ラピスラズリのかけら 4:シェラート 6 水端の巫女【4】

 

 村長に通された部屋の中。パタンと扉が閉められ、外と遮断されたのと同時にフィシュアは溜息をついた。
「フィシュアが通った後に幸福が訪れるって本当?」
 すでに椅子の上に腰を下ろして見上げてくるテトを見ながらフィシュアは首を振ると自分も手近な椅子を引き寄せて腰掛けた。
「まさか。ただ、そうねぇ……、根拠は一応あるのよ。ほら、私は仕事上バデュラの時みたいに強盗団を捕らえたりするでしょう? そしたら、まぁ、治安は前よりは良くなるわよね。他のことでもその場で何か起きてたら自分たちにできる最低限の対処をしてから次の人に引き継いだりするし。だから実際のところは“宵の歌姫が通った後”というよりは“宵闇の姫が通った後”といった方が正しいわね。
 けど……あの村長さん完全に信じきっちゃってるわね。自分が言っていることがどういうことなのか全く分かってないようだし。この分だったら村の人達は皆同じように信じているのでしょうね」
 手の出しようがないわ、とフィシュアは嘆息を洩らしながら腕組みをした。
 なんだか難しい顔をして考えているらしいフィシュアにテトはキョトンとして首を傾げた。
「どういうこと?」
 テトの問いにフィシュアは困ったように笑い、少しためらいながらも口を開いた。
「だってね、テト。この村に水が足りなくなったのはジン(魔人)のせいだと私達は知っているでしょう?
 仮にジン(魔人)が本当にあの子を望んでいた為に河の水を消したとしましょうか。だけど、そうしたら今回のことは矛盾だらけになってしまうの。
 ジン(魔人)の力を持ってすればあの子を手に入れることなんて造作もないことよ。雨を降らせないとか、ペルソワーム河の水を消すとかそんなまどろっこしいことをする必要は無いわ。
 第一この村以外に影響を与えていることにも説明がつかない。彼女を攫って自分の手元に置いておく方が絶対に簡単で手っ取り早いわ。
 それにあの子はきっと……」
 ちらりと向けられた藍の目線に、シェラートは頷くとフィシュアの言葉を引き継いだ。
「ああ、別に魔力は感じられなかった。多分何の力もない普通の子供だろう」
 予想通りのシェラートの断言にフィシュアは、「やっぱりね」と苦い笑みを浮かべた。
 魔女や賢者たち程の力を持って無いにしても多少の魔力を持つ者はいる。
 そういった者たちが普通の人よりも不思議な力を使ったという例も実際にはあるのだ。それは目立つ程のものではなく、ほんの小さなものらしいが。
 神官や巫女の中にはそういった者が多く含まれているのも知ってはいる。
 けれど、もし彼女が何かしらの不思議な力を持っていて実際に使ったことがあるなら、さっき村長が口にしなかったはずがないのだ。彼はメイリィのことを敬い、詳しくいろんな話をしてくれた。だからもしそんな力を彼女が持っているならば自分から進んで話しただろう。
 そして、メイリィが言葉を発することができないのが水神のせいではなく生まれつきのものであるとすれば、それは彼女がテトと変わらない普通の子供であることを示すことになるのだ。
 
「じゃあ、あの子は水の宮に降りれないってこと? そしたらどうなるの?」
 驚いたように黒い瞳を大きくさせたテトにフィシュアは哀しそうな笑みを浮かべて向き合った。
「テト。村の人たちはともかく、恐らく神殿に居る高位の神官や巫女たちは彼女に力が無いってことを知っているわ。水の宮に生きたまま降りることができないってことも。
 水初の儀は水神を鎮める為に彼らが考え出した生贄の儀のことなのよ。彼女は結婚という名の下、生贄として水神に捧げられるのでしょう」
それならジン(魔人)の仕業だって教えてあげようよ! だから、あの子がわざわざ水神と結婚しても意味ないって」
「無駄よ。ここみたいな小さな村での神っていうのはジーニー(魔神)やジン(魔人)を指すことが多いから。
 シェラートが言う通り、この近くに居るのがジーニー(魔神)ではなくジン(魔人)なら、恐らくこの村の神もまたジン(魔人)のことを指しているのでしょうね。この村の水神と実際にこの村から水を奪ったジン(魔人)は高い確率で一致しているはずだわ。
 だからこそ、ジン(魔人)の仕業だって言っても水初の儀は止められない。なぜなら、水端の巫女を捧げる相手は一緒だから」
「―――けど!! 何とかならないの? そんなのあの子が可哀そうすぎるよ……」
 飛び跳ねる様に楽しげに歩いていた少女を思い出す。無邪気な笑顔が、今はとても哀しいものように思えた。
 縋るように見上げてくる黒の瞳を真っ向から見ることが出来ず、フィシュアはテトから目を逸らすと床の木目へと視線を移した。
「……残念だけど、私達だけではどうすることもできないわ。宗教が関わってくる場合、私達の観点だけでそれを信仰している人達に自分達の考えを押し付けることはできない。まして、考えを変えさせるのはすごく難しいの。私達にとっては理不尽なことに思えても相手にとっては理由があっての行動だから。これは宗教以外にも当てはまることでもあるけど、宗教絡みの場合は特に注意しなくちゃいけないの。だから…………」
 
 その時コンコンと扉を叩く軽い音が鳴った。
 突然のことに三人は体をビクリとさせて、叩かれた扉の方を見た。これ以上話を続けるわけにもいかないので自然と静かになった部屋の中、一番扉に近い場所に座っていたシェラートが立ちあがり扉を開く。
 扉の向こうから顔を出したのはこの家の主人である村長だった。
 村長がにこやかに笑う。それと同時に目尻に小さな皺がより、顎の下に蓄えられた肉が二重顎を作った。
「ああ、休憩されているところすみません。でもちょっとよろしいですか?今、下にメイリィ様がいらっしゃっていてお許しが出たからテトさんと遊びたいのだそうです」
 いきなり名指しされて驚いたテトは自分の顔を指差した。
「僕と?」
 戸惑い気味に尋ねるテトに村長は頷きを返す。
「ご存じの通り、この村はとても小さいでしょう? だから、メイリィ様と同じ年頃の子どもはあまりいないのです。それに元々メイリィ様は神殿でのお勤めが忙しいのでなかなか他の子供のように遊ぶことは許されませんしね。なので、できれば一緒に遊んでいただけると私もメイリィ様も嬉しいです」
 思いもかけなかった申し出に、テトはフィシュアとシェラートを見上げた。
 どうしようか、と目で問いかけてくるテトに、フィシュアは微笑みを返す。
「テトがいいなら遊んでおいで? 本当は行きたいのでしょう?」
 うん、と頷くテトの栗色の頭にシェラートがポンッと手を乗せる。しゃがみ込み、テトと視線を合わせながらシェラートは言った。
「テトも同じようにあまり遊べている方ではないからな。楽しんでくるといい」
 パァッと顔を輝かせ、テトは勢いよく頷いた。
「それでは私は先に降りてメイリィ様に伝えてきますね」
 人の良い笑みを浮かべて元来た道へと踵を返した村長の後をテトが追う。
 けれど、ちょうどテトが廊下へと続く扉に差し掛かろうとした時、フィシュアは、「テト」 と彼の名を呼んでひきとめた。
「テト、さっきの話だけど……あの子には……」
 言い辛そうに言い淀んだフィシュアの言葉の先を察してテトは一つ頷いた。
「うん、言わないよ。それに、そんなこと笑ってるあの子に言えない……」
 それだけ言ってしまうと、テトはもう振り向かずに扉の向こうへと消えた。
 
 
 パタンと閉まる扉を見ながら、フィシュアは再び溜息を漏らす。
「あの子と仲良くなればなるほど、きっとテトは辛いでしょうね」
 脚に立て肘をつき、顎を両手に載せながら腰かけているフィシュアに向かってシェラートは翡翠の双眸を向けた。
「仕方がないことだろう」
「仕方がないかぁ……」
 仕方がない。どうしようもない。
 自分で言っておきながら、何か方法はないのだろうかと模索し始めている自分にフィシュアは自嘲した。
 そんな自分に対して、先程テトに言いかけて言えなかった言葉を心の中で反芻する。
 
 だから………諦めるしかないのよ。
 
 
 
 テトの顔を見たメイリィは一度嬉しそうに目を細めて笑うと、明るい日差しが辺りを照らしている外へと早速駆け出した。
「え、ちょっと待ってよ!! ねえってば!」
 テトが慌てて追いかけると、メイリィは道の途中で振り返り、パクパクと口を動かし始めた。
 何を伝えたいのか分からず、テトが困ったような顔をすると、今度は一音一音きちんと伝わるようにと、メイリィの口の動きがゆっくりとしたものに変わった。どうやら同じ単語を何回も繰り返しているらしい。
 メイリィが何を伝えようとしているのか見極めようとテトは動く小さな桃色の唇をじっと見据えていたが、数秒後、諦めて首を振った。
「ごめんね、何て言いたいのか分からないや」
 残念そうにテトがそう言うと、メイリィは明らかに落胆した様子で足元を見つめた。
 だが、テトがなんだか申し訳なくなってメイリィに声を掛けようとした時、彼女はお陽様のように顔を輝かせると、そうだ、とでも言うように拳を反対の掌の上へポンッと落し、地面へとしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
 テトはしゃがみ込んだまま動かないメイリィに近づき、彼女が見つめている地面を覗きこんだ。
 それに気付いたメイリィは小石を片手に、コツコツと地面を叩きながらニッコリと笑い、テトの方を見上げた。
 見ると、地面に掘られたような跡があり、その跡が作る線で文字が書かれている。メイリィが持つ小石には土が付いていたから、きっと彼女は小石を使って地面に伝えたかった言葉を書いてくれたのだろう。
「メイ……ィ?」
 けれど、文字を習い始めたばかりのテトには全ての文字を読むことはできなかった。拾えた文字だけを口に乗せて、繰り返し発音する。
 けれど、何度繰り返しても分からず、「うーん」 と呻いていると、不意にメイリィが自分自身の顔を指差して微笑んでいるのが目に飛び込んできた。目の前の少女の笑顔に、テトの中でようやく地面に書かれた文字の意味がカチリとはまった。
「あ、“メイリィ”か!!」
 テトが思わず大きな声を上げると、メイリィの方も嬉しそうに何度も頷く。
『メ・イ・リ・ィ!』
 もう一度、口をパクパク動かしメイリィが自分を指差す。今ではすっかり分かってしまった口の動きにテトはなんだか嬉しくなって声を立てて笑った。
「“メイリィ”って呼んで欲しいの?」
 メイリィがコクリと頷いたのを見て、今度はテトが自分を指差しながら言った。
「僕はテト。僕のこともテトって呼んでね」
 メイリィが目を細めて笑う。
『テト』
 声は聞こえなかったけれど、確かに聞こえた声にテトは頷きを返した。
「そう、テト。よろしくね、メイリィ」
 そう言って、テトがメイリィの前に片手を差し出す。
 けれど、全く動かないメイリィを不思議に思って首を傾げると、メイリィは困ったような哀しそうな表情を浮かべて首を数回横に振った。
 その表情にメイリィと出会った時に起こった出来事を思い出して、テトは慌てて差し出していた手を引っ込めた。
「……そっか、確か触っちゃいけないんだったよね」
『ごめんね』
「ううん、僕こそごめんね」
 目に見えてしょんぼりとしてしまった少女を何とかまた笑わせようとテトは辺りを見渡した。
「あ!」
 テトがしゃがみ込んだのを見て、今度はメイリィの方が、なんだろう、と近づいて行きテトの方を覗きこんだ。
 テトの手に握られていたのは五つの淡い水色の花弁を持った一輪の花だった。
 はい、と差し出された花をメイリィが恐る恐る受け取る。空の一部を切り取ったようなその花びらをメイリィは数秒じっと見つめ鼻に近づけると、その匂いを楽しむかのように目を閉じた。閉じた瞼の上で髪と同じ金茶のクルンとした睫毛が風で微かに揺れる。
「僕のお母さんはね、野の花が好きだったんだ。」
 テトがそう言うと、花と同じ澄んだ空色の瞳でメイリィはテトを見つめた。
「これは、今日僕がメイリィに貰った花のお返しと、友達になった記念ね。」
 その言葉にメイリィはとても嬉しいのだなと、こちらが分かり、くすぐったくなるくらいの表情で笑った。
 そして、なんだかその笑顔は彼女の手の中で風に揺れる花のようだとも、ぽっかりと白い雲を優しく鮮やかに浮かび上がらせる気持ちの良い晴れの日の空のようだとも、テトは思ったのだった。
 
 
 
 

(c)aruhi 2008