ラピスラズリのかけら 3:テトラン 9 テトラン【2】

 

「シェラート……、あなた、何を考えているの?」
 
 向けられた切っ先。
 鈍色に光る刃。
 飾りものと言っても剣は剣。モノは切れるし、人を死に至らしめることも可能だ。
 宝剣を握りしめるシェラートから目を離さないよう見据え、フィシュアは出方を見計らった。
 
 と、シェラートの眉が怪訝気に寄せられる。
 次いで、自分が持っている宝剣とフィシュアを交互に見比べ、呆れたように口が開かれた。
 
「フィシュアこそ何考えてるんだ?」
 
 嘆息混じりのその声に、フィシュアはどうやら誤解だったらしいと気付き、ほっと胸をなでおろした。
 張り詰めていた気持ちがほどけるのと同時に、むかむかとした怒りが湧き上がってくる。
「何って……、シェラートはいちいち紛らわしいのよ!」
「お前が勝手に勘違いしただけだろう! 俺はただ宝剣を転移させただけだ。」
「切っ先を向けたでしょうが、切っ先を!! というか、ちゃんと説明してから転移させなさい!」
「大体俺がテトに害をなそうとするわけないだろう」
「それは、そうだとも思ったけど、でも、テトのお母様に会わせてあげる、とか言うからってっきり、テトを殺して会わせる方法かと……。よかった……」
 最後は気が抜けたように安堵の溜息を洩らし、庇っていたテトをぎゅっと確かめるように抱きしめたフィシュアに、シェラートはバツが悪そうに呟いた。
「―――悪かったな。確かに言葉が足りなかった」
 ポンポンと頭を撫でる人物をフィシュアは、「本当よ」 と悪態をつきながら睨み上げた。
 
 フィシュアに抱きしめられた格好のままのテトは首だけシェラートの方に回すと、「でも」 と口を開いた。
「じゃあ、どうやってお母さんに会うの? そんなこと本当にできるの?」
 それは淡い期待の含まれた言葉で、でもどこかでそんなことは無理なのでは、と思っているような半信半疑の問いだった。
「できる。ただし、生き返らせることは前も言ったが不可能だ」
「じゃあ、どうやって?」
 テトの疑問にシェラートは持っていた短剣を差し出しながら言った。
「その為に、これが必要なんだ。正確にはテトの血の情報が必要だ。それを使ってテトの母さんを呼びだす。まだ、テトの母さんが死んでから一カ月も経っていない。それに、テト、お前という心残りがあったはずだ。この世に実在する為の分子が変わって目に見えないが、溶けて消えてしまった訳じゃない。恐らくまだこの近くにいるはずだ。呼び出して、現出させることならジン(魔人)の力をもってすれば容易い。契約は切れたが、本当の願いを叶えられなかった侘びとして、その願い、叶えよう」
「……本当に?」
「ああ」
「本当にお母さんに会えるの?」
 戸惑い気味に問いを重ねたテトに、シェラートはもう一度頷き、テトに宝剣を渡した。
「少しでいい。ほんの少し、それで指に傷をつけろ」
 フィシュアが心配そうに見守る中、宝剣を受け取ったテトは恐る恐る自分の親指の腹へとその切っ先を押し付けると軽く滑らせた。
「―――っ痛」
 小さな呻きと共に、走った線からぷっくりと赤い血が滲みだした。
 宝剣にその血が触れ、形の良い楕円が崩れる。
 それを確認した上で宝剣を受け取ったシェラートがテトの傷を素早く拭うと、まるで何もなかったかのようにすっかり傷が治っていた。
 
 シェラートが宝剣を掲げると同時に宝剣が青白く光り出した。
 ぼんやりとした光は強烈でもなく、弱々しくもない。
 宝剣を包むように、纏わりついた光は、シェラートが宝剣から手を離すのと同時に輝きを増し、宝剣を核とするかの様に広がっていく。
 目の前一面に広がった光は、やがて急速に収縮し一人の人間の形を成した。
 
 風もないのに腰まで伸びる栗色の髪をふわりと舞いあげ、瞳を閉じたまま宙に浮かぶ女性。
 姿が見えると言っても、実体では無いらしいその姿は、透き通り、背後の景色を映していた。
「―――お母さん!!」
 求めていた姿を認め、反射的に上げられたテトの声に反応し、女の睫毛が震え、ゆっくりとその瞳が開かれた。
 二度と見開かれるはずのなかった、テトよりも薄い黒灰の瞳は目の前にいる幼い息子を慈しむように見下ろして微笑んだ。
「テト」
 紛れもない母の声に思わず駆け寄ったテトだったが、その手が母に触れることは無かった。
 ようやく会えた息子を抱きしめてあげられないことを悲しく思いながらも、テトの母、ロージィは小さな頬に自分の手をそっと触れさせた。
 決して、触れることはできないが、彼女はテトに触れたのだ。
「テト……、泣いたわね。泣いても変わらないでしょって言ったのに。目が真っ赤よ」
 何度も頬に付いた涙の跡を辿りながら、ロージィは怒ったように言った。
「ごめんなさい……」
 しょんぼりと項垂れる息子にロージィは、「冗談よ」 と言って笑いかけた。
「きっと、私のせいでたくさん辛い思いをしたんでしょう?」
 いつもそうしてくれたようにじっと覗きこんでくる母の瞳にテトは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「……でも、僕、頑張ったでしょう?」
「ええ、あなたは頑張ったわ。とっても、とっても頑張ってくれた。私の為に、村のみんなの為に。たくさん褒めてあげなくちゃね」
 細められたロージィの目に、テトは、「へへっ」 と笑う。
「――――――ごめんね、テト。約束を守ってあげられなくて。あなたはちゃんと守ってくれたのに待っててあげられなくて本当にごめんなさいね。寂しい思いをさせて……これから一緒にいてあげられなくて、本当にごめんなさい」
 悲しそうに微笑む母に、テトはふるふると頭を振った。
「いいの。お母さんがいなくて寂しいけど、フィシュアとシェラートがいるから寂しくないよ。僕、これから二人と一緒に皇都へ行くんだ。ね、皇都には前、お母さんが話してくれた海があるんだって。きっと、綺麗だろうなぁ……」
「ええ……、そうよ、海はとっても綺麗。すごく、すごく綺麗よ……」
「ね、だから……、僕はもう大丈夫だから……、泣かないで?」
「ええ……、テトも、もう泣いちゃだめよ?」
 涙を流しながら見上げるテトに微笑みかけ、自分も知れず溢れた涙を拭いながらロージィはテトの後ろに見える二人を見据えた。
「フィシュアさん、シェラートさん、どうか……、どうかこの子をよろしくお願いしますね。ずっと面倒を見ろだなんて、そんなずうずうしいことは言いません。だけど、この子は……、テトは、この通り泣き虫だから、だから、せめて……、せめて皇都までは一緒に行ってあげて下さい。この子が笑って過ごせるように……」
 深く頷いたフィシュアとシェラートに安心したようにロージィは、「ありがとうございます」 と微笑みを向けた。
 
「どうやら、時間切れのようね……」
 その言葉と共にロージィの体が再び光り出した。
「――――お母さん!!」
 叫び声を上げたテトをロージィは一度そっと抱きしめると、その体を離し、もう相対することの叶わないだろう息子の顔をしっかりと見つめた。
「テト、私はあなたのおかげでずっと幸せだったわ。デュウラが……、あなたのお父さんがいなくなって絶望していた私を掬いあげてくれたのはあなたの笑顔だった。もう一度生きる希望を与えてくれたのは、あなただった。毎日笑って過ごせたのも、全部あなたのおかげよ。私はあなたの笑顔が何よりも大好き。だから、泣かないで。本当は私の為に泣いてくれること、すごく嬉しいわ。だけど、あなたがずっと泣いているのはすごく悲しいわ。泣いても何も変わらないって言ったけど、時には泣くことも必要だと思うの。だから、すごく辛い時、悲しい時、疲れちゃった時、泣いちゃってもいいと思うの。だけど、私を思い出してくれる時は、笑ってくれた方が母さん嬉しいわ。だから、私の為に泣くのは今日で終わりにしてちょうだい? 私を思い出す時は、いつも笑顔を見せて? ……テトならできるでしょう?」
 テトは大きく頷くと、ごしごしと目をこすり、笑みを作った。
「できるよ。できる。……約束、ね?」
「そう、約束」
 顔を上げたテトを見て、ロージィは誇らしげに微笑むと、その体が再び宙へと浮かびあがった。
 彼女を取り囲む光が、輝きを増す。
 
「テト……、テトラン……、私のテト(強い)ラン(光)。あなたは私の強い光だった……。ずっと、あなたを愛しているわ。きっと、きっと、幸せになってね…………」
 
 眩しいような全てを包み込む優しい微笑みと共に、ロージィはそう言い残すと、強い光と共に姿を消した。
 
 コロン、という微かな音と同時にフィシュアの宝剣が地面へと落ちる。
 テトは穏やかな顔でそれを見つめながら、微笑んだ。
 
「……うん、約束」
 
 
 
「―――テト!?」
 突然倒れてしまったテトに慌ててフィシュアは駆け寄った。
 微笑みを浮かべたままスースーと寝息を立てているテトに安堵して、シェラートを見上げる。
「力を使って疲れ果てたんだな」
「―――何? どういうこと?」
「あの魔法はテトの血を媒介にしている。つまり、テトの力を媒介にしてるんだ。だから、テトにも負担がかかる。疲れて眠ってしまったんだろう」
 あっさりとそう言い放ったシェラートを藍の瞳が睨みつける。
「だからそういうことは先に言いなさいよ!! びっくりするじゃない!」
 隣で響く文句を聞き流しつつ、シェラートはテトを抱き上げた。
「ほら、行くぞ」
 伸ばされた手に、納得がいかないながらもフィシュアは自分の手を重ねる。
 むくれたフィシュアの顔に苦笑しながら、シェラートは転移した。
 
 
 夕暮れになっても、夜になってもテトは目覚めなかった。
 すっかり暗くなってしまった部屋で、それでも、寝ているテトの為、明かりを付けるのがためらわれた二人は月明かりだけが漏れる部屋の中、夕食後、ずっとテトの寝顔を見続けていた。
 フィシュアは枕許に膝をつき、気持ちよさそうに寝息をたてているテトのほっぺをツンツンとつついてみた。
 けれど、全く反応を示さず眠り続けるテトを見てクスクス笑いながら、腕を交差させると、フィシュアはその上に頭を乗せてテトを眺めた。
「なんだか、よっぽど疲れてるみたいね」
「きっと、久しぶりにちゃんと眠れたんだろう」
 同じく、テトが寝ているベッドに腰を下ろしながら眺めているシェラートの言葉に、「そっか」 と相槌を打つ。
「シェラートがテトのお母様に会わせてあげたおかげね」
 ふわりと笑みを浮かべテトを見つめていたフィシュアは、けれど、黙り込んでしまったシェラートに顔を向けた。
「……どうしたの?」
「―――いや。フィシュアは、自分が支えられないから、俺にテトの傍にいろと言ったが、俺はちゃんと支えられていただろうか? それをずっと考えていた。フィシュアがそう言ったあの日から」
 暗く光る翡翠の双眸に、フィシュアは顔を上げると、首を傾げてシェラートを覗き込んだ。
「……それで、何て言って欲しいの? “あなたはちゃんとテトを支えていた”って慰めて欲しい?」
 しかし、シェラートはその問いに苦笑を洩らしてかぶりを振った。
「そういう訳じゃない」
 その答えに、「素直じゃないわね」 と笑うと、フィシュアは再び頭を自分の腕の中に落として、今度はシェラートを見上げた。
「それで?」
「ただ、な……、フィシュアがもし、俺なら支えられると思ってテトを託したんなら、それは、ただ、俺がテトと境遇が似てたからなんだ。テトの契約者になった理由も同じだ。俺にも昔、どうしても助けたい人がいた」
「その人は……」
「助かった。助けた。だから、テトの母さんを助けられなかったのが悔しかったし、情けなかった」
「そう……」
 自分の大切な人は助けることができたのに、テトの大切な人は助けられなかった。
 その点に、彼はとてつもない憤りを感じているのだろう。
 シェラートがかつて助けた大切な人は彼にとってどんな人間だったのか。
 それをフィシュアは知る由もない。
 けれど、彼の目には今、確かにその人物が映っているのだろう。
 フィシュアは瞳を閉じ、そして、テトの寝顔を見た。
「少なくとも、私よりかは支えることができたはずよ? だって、今、テトは笑ってる」
「だが、テトをここまで引っ張り上げることができたのはフィシュアだろう?」
 その言葉にフィシュアは首を振った。
「私は何もしてない。ただ、病気に罹って倒れただけ。それを、助けてくれたのがテトだったというだけ。あの時テトに私の言葉が届いたのは、シェラートがテトをあそこまで引っ張り上げてくれたからよ。そうじゃなかったら、私の声なんて、きっとテトには届いてなかった」
 それにね、とフィシュアはクスリと笑って続けた。
「シェラートって長年生きてるせいか……、年の甲? お爺ちゃんみたいなのかな? 安心するのよね。だから、ただ傍にいてくれるだけでも、テトにとってはやっぱり何か違ったんだと思うわ」
「なんか、それは、あんまり嬉しくないな……」
 ちょっと嫌そうな顔をして呟かれたシェラートの言葉に、フィシュアは、声を立てて笑う。
 
「―――けど、まあ、ありがとうな」
 
 苦笑を浮かべながらこちらを向いていたシェラートに、フィシュアは艶やかに微笑んだ。
 
「どういたしまして」
 
 
 
 

(c)aruhi 2008