 掘り返されたばかりの周りより少し明るい色をした土。
 建てられたばかりの木の墓標。
 それが見渡す限り、墓地いっぱいに広がっている。
 その全てが病で亡くなった人の多さを表していた。
 
 テトは少し崩れて古くなった墓の横にある小さな新しい墓の前に立った。
 ここがエリアールに教えてもらったテトの母が眠る場所である。
 テトは摘んできた小さな花束を古い墓と新しい墓の両方の盛り土の上にそっと置いた。
「こっちはお父さんのお墓なの」
 そう言いながら年季の入った墓を指差すテトの横にフィシュアは腰を降ろした。
「僕がまだ二歳の時に死んじゃったから、あんまり覚えてないんだけどね。お母さんがいっぱいお父さんの話してくれたんだ。すごく優しくて、強い人だったって、だから僕もお父さんみたいに優しくて、強い人になるんだよって。強いっていうのはただ力が強いのとは違うんだよ、説明するのは難しいけど、いつかテトが自然と分かって、そうなってくれたら嬉しいなって、お母さんよく言ってた」
「―――そう」
「お母さんはお父さんがいなくなってから、ずっと一人で僕を育ててくれたの」
 テトはまだ新しい小さな墓を見つめる。
 土と墓標だけの質素な墓。
 そこにかつての母の面影など一つも見つけられない。
「お母さん……、僕頑張ったよね?」
 返ってくる言葉は無い。
 ただ、風がそよそよと吹き、供えられたばかりの小さな白い花が音もなく揺れる。
 フィシュアはテトの頭を引き寄せてポンポンと撫でた。
 それと同時に、テトの黒い瞳からポトリ、と雫が落ちる。
「お母さん……!!」
 エルーカ村に着いてからテトが初めて流した涙は、次々と溢れ、まだ新しい土の色を焦げ茶へと変えていく。
 次第に嗚咽が混じり、本格的に泣き出したテトをフィシュアとシェラートは黙って見守った。
 辺りには、葉の木擦れと鳥のさえずりが、まるでテトを慰めるかの様に優しく響いていた。だが、そのどちらもが効力を持たず、テトの哀しい嘆きによって打ち消された。
 
 
「テト、母さんに会いたいか?」
 
 ようやく、テトの涙が治まり始めた頃、後ろに立っていたシェラートが不意に問いかけた。
 
「―――会いたい」
 
 シェラートと向きなおったテトは呟くようにそう答えた。
 小さくも、迷いのないはっきりとした答え。
 誰もがその願いが叶わないことを知っている。
 だからこそ、フィシュアは不思議に思った。
 なぜ、シェラートがそんなことを聞くのかを。
 ただでさえ、悲しみに沈んでいるテトに、誰よりもテトのことを大切に思っているシェラートがそう尋ねたことに違和感を感じた。
 一人、眉を寄せ目の前に立つ男を見る。
 
「テト、母さんに会わせてやろう」
 
「――――!?」
 
 シェラートの言葉に驚愕を受けて目を見開く二人の前で、ジン(魔人)の手の中に一つの物が転移された。
 しっかりと握られたそれに、フィシュアは衝撃を受け、とっさに片手で隣にいるテトをかばった。
 
「シェラート……、あなた、何を考えているの?」
 
 手の中に納まっているのはフィシュアの宝剣。
 太陽の光を受けてその柄に細工された色とりどりの宝石がキラキラと輝く。
 シェラートはゆっくりとその柄を外すと、姿を現し鈍く光る短剣の切っ先をテトの方へと向けた。
 
 
 
 
 

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