ラピスラズリのかけら 4:シェラート 5 水端の巫女【3】

 

「あぁ、ディクレット様でしょう? 無愛想な方だけどいい人ですよ。ぶっきら棒ながらもいつも丁寧に答えて下さるし」
 村の外で出会った素っ気無い黒衣の男とは対照的に村長はフィシュア達三人を温かく迎え入れた。水不足で困っているというのに惜しみなく出してくれた冷や水を恐縮しながらも有り難く受け取り、進められるがままに椅子へと腰掛ける。
「そう言われてみると……そうかも。村長さんの家を紹介してくれたのも、畑の様子を説明してくれたのも彼だものね」
 フィシュアの言葉に、テトも同意しながら頷く。
「あの女の子が言おうとしてることも代わりに話してあげてたしね」
「そうでしょう? あまりにも愛嬌が無いから誤解されやすいのが困ったところですが、いつも笑顔のメイリィ様の傍にいらっしゃるので少しは優しい感じに見られるのが唯一の救いですね」
 自分も席に着きながら、村長は流れ出た汗を布で拭き始めた。顔、首、そして少し禿げている頭を順繰りに拭う。
「いや、すみません。さっきまで、村の畑を見に回っていたもので、どうにもこうにも暑くって」
 村長は笑いながら、手で扇を作りパタパタと煽(あお)ぎだした。
「皆さんも見てきたでしょう? ここら一帯、もうずっと雨が降っていないから土地が乾燥しちゃってね、蒸発する水分も残って無いせいか今年はもう本当に暑くって。大体例年はもう雨季真っ盛りのはずなんですけどね。全く雨が降らないからペルソワーム河の水位もみるみるうちに減ってしまって、もうどうしようもないですよ」
「……」
 目の前の男が語った言葉に三人は押し黙り、顔を見合わせた。
 やはり、ペルソワーム河の水が途中、不自然な形で途切れて無くなってしまっていることに気付いてはいないのだ。少なくとも、この村の人々は誰も。
 ―――となると、ペルソワーム河の水量が極端に減ってしまっている個所は考えていたよりも広いのかもしれない。
 前居た街、リシュトワで聞いていた村の名は、こことは違った村だった。
 道すがら他に村は無かったようだから少し離れた場所にあるのだろう。
 それでも、他の村と全く接点がないとは考えられない。水が消えた川を目にした時テトが言っていた、“なぜ誰も気付かなかったのだろう?” という疑問に対する答えは周辺の村一帯が同じ状態にあり、異常な事が起こっているにもかかわらず、それがどの地域でも同じように起こっていた為に、自然現象であって不可思議な異常としては考えられなかった、というのも一理あるのかもしれない。
 だが、考えの深みにはまりそうになっていたフィシュアを引き上げたのは村長の意外な言葉だった。
「けれど、これもあと少しの辛抱です」
「―――え?」
 疑問を含んだ戸惑いの声に、村長は心底嬉しそうな表情を作った。
「あなた方は本当に良い時期に来られましたね。明後日、この村では水端(みずはな)の巫女であるメイリィ様が水初(みそめ)の儀を取り行うのです。そうすればこの苦しかった干ばつも終わる」
「水初の儀って?」
 聞き慣れぬ言葉にテトが問うと、村長は目線をテトに合わせてニコニコと語り出した。
「水初の儀と言うのは簡単に言うと水神様との結婚式のことだよ。メイリィ様は水神様に嫁がれて水の宮へ降りられるんだ。そうして、水神様に雨を降らしてくれるよう、お願いするんだよ」
「水神様とあの子が?」
「そうだよ」
 テトの問いに村長はそれが当り前であるかのように間も置かずに答える。けれど、さすがに変だと思ったのかテトは困惑を顔に表し始めた。
「水の宮って水の中にあるんだよね?」
「そうだよ。水神様の住まいである泉だけは不思議なことに水が枯れていないのさ」
「でも、あの子は水の中には住めないでしょう?」
「それが住めるらしいんだよ。さすが、水端の巫女様だね。そんなことは造作もないことらしい。もちろん私達のような一般の民が真似することなんて不可能だけどね
「けど……! 水神様の泉に水があるならそこから水を取ればいいじゃないか!」
「何と恐れ多いことを……!」
「あの、水端の巫女様はまだ幼いのにどうして水神様の嫁として選ばれたのですか?」
 反論したテトに対して明らかに怒り出した村長を宥める様にフィシュアはやんわりと話題を変えた。
 村長の方も村の祭事をよくは知らない、まだ幼いともいえる少年に対して思わず声を荒げてしまったことに気付き、さすがに気を咎めたらしい。少しバツの悪そうな顔をしながらフィシュアの話題に乗って来た。
「……ああ、確かにメイリィ様は10歳でまだ幼いですが、彼女は水神様に確かに愛されているのですよ。
 そうですねぇ、どこからお話したらよいでしょうか。
 まず、私達の村が崇め祭っているのは先程もお話しした通り水神様です。私達が生きていく上で水はかけがえのない大切なものでしょう?
 それに本来、この地域では多量の雨が降ります。雨は時に恵みをもたらしますが、驚異ともなります。大量の雨は作物や土地を押し流し、河を氾濫させます。だから私達にとって水は讃えるべきものであると同時に恐れるべきものなのです。
この村の神殿にはその水神様に仕える神官、巫女がおられます。あなた方がお会いになったディクレット様も神殿の神官の一人です。その中で最上位の力を持つ方が大神官様です。メイリィ様のような水端の巫女と呼ばれる方は他の巫女たちと違い、この大神官様のお告げによって選ばれます。
水神様の端に常に寄り添う者。そういった意味で“水端の巫女”と呼ばれているのです。そして、メイリィ様は歴代の水端の巫女の中でも最も力を持っており、尚且つ、初めて水神様に愛された方なのです。
メイリィ様が言葉をお話になれないことにお気付きですか?」
 村長の問いにさっきまで一緒に居た少女のことを思い浮かべ、三人はそろって頷いた。
 出会ってからこの村に着くまでメイリィは一言も言葉を発しなかった。口を動かし、指で指示したりはするが、彼女の代わりに話していたのは全てディクレットであった。それに、メイリィは転倒した時でさえ、声を上げなかったのである。
「メイリィ様はお生まれになったその瞬間から言葉をお話になれません。今は亡き前大神官様がメイリィ様を水端の巫女として指名された時、彼の方が声をお発しになれないのは、水神様がメイリィ様を愛され、選ばれたのだと。愛しき者が自分以外の他の者に話しかけるのを厭(いと)い嫌っているのだと。だからこそ、メイリィ様は話せないのであり、それこそが、彼女が水神様に愛されている証拠である、とそう仰られたのです。
現大神官様はそんな水端の巫女であるメイリィ様がこの村に留まったままになっているからこそ、水神様がお怒りになられ、雨が降らず、この度の干ばつが起きてしまったのだと私達にお教えになられました。今こそメイリィ様が水神様の元へお嫁ぎになる時である、と。だから、メイリィ様が水神様の元へと御上がりになれば、水神様も御機嫌を直して元のように恵みの雨を降らして下さることでしょう。メイリィ様もきっと水神様に大切に大切に扱われ、水の宮でお過ごしになられるはずです。皆が幸せになれる。本当に喜ばしいことです。
宵の歌姫様。あなたが通った後には必ず幸福が訪れる、とよく言いますが、その噂は本当だったのですね。水初の儀が執り行われる直前にあなたがいらして下さったんですから。まるで、その後の私たちの幸せな未来を約束してくれているようではありませんか。これは、きっと偶然なんかではありません。水神様が用意して下さった巡り合わせなのでしょう」
 
 熱っぽく語られた村長の言葉の数々はどれも真剣で、彼が心の底からそのことを信じて疑っていないことを窺わせた。
 未だ興奮冷めやらぬ様子で残っていた冷や水を飲み干した村長に向かって、フィシュアは表面上だけは穏やかな笑みを浮かべながら深く頷きを返したのだった。
 
 
 
 
 

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