ラピスラズリのかけら 夜伽話のその先に 6

 

カーマイル王国王都のはずれ、人気の少ない荒野の端に東の国の魔女が住まう場所がある。切り出された灰の石を緻密に積み重ねて作られた五階建ての砦。これが代々“東の国の魔女”に受け継がれる建物であり、象徴であった。
砦の堅固さと威厳に人々は知らず畏怖の念を抱く。
しかし、その時、魔女の砦の中で実際に響き渡っていたのは、畏怖とは遠くかけ離れたものだった。
 
 
「やっほー、サーシャ! 元気してる?」
「――師匠!?」
 砦の現、主であるサーシャは突然の来訪者にエメラルドの瞳を大きく見開いた。
開け放たれていた窓から、ふわりと降り立ったのは一人の女。肩で切りそろえられた髪には白いものが多く混じる。けれど、灰というよりは銀に輝く豊かな髪と明るく朗らかな声は、彼女の歳を全く感じさせない。
砦の元の主で前代の東の国の魔女、ソラリアは新緑の瞳の端に皺を寄せて愛すべき弟子へとにこやかな笑顔を向けた。
「だからぁ、師匠じゃなくてソラリアちゃんって呼んでって、いつも言ってるでしょう?」
「師匠、お茶は……?」
「飲むー!!」
「―――相変わらずですね」
 クスクスと苦笑しながらも、さっそく茶の用意をし始めたサーシャに、「まぁね」 と返しながらソラリアは二脚ある椅子の一つへと腰を下ろした。
「ねぇ、サーシャ?」
「はい、何でしょう?」
 コポコポという音と共に亜麻色に輝く花茶が二つのカップの中へと注がれていく。それを眺めながら、ソラリアは頬杖をついてニマニマと笑った。
「聞いたわよ。海賊小僧と喧嘩したんだって?」
「なぜ知っているのですか!?」
「えー? だって精霊に聞いたんだもの。精霊たちの間じゃ今その話題で持ち切りよ?」
 ジーニー(魔神)やジン(魔人)とは違い、カーマイル王国のある東の大陸にいる精霊たちは形を成すことを好まない。師匠であるソラリアとは違い、空気に溶けているような存在である彼らを視ることができないサーシャは苦笑いを浮かべた。
昔は、「これは素質だから」と諌められても諦め切れなかったが、常人に精霊の姿が視えないことや声が聞こえないことを今ほど感謝したことはない。師匠に知られることはあっても、この国の人々に知れ渡ることはないのだから。
 サーシャから受け取った花茶を一口、こくりと飲むと、ソラリアはカップを両手に包んだまま向かいに座る弟子へと体を乗り出した。
「で? とうとうあの小僧と別れるの?」
 切り出した問いは本来、重い内容であるはずにも関わらず、ソラリアはどこかウキウキとしている。
「……なんだか楽しそうですね」
「あったりまえよぉ! だって、小僧と結婚しちゃったせいでサーシャこっちになかなか戻ってこないんだもの。でも、離婚すれば、またこっちに戻ってくるんでしょう? 会えなくて寂しかったから嬉しいわ」
「そんなに寂しいのなら、会いに来てくだされば良かったじゃないですか。師匠なら転移すればあっという間ですし、あの扉はダランズール帝国の私の家と繋がっていますよ」
 サーシャは螺旋階段のすぐ横にある扉を目で示した。東の国の魔女を訪れた人々は玄関を入って螺旋階段を上がり、この扉を開くのだ。西の大陸で暮らす魔女に会う為に。
 けれど今、年季の入った焦げ茶の扉を開いても目にできるのは倉庫となっている部屋だけ。異国への道は閉ざされていた。
 意味のない扉を見つめ続けるサーシャに、ソラリアは目を和らげた。
だが、サーシャが向き直り花茶へと口をつけた瞬間には、もう元の茶目っ気を含んだ新緑の瞳へと戻っていた。
「やーよー。だって、精霊のいない国なんて私には合わないもの。ね、だから、サーシャが戻って来てくれないと。っというわけで、どうするの?」
「どうするの、と言われましても……」
 サーシャは手の中の花茶へと視線を落とす。亜麻色の茶に映ってる自分は何とも情けない顔をしていた。
「まだ、別れません。多分……」
 サーシャは溜息と共にぽつりと呟いた。
 下を向いたままのサーシャに、ソラリアは「そう。それは残念」と囁いた。手を伸ばして、才ある弟子の豊かな黒髪をさする。
「あなたの中では、もうとっくの前に決まっていたことなのでしょう? そして、どうすればいいかも、もう分かってるわよね?」
 ソラリアの言葉にサーシャは顔を上げた。
「―――はい」
 エメラルドの瞳にもう迷いがないことを見て取り、ソラリアは満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございました」
「私は別に何もしてないわよ。ただ、可愛い弟子とお茶を飲みに来ただけ」
 一度礼をして立ちあがったサーシャは焦げ茶の扉へと向かう。
「サーシャ」
 豊かに波打つ黒髪が流れる背中へとソラリアは声を掛けた。
「あなたの居場所はここにもちゃんとあるんだから、また喧嘩したらいつでも戻ってくるといいわ。そしたら、また私とお茶を飲みましょう。でも、今度、喧嘩になった時はこっちから折れてやったりしてはだめよ! だって私は、もっとたくさん、あなたと話がしたいのだから」
 カップを片手に微笑む師匠に、「はい、もちろんです」 と返しながら、サーシャは我が家へと続く扉を開いたのだ。
 
 
 
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 (c)aruhi 2008