ラピスラズリのかけら 夜伽話のその先に 4

 

「実家に帰らせて頂きます!
 
 低く、低く、言い聞かせる様に紡がれた東の国の魔女の声は朗々とその家に響き渡った。
 
 彼女の娘、クィーナが生まれて間もなく作り出したものと同等の、いや、それ以上に威力を増した猛烈な風が巻き起こり、部屋の中は嵐が来たかのように凄まじいものだった。現在六歳となったクィーナはようやく上手く操られるようになってきた魔法を駆使し、母の漏れ出る怒りの魔力から自分の兄であるアズー(九歳)と弟であるシタン(二歳なりたて)を必死に防御する。
 
「ちょっと、待てえええええぇーーー!!」
 
 飛んでくるものから守る様に両腕を交差させながら絶叫するガジェンに冷たい視線を浴びせながらサーシャは転移した。
 それを合図に一度、部屋中を旋回するようになおいっそう強い風が巻き起こったかと思うと、まるで嘘のように渦巻いていた風はスッと収まった。
 ようやく終わりを告げた家崩壊の危機にクィーナはほっと胸をなでおろすと、力尽きたように床に伏している父親を睨みつけた。
「ちょっと、父さん! 私達まで巻き込まないよね!!」
「早く謝りに行きなよ……。明らかに父さんが悪いんだから」
 呆れたように言葉を放ったアズーの横ではシタンも「はふぅ~」と溜息をついた。
「俺……泣いてもいいか?」
 子供達による一斉攻撃にガジェンはがっくりと肩を落とした。まぁ、実際のところは、すでに床に伏していたので、それ以上肩を落とすことなどできはしなかったのだが。
「……うっとうしいから」
「早くどうにかしてよ」
「母さんはどこに行ったの?」
 上から、長女、長男、次男に再び続け様に言われ、意地になってしまったガジェンはガバッと顔を上げると子供達に向かって言い放った。
「―――絶対こっちからは謝りに行かないからな。これだけはどうしても譲れん!」
 けれど、宣言した途端、子供達三人に、「はぁ~」 という、あからさまに大きな溜息をつかれて、少し挫けそうになり、ガジェンは再び床へと顔を突っ伏したのだった。
 
 
 
 ことの始まりは、今朝のこと。
 何にも考えず呟かれたガジェンの一言から始まった。
 
「ずっと思ってたんだけどさぁ……卵焼きは普通、塩だろう」
 
 この言葉にサーシャはカチンときたらしい。
 持っていた鍋を机の上にドンッと置くとガジェンを無視して子供達の分だけ野菜のたっぷり入ったスープを取り分け始めた。
「……俺のは?」
「自分で注げばいいだろう」
 ふんっと言い放ってサーシャは席に着くとガジェンの方を見向きもせずにスープを飲み始めた。仕方がないのでガジェンは大きな溜息と共に立ち上がり、自分でスープを椀へと注ぐ。
 なんだか怪しい雲行きを察した三人の子供達はちらりちらりと両親の様子を気にしながらも早く朝食を終えようとそそくさと食べる速度を上げることにした。
 出会ってこのかたガジェンとサーシャが喧嘩していたなどという記憶を持ち合わせていないアズーは、もしも夫婦喧嘩が勃発した場合を想像しゾッとした。
 一方はカーマイル王国の軍を打ち負かしたというほどの剣術の持ち主である元海賊首領、そして、もう一方は魔女と賢者の中で最も力を持つと謳われる東の国の魔女である。二人が争ったら家が半壊するだけでは済まない。それよりも、なによりも、自分たちがこの二人のとばっちりを受けるのなど御免だ。
 そこまで考えるとアズーは朝食の残りを一気に掻き込み、同じく必死で掻き込み終わったらしい妹と弟に目配せをして一つ頷くと、そろりと席を立った。
 
 しかし、部屋から抜け出す為の扉まであと数歩という所、サーシャがブスリと卵焼きをフォークで突き刺して微笑んだ。
「我が家では卵焼きは甘いって決まってるだろう? もう何年もそうしてきたじゃないか」
 母の言葉に子供達は揃ってガクガクと頷いた。実際にその通りであるし、父にこの張り詰め始めた空気を理解してくれ、と必死に念を送る。けれど、子供達の切実な願いは一切父に届かなかったらしい。
 いきなり卵焼きの話に戻ったサーシャにガジェンは、「なんだ、ちゃんと聞いてたのかよ……」 と溜息と共に言い放った。
「ちゃんと聞こえてしまいましたよ!」
 明らかにサーシャが怒り出したのにも関わらず、ガジェンは気にせず目の前にあった卵焼きをつまんで口の中へと放り込んだ。
 キッと睨みつけてくるエメラルドの瞳を受け止めながらガジェンはぺろりと自分の指を舐めた。
「いや、砂糖も美味しいのは美味しいんだけどさ、何か甘いと菓子みたいだろう? アズー達は喜ぶけど何か料理って感じしないんだよなぁ」
「何故今頃になって言う? ずっとそう思っていたならすぐに言えば良かったじゃないか!」
 早くも怒りで魔力が辺りに渦巻きだしたのにも関わらず、「何となく今日そう思ったんだよなぁ~」 と言い放った父をアズーはある意味で尊敬し、ある意味で馬鹿では無いのかと思い、脱力した。
 短い詠唱と共にクィーナが防御壁を張る。それと同時にサーシャの怒りが爆発し、突風が部屋の中を駆け巡り始めた。
「大体ガジェンはいっつもいい加減すぎるんだ!!」
「―――!? それを言うならサーシャこそなぁ!!」
 
 卵焼きは塩か、砂糖か、というたったそれだけの理由、というか、よく考えてみさえすれば中身は本当にくだらない理由から口論へと発展し、ガジェンとサーシャによる初めての夫婦喧嘩が幕を上げた。
 こうして、家が半壊するだろうというアズーの予想は見事に的中したのであった。
 
 
 
 すっかり日も暮れて早くも明星が輝きだした頃、東の国の魔女は色んなものが散乱したままになっている部屋へとこっそり降り立った。そのまま音をたてないよう静かに階段を上り、子供達の居る部屋を順々にノックして行く。アズー、クィーナの部屋へと回ったが返事がない。不思議に思って中を見渡してみたが薄暗いだけで、誰もいる様子はなかった。
 首を傾げながら最後の部屋であるシタンの部屋の扉を叩く。
 「いいよぉ」 と確かに末の息子の声がし、サーシャは安堵しながら扉を開けた。
 どうやら子供達は三人ともシタンの部屋に集合していたらしい。
 アズー、クィーナ、シタンがそろって驚いた表情を浮かべたのを見ながらサーシャは三人に向かって、「ただいま」 と笑った。
 
 
 「よかったぁ。帰ってきてくれたんだ!」 と喜色を示すクィーナに向かってサーシャは慌てて、「シー!!」と人差し指を口に押し当てた。
 ちらりと扉の外を見て、ガジェンが気付いていないことを確認するとサーシャは部屋の中へと入って子供達へと向き合い微笑んだ。
「さ、お腹空いたでしょう? 夕食作ってきたから」
 そう言ってサーシャは手の中に大きな土鍋を転移させた。
 中に入っているとろとろに煮込まれた肉と野菜を見て、お腹を空かせていたシタンは素直に喜びの声を上げたが、アズーとクィーナは困惑した様子でサーシャを見上げた。
「ねぇ、母さん戻って来たんじゃないの? 父さん、あれでかなり落ち込んでるよ?」
 娘の言葉にサーシャは目を細めて鋭い視線をクィーナへと浴びせた。
「―――クィーナ、嘘はだめよ。どうせガジェンは酒場に行ってるのでしょう? 家に居たならさっきので気付いたはずだもの」
 全くその通りで反論もできないクィーナは、「うっ」 と口を噤んだ。お互いの特性をよく知っている分この夫婦は厄介である。
「でもね、母さん、ちゃんと仲直りしなよ。早くそうしてくれないと俺たちも困るし。ね?」
 アズーによる、『子供のことを考えてみてよ』 という説得に、しかし、サーシャはふわりと宙に浮かび上がった。
「アズー。心配しなくてもご飯ならちゃんと持って来るから心配はいらないわよ。あ、でも、分かっていると思うけど、それはガジェンに食べさせたらだめよ。それに―――――、悪いけど私は絶対にガジェンに謝りませんからね!!」
 微笑みを残してサーシャが消える。
 初めて母の凄みのある薄い笑みを見てしまった子供達は一度体をブルリと震わせた後、互いを見つめ合い、深く溜息を落としたのだった。
 
 
 こうして、サーシャとガジェン初の夫婦喧嘩は冷戦状態、つまり、互いの我慢比べへと突入したのである。
 
 
 
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