ラピスラズリのかけら 夜伽話のその先に 3

 

「あきゃっ」
 ガシャーン、バリバリ、ドッコーン。
「あぁぁ、クィーナ、またやったな! サーシャ!」
「……だめ……、眠い……」
「うわっ、馬鹿、階段で寝るな! 落ちるって―――やっぱり!!」
 ズサー、トス、ドスン。
 
 近頃皇都の片隅にある見た目はごく普通の家で繰り返される騒音。
 ある日、突然響きだしたこの怪奇な音に事情を知らない都の人々は魔物が現れたのではないかと日々恐怖に怯えた。
 しかし、その怪音の正体はようやく笑えるようになったばかり、生まれたばかりの、まるで天使のように可愛らしい一人の女の赤子であった。
 
 父と同じ青の瞳、母と同じ漆黒の髪を持つこの赤子。
 皆に望まれて生まれ、クィーナと名付けられたこの女の子は、それはそれは大切に両親と兄によって慈しまれていた。
 ――――が、恐ろしく強かった。
 
 
「大丈夫か?」
「……うぅ、ごめん。あんまりにも暴れるから魔法で眠らせようとしたら、弾き返された……」
 それだけ告げ終わるとサーシャはガジェンの腕の中でコテンと力尽きた。
「こいつより強いのか……!?」
 ガジェンはすやすやと気持ちよさそうに寝息をたて始めたサーシャを抱えたまま、「きゃっきゃっ」 と小さな馬のぬいぐるみを手に笑っているクィーナへと目を向ける。
 四人いる魔女の中でも天賦の才を持つといわれる東の国の魔女を呆気なく倒した我が子にガジェンはただただ目を見張るしかなかった。
 
 
「ふむ。こんなことは前例がありませんからなぁ」
 翌日、訪れた北西の賢者シュザネは育児疲れでやつれたサーシャとガジェンを前に、出された茶を啜った。
 今問題となっているクィーナはシュザネから貰った、転がすと音がカランコロンと鳴る球の玩具を物珍しそうに眺めていて、とりあえず落ち着いている。
「アズーの時も大変だと思ったが、クィーナはその数十倍上をいくな……」
「魔法もまだ制御できる段階じゃないから、意識して使ってない分やかっかいだ……」
「そもそも、魔女や賢者の素質がある者が力を発揮しだすのは言葉が話せるようになってからのはずなのですがね。言の葉に力をのせる必要があるからの。まぁ、魔女の子も魔女なんてこと今まで一度も起こってませんでしたからね。しかも、その母親が儂等の中で最も力の強いサーシャ殿ですからな。他の子よりもよっぽど強い力を持っておるのでしょう」
 ふぉっふぉっふぉっ、と白く長いひげを揺すりながら笑いだした西の賢者に、サーシャとガジェンは笑い事じゃない、とがっくりと肩を落とした。
「まぁまぁ、そう落ち込まんで。今日は良いものを持ってきましたよ」
 そう言って、シュザネが取り出したのは淡く白い光を放つ小さな真珠の付いた指輪だった。
 サーシャは指輪を受け取りながら、灯りへと掲げる。
「―――魔力封じの魔法飾ですか?」
「そうじゃ。それをとりあえず、つけておけばよい。クィーナ殿がもう少し成長して魔力の制御訓練ができるようになれば外せば良いからの」
 そんなことなど全く思いもつかなかったサーシャとガジェンはシュザネの機転に深々と頭を下げた。
 これでやっとあの嵐の日々から解放される!!
 
 さて、しかし、問題はここからだった。
 両親の喜びに満ちた不穏な動きを素早く感じ取ったクィーナが泣きだしたのだ。
 それと同時に激しい風が巻き起こり、本やぬいぐるみ、皿、コップ等とにかくその部屋にある全てのものが舞い始めた。
「クィーナ、やめなさい!」
 サーシャの怒った声にますます火が付いたように泣きだしたクィーナの周りの風力が増す。
「――――くっ!!」
 大人三人は必死に左右から飛んで来る物々を避け、サーシャとシュザネが防御壁を張った。
 二人ともそれぞれの技を駆使しながら、幼い赤子の元へと少しずつ近づいてゆく。
 防御壁の中でその様子を見守っていたガジェンは、名のある魔女と賢者を苦戦させているクィーナに、もはや感嘆の眼差しを送ることしかできなかった。
 
「ちょっと、父さん、母さん、それにシュザネのじいちゃんまで! 何やってるんだよ!」
 怒りながら上階からの階段を降りてきたアズーは防御壁の中をすたすたと歩きはじめた。
「―――ちょっと待て、アズー、そこから出るな!」
 しかし、ガジェンの慌てた声を無視して透明に光る防御壁から出たアズーはそのまま小さな妹の元へと向かった。
 
 
「……あれ? 風が止まった」
 驚いたサーシャの横に舞い上がっていた数々の物がドサドサッと落ちてくる。
 「きゃっきゃっ」という高く可愛らしい声がした方向へと目を向けるとクィーナが笑っていた。
 さらに、クィーナの目線の先に少し怒った様子のアズーを見つけてサーシャは事が終わったらしいことに安堵し、その場に立ち尽くした。
「アズー。来てくれて助かった……」
 アズーはクィーナを抱き上げながら、ほぅ、と疲れたように溜息を洩らしたサーシャに向かって口を開いた。
「母さん達がクィーナを怖がらせるからいけないんだろう。一体何をしようとしたんだよ?」
 すっかり兄となったアズーに抱きかかえられて嬉しそうに笑うクィーナを見ながら、サーシャは、「本当にクィーナはお兄ちゃんが好きなのね」と笑った。
「ごめん、アズー。ちょっと魔力封じの指輪をクィーナにつけておこうと思って。制御できない魔力を使うのは周りの者にとってもそうだけど、術者にとっても危険なのよ。悪いんだけど、これ、クィーナの指にはめてちょうだい?」
 アズーは一つ頷くと母から受け取った真珠の指輪を妹の小さくて細い指にはめた。
 クィーナは自分の指で淡い光を放つ真珠の指輪に首を傾げ、つついたり、興味を示し始めた。
 そんな小さな妹の様子をアズーが温かな目で見守る。
 
「――――――終わった」
 
 何処からともなく、深い深い疲労の滲んだ溜息が落ち、大人たち三人はそれぞれ床にへたり込んだ。
 そして、その時誰もが悟ったのだった。
 この家で一番最強なのは小さな女の赤子よりも、その兄となったアズーだったのだと。
 
 兄の後を、ちょこまかと不安定な足取りで女の子が付いて回るようになるのはそう遠い話ではない。
 
 
 
 
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