ラピスラズリのかけら 4:シェラート 4 水端の巫女【2】

 

「誰かこっちに走って来る」
 テトが呟いた言葉にフィシュアとシェラートは駆けさせていた馬の歩を緩めて歩みへと変えた。
 見ると、テトが言った通り、三人の前方、道の真ん中を白い衣を纏った小さな少女がこちらに向かって駆けて来るところだった。
 歳はちょうどテトと同じくらいだろうか。
 とにかく両手いっぱいに花を抱え、楽しそうに笑みを浮かべながら走っている少女。
 その後ろからは黒い衣を纏った男が両手を伸ばしながら、白い衣を翻す少女を必死に追いかけていた。
「あんなに急いでどうしたのかしら?」
「人攫い? 大丈夫かな、あの子?」
「いや、そんな奴に追われてるんだったら笑いながら逃げはしないだろう……」
「じゃあ、追いかけっこかな?」
「…………」
 本人はいたって真剣な顔をして、首を傾げながら考えているらしいテトの様子にシェラートはそれ以上突っ込まず素直に口をつぐむことにした。
 息を弾ませながらとうとう目の前までやって来た少女はニコッと可愛らしい笑みをつくり、フィシュア達を見上げたかと思うと、三人の眼前に辿り着く直前、勢いよく転倒した。
 その拍子に少女が両腕に持っていた色とりどりの花々が舞い散る。
 花束を抱えていたせいで手を付くことができなかったらしい少女は当然ながら顔面から地面へと突っ込んだ。
 フィシュアとシェラートが唖然として、その様子を眺めていた中、ただ一人テトだけは慌てて馬から飛び降りた。
 辺りに散乱した小さな花々を気にも留めず、地面に伏したままの少女へと駆け寄る。
「大丈夫?」
 テトの言葉に反応して顔を上げた少女が顔に泥をつけたままではあったが、大丈夫、とでも言うように、またニコリと笑った。
 その表情に安堵したテトが少女の体を起こしてあげようと手を伸ばした時だった――――――
「―――メイリィ様に穢れた手で触らないでください!!」
「―――え?」
 突然聞こえてきた怒鳴り声にテトが振り向くと、やっとのことで追いついたらしい黒衣の男がぜいぜいと肩を揺らしながらこちらを睨んでいた。
 その隙に自分で立ち上がった少女は、パンッと衣に付いた泥を払い、顔を拭うと、黒衣の男に向き直った。
 怒ったように腰に手を当ててパクパクと口を動かす少女に、男は困ったように、「しかしですねぇ」 と反論する。だが、やがて諦めたように深い溜息を吐いた。
 それを見届けると、少女は満足したように一つ頷き、今度は呆然とその様子を眺めていたテトの方へと振り返って勢いよく深々と頭を下げた。
 どうやら、謝罪しているらしい少女にテトは少し慌てながら顔の前でぶんぶんと両手を振った。
「え、大丈夫だよ、別に気にしてないから!」
 テトの言葉に少女は安心したように胸に手をつけ、ぷはっと息を漏らすと、もう一度頭を下げた。
 どうやら、今度は“ありがとう”と礼を言っているらしい。
「うん、どういたしまして」
 テトが笑みを浮かべてそう言うと、顔を上げた少女は嬉しそうにニコリと微笑んだ。
 それから、少女はきょろきょろと花が散らばっている地面を見渡し、かろうじてつぶれていない小さな野の花を見つけ出すと、一つ拾い上げてテトの方へと差し出した。
「くれるの?」
 差し出された薄桃の愛らしい花に、テトがそう問うと、少女は頷きを返した。
 テトが、「ありがとう」 とその花を受け取ると少女は照れたように小さく笑みを浮かべて首肯する。
 少女はテトと彼が手にした花を満足そうに交互に見ていたが、次いで、自分がやって来た道の方向を指差した。
「あっち?」
 テトが尋ねると少女はコクコクと頷きを返す。
 けれど、どうすればいいのかテトがフィシュア達を見上げると、フィシュアとシェラートもお互いに顔を見合わせているところだった。
 
「……メイリィ様は、あなた方を我が村の客として歓迎する、と仰られているのです」
 どこか憮然とした表情を浮かべながらも黒衣の男は静かにそう告げた。
 その通りだ、とでも言うかのように少女は笑みを絶やさぬまま再びコクコクと頷く。
「どうする? 方向は……」
 フィシュアは隣で同じく馬上にいるシェラートへと目を向けた。
「方向はあってる。ジン(魔人)の場所もここからかなり近いな」
「それなら、この先の村に関わっている可能性も充分に有り得るってわけね」
「ああ」
 シェラートの頷きに、フィシュアは手を顎に寄せ少し考える様に眉を顰めたが、その決断は早かった。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」
 フィシュアがそう言葉を返すと、黒衣の男は小さく礼をして、すぐさま前を先導し始めた。
 その後を跳ねる様に少女が付いて行く。
 フィシュアとシェラートも馬から降りると先に少女と一緒に進んでいるテトの背中を見ながらゆっくりと歩き出した。
 
「けど、意外だったな」
 突然そう切り出したシェラートに、フィシュアは、「何が?」 と首を傾げた。
「あんなこと言われたらフィシュアは怒りだすだろうと思って冷や冷やしていた」
 少女を助けようとしたテトに向かって“穢れた手”などと言われてシェラートは正直かなりムッとしたのだ。そして、同じ様に一部始終を眺めていたフィシュアが怒って眉根を寄せたのにも気付いていた。
 ここで普段の彼女なら男に向かって、「その言い方は無いんじゃない?」 とかすぐに文句の一つや二つ言っていただろう。けれど、フィシュアはそうはせず、ただ黙っていた。
 シェラートはそのことを不思議に思ったのだ。
「ああ、あれね。でも、それは、こっちの台詞よ。よく我慢したわね」
「俺はフィシュアほど大人気なくはない」
「そうとは思えないけど」
 からかうようにシェラートを見上げて笑ったフィシュアは、「だけど」 と呟いて目の前で楽しげにテトと一緒に歩を進めている少女を見ながらスッと藍の瞳を細めた。
「あの子、多分巫女だから……」
 フィシュアの言葉にシェラートも前を行く少女へと目をやった。
 白い衣を翻し、無邪気な笑みを浮かべる金茶の髪の少女。
 その首に下げられているのはいくつもの水晶を紐に通してつくられた首飾り。
「全ての不浄を浄化する水晶か……」
「そう。それに触るなってことはあの子はきっと自らの体を洗い清める潔斎の際中なのでしょう。近い内に何かの儀式を控えているんじゃないかしら。だから、他人である私が簡単に口出すわけにはいかなかったのよ。あちらにもそれなりの理由があるからね。“穢れた手”て言うのも文字どおりの意味ではないでしょう。彼自身もあの子に触れようとはしないし、せっかく清めた神聖な存在である彼女に余計なものを干渉させて乱したくないんじゃないかしら。まぁ、彼の言い方もどうかと思うけど」
 なるほど、と感心したように隣を歩くフィシュアを見たシェラートだったが、前触れもなく横で響き出した、「あ~~~~」 という彼女の長い呻き声にあっという間にその感情は崩れ去った。
 
 不審そうな目線へと変えたシェラートに気付くことなくフィシュアは呻きを続け、深い深い嘆息を漏らした。
「宗教が絡んでくると一気に問題がややこしくなるのよね……。特に、村の宗教は土着の文化でもあるから何かこちらが理解できないことや、不都合なことがあったとしても頭っから否定するわけにもいかないし……。せめて、ジン(魔人)とは無関係であることを祈るわ」
 
 
 
 到着したのは小さな村だった。
 入口にある二本の木の柱で作られた門を通り、足を踏み入れたその場所は村と言うよりは集落という言葉の方がしっくりきそうなほどこじんまりとしている。
 神殿だと言う純白の石造りの建物を中心に同心円を描くように木製の家々が建ち並び、さらにその外側には畑が広がっていた。
 
「野菜が干からびてる……」
 
 中心へと向かう途中、村の半数以上を占めるであろう畑を目にしたテトはその惨状に驚いた。
 作物の種類ごとに整然と並べられている多くの畑。しかし、この季節青々とその葉を風に揺らしているはずの作物はどれも萎れて、干からびていた。葉は黄色く枯れ、実は水分を失くし萎(しぼ)んでいる。
「ペルソワーム河の水位が落ちてしまってからは水を撒くことが儘(まま)ならないのです。雨も全く降りません」
 淡々と語る男の横で、今度は少女が畑の奥、より村の家々に近い部分を指差した。それを見て、男が再び口を開く。
「―――この村に残っている畑はあそこのみです。三日に一度訪れる水商人から水を全て買い上げても、あの場所を保つだけで精一杯です。水代も馬鹿になりませんから」
 少女の指の先、屋根の軒程度しかない狭い畑では、数えられるほどしかない少数の作物が弱々しく風にその身を揺らされていた。
 
 
 黒衣の男は神殿の前に辿り着くと、急に立ち止まり、神殿の向かいにある周りの家々よりも心なしか大きい家を指し示した。
「あちらがこの村の長の家です。この村で一泊したいのなら村長に願い出てみて下さい。それでは、失礼」
 まるであらかじめ用意された台詞かのように男は一気に言ってしまうと、金茶の髪の少女を促しさっさと神殿の中へと入っていってしまった。
 
「なんだか、無愛想な人ね…………」
 
 半ば呆れたように純白の神殿の入り口を眺めながら零れ落ちたフィシュアの呟きにテトとシェラートは苦笑いを浮かべながら、それぞれの心の中で彼女の感想に同意したのだった。
 
 
 
 
 

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