ラピスラズリのかけら 4:シェラート 2 三番目の姫と魔神

 

「これはね、私のおばあ様から聞いた話なの」
 テトがベッドに入ったのを確認すると、フィシュアはその前に椅子を持って来て座り、話し出した。
「このラピスラズリがこのダランズール帝国のまもり石になったのはそんなに昔のことじゃないの。元々ラピスラズリが魔に対して強い影響力を持ってると教えてくれたのが今から話す御伽話に出てくるジーニー(魔神)なのよ」
「じゃあ、その話は実際にあった話なの?」
 テトの問いにフィシュアは笑った。
「さあ、そう聞いてるけど、実際に見た訳じゃ無いから何とも言えないわね。とにかくこれは、200年と少し前のお話。
 昔々、この国にはとっても綺麗なお姫様たちがいました。その中でも一番の美人だったのが、トゥッシトリア。トゥッス(3)とトリア(姫)で、トゥッシトリア(三番目の姫)よ」
 前に習った数字の言葉が出て来て、テトはなるほど、と頷く。
「光る茶色の髪に藍の瞳。誰もが彼女を美しいと褒め讃えたわ」
「なんだか、フィシュアみたいなお姫様だね」
「何、テト? 嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「―――テトはフィシュアが美人だとは一言も言ってないだろう」
「ちょっと、シェラート。水差さないでちょうだい!」
 キッと鋭い藍の目に一閃されたシェラートは肩を竦めて、小さく嘆息した。
「とにかくトゥッシトリア(三番目の姫)の美しさは他国にも伝え及んだほどでね、この世界にその名を知らぬ者はいなかったのよ。そして、ある日、トゥッシトリア(三番目の姫)は隣の国への旅の途中に現れた恐ろしい魔物に攫われてしまったの。その魔物は巨大な体に、牛を一呑みにするほどの大きく裂けた赤い口、ぎょろりとした三つの目、二つの角を持った恐ろしいものだった。勇敢な男たちはこぞって、自分が姫を助けるのだ、と意気込んで出かけたわ。それこそ何百、何千人、各国の王から平民までさまざまな民族身分の男たちがね。けれど、誰もトゥッシトリア(三番目の姫)を助けることができなかった。それどころか、帰って来る者はほんの一握り。そしてそれらの男たちの誰もが魔物と対峙した恐ろしさに家から一歩も出てこられなくなるほどに怯え震えていたそうよ。それからは、誰もトゥッシトリア(三番目の姫)を助けようとする者はなく、皆はトゥッシトリア(三番目の姫)のことを諦め、忘れようとした。
 だけど、ただ一人、トゥッシトリア(三番目の姫)を助けだそうと名乗りを上げた者がいた。それが……」
「ジーニー(魔神)だったんだね!?」
 キラキラと瞳を輝かせて見上げるテトにフィシュアは頷いた。
「そう、ジーニー(魔神)。唯一、魔物と対峙できるほどの強い力を持った存在。しかも、そのジーニー(魔神)は、ジーニー(魔神)の中のジーニー(魔神)。ジーニー(魔神)の王様だったの。彼は皆が苦労しても倒すことのできなかった魔物を圧倒的な力であっさり倒してトゥッシトリア(三番目の姫)を助け出したわ。そして、ジーニー(魔神)は自身が助けだした姫に一目で恋に落ちるの。トゥッシトリア(三番目の姫)もまた自分を救ってくれたジーニー(魔神)に恋をする。
 けれど、ここで問題が一つ。ジーニー(魔神)はなかなか年を取らない」
 フィシュアが掲げた人差し指を見ながらテトは首を傾げた。
「それのどこが問題なの?」
 どちらも好きならそれでいいじゃないか、という顔をしているテトにフィシュアは説明し始めた。
「それこそが大きな問題なのよ、テト。ジーニー(魔神)とジン(魔人)は人の何百倍もの長い歳月を生きるの。彼らの寿命は人よりも途方もなく長いのよ。ほら、シェラートだって若そうに見えるけど実は200歳をゆうに超えてるでしょう? 私達のひいお祖父さんの、そのまたひいお祖父さんよりもお爺さんなのよ?」
 そっか、とテトはベッドの中で感心したように頷いたが、当のシェラートはフィシュアの説明に顔をしかめた。爺さん呼ばわりされるのは、やはり嬉しいものではない。
「つまりね、トゥッシトリア(三番目の姫)が年を取っておばあさんになっても、ジーニー(魔神)はまだ若いまま。ジーニー(魔神)の力をもってすれば姿形を年老いた姿に変えるのはきっと容易いのでしょうけど、彼は確実にトゥッシトリア(三番目の姫)の寿命が尽きる日を目の当たりにする。一人、老いて弱っていくトゥッシトリア(三番目の姫)の姿を見届けなくちゃならないわ。自分は一緒に年を取れない、必ず置いて行かれるという辛さを持ちながらね。だから、このことは二人にとっては大きな問題だったのよ。特にジーニー(魔神)にとってはね。
 そうして、もう一つの問題もあったの。こちらはトゥッシトリア(三番目の姫)が姫であったということ。トゥッシトリア(三番目の姫)は六番目以下の末の姫君たちではなくて三番目という割と上位の姫だったから、果たす役目も、その大きさも末姫たちの比では無かったの。だから皇帝、皇妃、皇子、皇女といった皇宮に住まう誰もがトゥッシトリア(三番目の姫)をジーニー(魔神)に渡すことを反対した。けど、まぁ、こっちはすぐに解決したのよ。それが、この国のまもり石であるラピスラズリと関係してくるの。ジーニー(魔神)は彼らからトゥッシトリア(三番目の姫)を貰い受ける代わりに、彼ら皇族に魔に対抗する絶対的な手段であるラピスラズリの力を与えた。そして、その力が子々孫々代々受け継がれるよう守をかけた。だから、皇族が持つラピスラズリは他のどのラピスラズリよりも絶対的な力を持っているのよ。
 さて、話を戻すわね。こうして、トゥッシトリア(三番目の姫)とジーニー(魔神)は誰に文句を言われることもなく一緒になることができたんだけど、さっきも言ったみたいにジーニー(魔神)がジーニー(魔神)であること自体が問題だったの。二人は世界中を飛び回って、ジーニー(魔神)が人間になれる方法を探したわ。けれど、そんな方法なんてどこを探してもとうとう見つからなかったの。二人は諦めるしかなかった。そして、それと同時に、ジーニー(魔神)はトゥッシトリア(三番目の姫)から離れることを決意したの。彼は自分と一緒にいたら彼女もまた同じくらい苦しむことを知っていたから。自分と別れた後、トゥッシトリア(三番目の姫)が苦しんだとしても、彼女が新たな幸福を見出してくれるなら、その苦しみは長く続く苦しみよりも遥かに短い。だから、ジーニー(魔神)はトゥッシトリア(三番目の姫)との別れを選んだ。そして、最後に自分の持てるありったけの力を持ってトゥッシトリア(三番目の姫)への守護と幸福を併せ持った別れの口付けをした。
 そしてね……、ジーニー(魔神)がトゥッシトリア(三番目の姫)に口付けたその瞬間、突然、ジーニー(魔神)の片腕の紋様が光り出したの。もちろん、人間であるトゥッシトリア(三番目の姫)にはジーニー(魔神)の紋様なんて見えなかったのだけど、急に輝きだした光に目がくらんで瞳を閉じたトゥッシトリア(三番目の姫)が次に見たのは、呆気にとられて口を開けた彼だった。そして、彼は言ったの。『紋様が消えた……』って。紋様はジーニー(魔神)がジーニー(魔神)たりえたる証。紋様が消えたってことは……」
「ジーニー(魔神)は人間になれたんだね?」
「そう、その通りよ。愛するトゥッシトリア(三番目の姫)との口付けによって人間になったジーニー(魔神)はその後、皇都から少し離れた川辺に移り住み、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
 パチパチと拍手をしながら、「よかったねぇ」 と感想を漏らすテトの頭を撫で、フィシュアはテトの手を掛布の中へと入れてあげた。
「さあ、御伽話も終わったことだし、テトはもうお休みの時間よ」
 はーい、と小さく返事をしたテトの口が欠伸へと変わる。
 そんなテトの栗色の髪をフィシュアがふわりふわりと撫でていると、その動きに合わせてテトの瞼が落ちていき、やがてスピスピと寝息をたて始めた。
 あっという間に眠りに落ちてしまったテトを起こさないように笑いをこらえながら、フィシュアはそっと立ち上がる。
 
 けれど、自分ももうそろそろ部屋に戻ろうと扉へ向かう途中、テトのベッドの向かいのベッドに腰かけていたシェラートが目に入り、フィシュアは思わず足を止めてしまった。
 
「……シェラート? 何その顔……?」
 
 そこには苦笑いを浮かべ、胡坐をかきながら、今までにないほど呆れた目線を送って固まっているシェラートの姿があった。
「――――そんな話になってたのか……?」
 ようやく口を開いたシェラートにフィシュアは首を傾げる。
「そんな話って何が?」
「そのジーニー(魔神)とトゥッシトリア(三番目の姫)の話だ」
「―――ああ」
 ようやく合点がいったフィシュアはシェラートの隣に腰を下ろした。
「そっか、シェラートも200年ちょっと前なら生きてたはずだものね。もしかして、この話に出てくるジーニー(魔神)ってシェラートの知り合いなの?」
「知ってるも何も、あのジジイ……」
 あからさまに、苦々しげに顔をしかめたシェラートにフィシュアは問いかけた。
「―――で、そのジーニー(魔神)って格好良かった?」
 体を乗り出して聞いて来るフィシュアの瞳が心なしか輝いているような気がして、シェラートは後ずさりし、怪訝そうにさらに眉を寄せた。
「そんなこと知ってどうするんだ。」
「え~? だって、私の憧れの人だったんだもの」
「は!?」
「女の子は誰だって御伽話の中の登場人物に一度は憧れるものでしょう?」
 驚くシェラートにフィシュアはそう言ってクスクスと笑う。
 それは、どこか、遠い昔を懐かしんでいるようでもあった。
 それで? と再び尋ねてくるフィシュアにシェラートは嘆息を落とした。
「あのジジイの性格は最悪だ」
 ものすごく嫌そうな顔をして、彼のジーニー(魔神)を思い出しているらしいシェラートに、フィシュアはケラケラと笑いだした。
「何? そんなに仲が悪かったの? 一体どういう縁なのよ?」
「仲が悪かったというか……俺に魔法を教え込んだのはそいつだ」
「は!?」
 今度はシェラートの言葉にフィシュアが驚く番だった。
「別にそんなに驚くことでもないだろう」
「いや、普通驚くわよ。シェラートが御伽話の中の人物とそんなに近いつながりがあったなんてね……」
 何かを吟味するように口をつぐんでいたフィシュアは、「ねえ」 と再びシェラートに話しかけた。
「あの御伽話って、どこまでが本当なの? 魔物が出てくるくだりは……、まぁ、後から脚色されたんだろうなって分かったんだけど。だって、魔物が実際に存在するなんて話聞いたこともないし。シェラートは全部知ってるんでしょう?」
「全部知ってるってわけじゃないが……合ってるのは五分の一くらいじゃないか? ジーニー(魔神)が性格よさそうに書かれている部分は全部嘘だろうしな。大体、トゥッシトリア(三番目の姫)を初めに攫ったのはあのジジイ自身だ。」
「―――嘘!?」
 声を上げたフィシュアにシェラートが呆れた目を送る。
「大声を出すな。テトが起きるだろうが。第一、嘘をついて俺に何の得がある? ああ、そうだ、別れを切り出したのもトゥッシトリア(三番目の姫)の方だぞ? 自分が年老いていく姿を見られたくないって言ってな」
「あぁ、うん。それは分かるかも。私も同じ立場だったらきっとそう思うわ。相手が若いままなら尚更よね。……じゃあ、トゥッシトリア(三番目の姫)との口付けでジーニー(魔神)が人間に戻れたって話は?」
「――――そんなことで済んだんなら、ジジイは苦労しなかっただろうな。ましてや今、この状況があるわけがない……
 
「―――シェラート?」
 翡翠の瞳が陰ったような気がして、フィシュアは思わずシェラートの顔を覗き込んだ。
 けれど、シェラートは苦笑しただけで、フィシュアの頭にポンと手を置いた。
「……悪いが昔話はもうお終いだ。ジジイの話を聞いたせいで、嫌な思い出まで思い出したからな。今日はもう寝る。フィシュアも早く寝ろ」
 
「……うん。おやすみ」
 
 シェラートが口にした言葉の意味は一体どういうことだったのか。
 きっと何かがあったのだろう、と感じたのは確かだったが、その時フィシュアにできたのはただ頷いて静かに戸を閉めることだけだった。
 
 
 
 
 

(c)aruhi 2008