ラピスラズリのかけら 4:シェラート 1 哀恋<アイレン>

 

「うっわぁー、すっごく大きい!!」
 テトは初めて見る幅の広い大河に両手を広げ、歓声を上げた。
 目の前を蛇行するように悠々と流れるこの大河、ペルソワーム河はダランズール帝国を南から北へと縦断し、やがて海へと流れつく。この国、ダランズール帝国は豊富な水を供給してくれるペルソワーム河の恩恵の元、広がったといっても過言ではない。
「海はもっと広いわよ」
 小高い丘の上、薄い布を青々と茂る草の上に広げながら、大河を眺め続けているテトに向かってフィシュアが微笑みかけた。
「さあ、ご飯にしましょう」
 そう声を掛けると、フィシュアは布に腰掛け、エリアールから貰ったケーキを籐でできた籠の中から取り出した。
 テトの大好物だという、うっすらと茶の焼色を帯びた木の実がふんだんに使われているケーキは本当にフワフワとしている。少しでも、強く押せば崩れてしまいそうだった。
 ケーキをフィシュアから受け取ったテトは嬉しそうにフワフワとした他の二つよりも少し大きめの塊にぱくついた。
 
 今朝、エリアールに見送られてエルーカ村を発った三人はバデュラの街を発った時と同様、一度、馬と荷物をエリアール達に任せて緑の深い山々の上空を飛んで移動した。そして、山が途切れてペルソワーム河が見えてきたところ、ミシュマール地方のほど近く、ガンジアル地方に入ったところで丘の上に降り立ち、昼食を取ることに決めたのである。
 再び転移させられた馬はやはり驚き、興奮していたが、今ではフィシュア達の隣で静かに瑞々しい青葉をはんでいた。
 
「そんなに減ってないような気がするんだけどな」
 ケーキを食べながら眼下に流れる河へと視線を落としていたフィシュアは訝しげに眉をひそめた。
「ここでこれだけ流れてるのに、本当に水量が極端に下がっているなんてこと有り得るのかしら?」
 上流の水かさが減っている場合、下流も水かさが減るだろう。その結果、水不足になっているということなら納得できる。
 しかし、この大河の上流から辿って来た限りでは、そんな様子は見られなかった。
 そして、やはり、この目の前に広がる河も同様に異変は見られない。豊富な水量を保って悠々と流れている。
 だが、水場を好むはずの蝶、キックリーレの群れの一部がエルーカ村まで来たのは確かな事実なのだ。
「この先に異変が起きてるってこと……?」
 フィシュアは、そう呟き、河の流れる方向へと目を向けた。
「どっちにしろ、行ってみないことには何とも言えないだろう」
 シェラートの言葉に、フィシュアは水の流れから丘の下に連なる斜の大きい薄茶の屋根へと視線を変え、頷いた。
「……そうね、とりあえず今日は街の人に話でも聞いてみましょうか」
 
 
 物と人でごった返した市場の中をルンルンという効果音が似合いそうな足取りで意気揚々と散策をし始めたフィシュアとは対照的に、テトとシェラートの男二人組はその後をげんなりとした表情でとぼとぼと歩いていた。
「ちょっと、二人とも早く~!!」
 フィシュアは今までに見たこともないくらい上機嫌な様子ではしゃいでいる。
 あっちの店へ、こっちの店へと次々に入り、もはや、ここにある全ての店を制覇する勢いだった。
「く……臭い……」
 とても堪えられない匂いに鼻に手を添えているテトの呟きに、同じく鼻をつまんでいたシェラートは深く首肯した。
 けれど、大分前を歩いていたフィシュアには聞こえなかったらしく、こちらに向かってぶんぶんと手招きをしている。
 
 ここ、リシュトワは香油を中心に栄えている街である。
 もともと香油の生産が盛んにおこなわれているガンジアル地方の中でも一、二を争うリシュトワには数千種類以上の香油が売られている。
 各店によってその都度調合された香油は、微妙に異なりどれ一つとして同じものはない。だからこそ、たくさんの香油店がひしめきあう中、地方から多くの人が一点物の香油を求めて集まり、繁盛していた。
 店先には香油を入れた大瓶がずらりと並べられ、その横には香油を取り分ける為のガラスの小瓶が色とりどりに輝きを放っている。
 それこそが、リシュトワが香油の街と呼ばれるのと同時に、光り輝く宝石の街と呼ばれる所以(ゆえん)でもあった。
 けれど、多種多様な香りが混じり合ったこの場所は、ある者には喜びを与えるが、またある者、テトやシェラートのように香油には全く興味のない者には、ただ、ただ、臭いだけの辛い場所であった。
 テトとシェラートは一つ一つ香りを嗅いでは、「こっちの方がいいわね」 と香油を選んでいるフィシュアを見て、よくこんな強烈な匂いの中嗅ぎ分けられるものだ、と感心しきりではあったが、早く宿に逃れたいとそればかりを切々と願っていた。
 
 
 ようやく宿へと辿り着いたテトはパタリとベッドに倒れ込んだ。
「助かった……」
 シェラートもテトのベッドのへりに座り込み、とても疲れた顔をしていた。
「なんか鼻がおかしくなった気がする。まだ、なんか匂いがしない?」
「服に匂いが付いてるみたいだな……」
 はぁ~、と男二人が深い溜息をついてるその横で、フィシュアは今日買ったり、貰ったりしたばかりの香油の入った赤や青、紫といった色とりどりの鮮やかな小さな瓶たちを机の上に一列に並べて、嬉しそうに眺めていた。
「さて、今日はどれにしようかしら」
 ウキウキとしたフィシュアの言葉にテトは信じられない、という顔をしてガバッとベッドから起き上がった。
 その横では、やはりシェラートもやめてくれ、と顔をしかめている。
「フィシュア、それつけるの……?」
「大丈夫よ。あそこはすごくたくさんの香油の匂いが混じり合ってたから、ちょっと匂いがきつかったけど、一つ一つはいい香りなんだから。」
 ほら、と差し出された小瓶を、しかし、テトは蓋を開けずにフィシュアへと押し返した。
「瓶は綺麗なんだけどね……」
「それも、楽しみの一つだからね。ほら、見て、これは花から作ったから花の飾りが付いてるでしょう? こっちのは、果物から作ってるんだけど、なぜか、鳥の形をしてたり。ね、面白いでしょう?」
「うん、面白いんだけどね……」
「フィシュア、今日はホントご機嫌だな……」
「だって、欲しかったものも買えたし、こんなに貰えたんだもの。ほんっと宵の歌姫やってて良かったぁ~!!
「―――ちゃんと仕事もしろよ?」
「もちろん。だから今選んでるんじゃない!」
「……そうなんだ」
「もうつけなくてもいいんじゃないか?」
 どうやら相当嫌気がさしているらしいテトとシェラートを無視し、フィシュアは満面の笑みで深い青紫の瓶を一つ摘まんで、蓋を開けた。
「よし、これにしよう! 爽やかな甘い香り!!」
 鼻歌を歌いながら、「よし、そろそろ準備するかぁ」と席を立ったフィシュアが、「爽やかな甘い香りってなんだよ」 というシェラートの突っ込みを軽く流したのは言うまでもない。
 
 
 
タン、タタタン、タン
タン、タタタン、タン
 
~~~~――  ――――  ~-~~、
~~-~  ~~~  ――~-  ―――
 
――  ~~~  ――  ~~~
――  ~~~  ――  ~~~
 
~~~~――  ――――― ~-~~
~~-~  ~~~  ――~-  ―――
 
~~~~
 
 
 小気味の良い足踏みと共に刻まれるのは、ここではない異国の言葉。
 単調なリズムに乗せられた歌は優しい響きを持つ、哀しい歌。
 意味の分からぬ詩歌に、人々は何かを感じ、分からぬ何かに思いを馳せた。
 
「―――今日のは?」
「今日のは、ずっとずっと遠い国の歌でした」
 テトの問いに答えながらフィシュアが席に着くと、甘い香りがふわりと揺れた。
 シェラートが廻してくれた、タレにたっぷり付け込んだ野菜と肉を穀物でつくられた薄皮で包んだ料理の皿にフィシュアは早速手を付け始める。
「何て歌ってたんだ?」
「え? さぁ?」
「さぁって……、内容も分からないで歌ってたのか?」
 呆れた目を向けるシェラートに、フィシュアは指に付いたタレをぺろりと舐めながら言った。
「内容は分かるけど、細かくは分からないのよ。私も旅の途中で会った吟遊詩人が歌ってたのを覚えただけだし、その人もまた別の人から伝え聞いたって言ってたわ。そうやって歌い手たちに順繰りに遠い国から歌い継がれてこの国までやってきた歌なのよ。だから、きっと、元の歌詞とは違ってるでしょうね。記憶があやふやな所は適当に歌ってるし」
「適当なのか……」
「気持ちがこもってればいいのよ」
 けろりと笑ったフィシュアの方へとテトが身を乗り出してきて首を傾げた。
「それってどんな気持ち?」
 テトの質問に、「そう聞かれるとちょっと難しいわね」 とフィシュアが苦笑する。
「この歌はね悲恋の歌なの。報われなかった恋の話が元になってるのよ。遠い遠い国のお姫様がね、恋をしたのは敵国の王だったの。姫は王に会いたいが為に自らの国を滅ぼしたのよ」
「王様も、そのお姫様のことが好きだったの?」
「いいえ、王は血に濡れた剣を持って現れた姫を忌み嫌ったわ。それが自分の為に行われた結果だと知っていても、自分の国へ確かに利益があったと知っていてもね。王は姫を牢へつないだ。けれど、牢から聞こえてきたのは楽しげな美しい歌だったの。あまりにも不審に思って自ら牢へと赴いた王は、嬉しそうに頬を染めて満面の笑みを浮かべた姫に、ただ、ただ呆れたそうよ。それでも、歌を歌えば王が来てくれるから姫は毎日のように歌を歌った。でもね、ようやく姫の思いが通じた後、その幸せは長くは続かなかったのよ」
 どうして? と首をひねるテトに、フィシュアは横に置いてあったナイフを取って掲げた。
「姫は殺されたの。自国の民にね。自分たちを陥めておいて、姫だけ幸せになるのが許せなかったのでしょう。王は泣いたわ。かつては忌み嫌っていたはずの姫の為に。そして、確かに愛していた姫の為に。だから王は、愛するただ一人の男の為に自国を滅ぼした姫の愚かで、そして哀しい恋物語の歌を作らせたのよ。王妃になるはずだった大切な女(ひと)の為にね」
「なんだかありがちな話だな」
 シェラートのちっとも感情のこもっていない感想にフィシュアは苦笑して続けた。
「そうね、ありがち。だけど、いつの時代も、どの国でも、皆、哀しい恋の物語が好きなのよ。それらの恋はいつも哀しいけれど、どこか儚い美しさを秘めているから。だからこそ、この国まで渡って来たのよ。
 ……まぁ、私の場合は悲恋は御免だけど」
「報われないからか?」
「違うわよ。ただ面倒なだけ。そんなことで苦しい思いしたくないわ。権力と財産さえあれば私は誰でもいいもの。どうせなら楽な恋がいいわ」
「そんなこと言ってる時点で、恋じゃないだろう……」
「あは、それもそうね」
 けらけらと笑っているフィシュアに、シェラートはこんな奴が悲恋の歌を歌っていいのだろうか、と嘆息した。フィシュアの歌を聴いて感動していた人々が哀れでならない。
 
「でも、僕もいつか恋をするなら、楽しい方がいいなぁ」
 コップを持ってうっとりと呟いたテトにフィシュアは微笑みかけた。
「そうね、じゃあ、今日は久しぶりに、寝る前に素敵な恋の御伽話でもしてあげましょうか。このラピスラズリにまつわるトゥッシトリア(三番目の姫)とジーニー(魔神)の御伽話よ」
 どう? と尋ねるフィシュアに勢い良く頷いたテトは急いで料理を食べだした。
 その様子に苦笑しながら、フィシュアもまた料理の続きを食べ始めたのだった。
 
 
 
 
 

(c)aruhi 2008