ラピスラズリのかけら 夜伽話のその先に 2

 

 サーシャは随分と大きくなった自分のお腹を擦りながら、よっこらしょ、と椅子に腰かけた。
 自分の中にもう一人、命を持った人間が入っているなんて何とも不思議な感覚である。
 けれど、自然と顔を綻ばせながら、ふっくらとした暖かな腹へと手を乗せる。
 その上に小さな手が恐る恐ると重ねられ、サーシャは息子へと幸せそうに微笑みを向けた。
「アズーも、もうすぐお兄ちゃんね」
 三歳となったアズーが、うっとりとした笑みを浮かべて頷いた。
 
 後ろから包み込むように抱きしめられ、突然こめかみに落とされた口付けにサーシャは眉を寄せながら夫を見上げた。
「―――ちょっと、ガジェン!!」
「ん~~~? 何だぁ?」
 サーシャの抗議にくつくつと笑いながらも艶やかに輝く黒髪を梳き、ガジェンは白い首筋へと口付けを落とした。
 ぴくり、と反応しながら睨みつけてくるエメラルドの瞳に、またもや、ガジェンはケタケタと笑う。
「―――アズー!」
「こら! 父さん! 母さんをいじめるんじゃない!!」
 サーシャの訴えにキッと自分を睨む我が息子を見て、ガジェンは溜息を落とした。
「アズー……、父さんじゃなくて、パパだろう? いつの間にそんな言葉覚えたんだ……」
 本当に残念そうに言うガジェンに、サーシャは心底呆れたような目を向けた。
「そんな言葉って……、ガジェン、お前、アズーをこんな所で育てていたくせによく言うな? 本来なら良くまともに育ったものだとアズーを褒め称えるべきだ」
 そう言うとサーシャはぐるり、と辺りを見渡した。
 その場所、ガジェン行きつけの酒屋には元海賊ども並びに、その他良く分からない様々な男たちがひしめき合っていた。
 ここに飛び交う言葉は、決して綺麗な言葉ではない。というか、はっきり言って汚ない。
 本当に、よくこの男たちの影響を受けなかったものだ。
 数年前とちっとも変わらず、にたにたと笑みを浮かべてこちらを観察している男たちにサーシャは嘆息した。
「お前達は人のことをじろじろ見ている暇があったら、さっさと嫁でも探せ!」
「いや、だって、わざわざ嫁を探すよりもサーシャさん見てた方がいいし。目の保養になる。その美貌、見てるだけで幸せ」
「お前ら、俺の許可なく勝手に見るな!!」
「だから、人前でそういうこと言うのはやめろ!!」
「こらー! 父さん、それ以上母さんにくっつくな!!」
 皆から隠すように、なお妻を抱きしめたガジェンに、サーシャが赤面し、アズーがポカスカと父に殴りかかる。
 いつまでも続くとも見えたこの騒ぎは、しかし、一つの小さな動きによってぴたりと止まった。
 
「―――今、動いた?」
 
 確かめるように洩らされたサーシャの呟きに、その場に集っていた誰もが己の席を立ち、一斉に彼女を取り囲むように、ゆっくりと近づいていった。
「動いたのか?」
「―――うん、多分」
 ガジェンの問いにサーシャが頷いた途端、皆の視線が膨らんだ彼女の腹へと移る。
 
 皆が息を呑んで見つめる中、再び、サーシャの腹が微かに動き、ポン、という小さな音と共に何とも可愛らしいピンクの花が宙に現れ、咲いた。
 
「――――は、花?」
 
 今まで見たこともない、いや、あるはずがない、妊婦の腹の真上で花が咲くという現象に、皆が唖然として口を開く。
 
「これって、まさか…………」
 
 サーシャの呟きに、ふぉっふぉっ、と目を細めて笑いながら、真っ白な長いひげを蓄えた一人の老人、北西の賢者が口を開いた。
 
「どうやら、サーシャ殿の御子は儂等の仲間となってくれるようじゃの。その花からいくと、どうやら可愛らしい女の子のようじゃ。腹の中にいる頃から、魔法を使うとは、ほんに行く末が楽しみじゃのぉ」
 
 
 こうして、ただ一人、ふぉっふぉっふぉっ、という北西の賢者の笑い声だけが響く酒場、多くの大人たちと兄になる少年が呆然と見守る中で次代の東の国の魔女は早くもその頭角を現したのであった。
 

 

 

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