ラピスラズリのかけら 4:シェラート 17 憂いの終焉

 

「ああ、よかった! 戻ってきてくれたのか」
 
 水の宮へ戻って来たフィシュアとシェラートの姿を見て、椅子に縛られたまま放置されていたヘダールは歓声を上げた。
「お前にはまだしてもらわなきゃならない仕事があるからな」
 シェラートの言葉にヘダールはたじろぐ。だが、実際のところは、縛られている為に顎を引くぐらいしか彼に抵抗のしようは無かった。
「な、何だ……? 一応要件を言ってみろ」
 傍目から見ても何とも情けない姿にも関わらず、威厳を保とうとするヘダールにシェラートは知らず嘆息した。
「じゃあ、とりあえず一緒に村についてきてもらおうか」
「これを解いてもらわないとついてなど行けぬな」
 ヘダールはふいとそっぽを向く。
 眉をぴくりと動かしながら魔法を使おうと掲げられたシェラートの腕を、苦笑いを浮かべたフィシュアが押しとどめた。
「まあ、確かにヘダールの言う通りなんだし、一応解いてあげないと」
 フィシュアはちらとヘダールを見ながら言った。視線を受けた当のヘダールは「その通りだ」と言わんばかりに大きく頷く。しかし、シェラートは何とも面倒臭そうにその様子を眺めていた。
「どうせ転移するんだからこのまま運べばいいんじゃないか」
「そんなことしたら、ただでさえ少ない水神の威厳が全く無くなるじゃない。大体、あれでも一応村の神なのよ? 怒った村人たちに一斉に攻撃されたらどうするのよ? せっかくここまで来た計画が台無しじゃない」
「まあ、それもそうだな。仕方がないか。けど、あんなんだって知られたら逆に怒りだすかもしれないぞ?」
「そこは、何とか誤魔化すしかないでしょう。極力しゃべらないようにさせれば多分大丈夫よ」
 二人によるひどい言われように、さすがのヘダールも閉口する。それでも、やっと解かれた戒めにヘダールはこっそりと息をついた。
 
「して、私の仕事とは具体的になんだ?」
 ヘダールの問いにフィシュアは「簡単なことよ」と言いながら、二本の指を立てた。
「やってもらうことは二つ。メイリィの病気を治したと示すこと。それから、花嫁は一切必要ないと告げること」
「花嫁の件は……お主が嫁に来るなら、その頼み、聞かないでやってもない」
「―――まだ、言うか……」
 口をすぼめながら呟いたヘダールへとフィシュアは心底呆れた目を向けた。
「言っとくけど、これは頼みじゃなくて命令なの。主導権はこちらにあるのよ?」
「それなら、聞かない。この話はなかったことに」
「―――ああっ、もう!!」
 このままだといつまでも続きそうな問答にフィシュアは頭を抱えた。
「まあ、そういうことなら傀儡(くぐつ)にしてもいいんだけどな」
「傀儡(くづつ)……」
 冷ややかに響いたシェラートの言葉。
涼しそうな顔をしているシェラートの横で、フィシュアは顔をしかめた。カタカタと口を動かす人形のようなヘダール。どう考えても気持ちのよい光景とは言えない。
恐らく、フィシュアと同じことを思い浮かべたのだろうヘダールはさっと顔を青くさせた。
「い、いや、遠慮しておこう。……そうだな、うん。祝福で我慢してやろう」
 相変わらずの上からの物言いに肩を竦めながらも、フィシュアは「まあ、いいわ」と頷いた。それで、事が運ぶのなら妥協するのも悪くはないだろう。テト達が待っているのだ。いつまでもここに居る訳にはいかない。
 しかし、ヘダールの方へ向かおうとしたフィシュアは、シェラートに腕を引っ張っられ、その場にとどめられることとなった。
「だから、誰でも彼でもそうほいほい口付けるなって」
「いいじゃない、別に減るもんじゃないし。これで早く終わるのなら安いもんでしょう」
「そういう問題じゃないだろう。大体、ジン(魔人)がああいうこと言う時は大抵、裏があるんだよ」
 あからさまにギクリと身を一度、震わせたヘダールを見やって、シェラートが「ほら見ろ」と無言で告げた。
「でも、私、ラピスラズリ持ってるし、魔法の類だったら効かないでしょう」
「そうじゃなかったら、どうするんだよ」
「そしたら、その時に考えるわ」
「これ以上面倒事を自ら増やすな」
 フィシュアとシェラートの睨み合いを中断させたのはコロコロという笑い声だった。割って入って来たその声に二人は揃って乱入者へと顔を向ける。
「ヴィエッダ様!」
「本っ当にあんたは……。まさか、フィシュアちゃんにまで手を出してたとはねぇ~」
 ヴィエッダの方へ駆け寄ろうとしたヘダールは、彼女の呆れの滲む溜息によってとどめられた。ヘダールの心情を表わすかのように銀の髪はストンと真下に流れて落ちる。
「見てくれだけは綺麗なのに、中身がこれだからねぇ」
 ヴィエッダが白く細い指先でくい、とヘダールの顎を上げる。
「フィシュアちゃんは私のお気に入りなんだからね。ちゃんと村へ行って彼女の言うことを聞きなさい。そうしたら、そうだねぇ……一度くらいお茶に付き合ってあげてもいいわよ?」
「本当ですか!?」
 晴れ渡った日の泉のように銀蒼の瞳が輝き出す。それを見ながら、「ちゃんとできたらね」と紅い口に弧を描くと、ヴィエッダはヘダールから手を離し、代わりにフィシュア達の方へと向かってひらひらと手を振った。
「何しに来たんだ?」
「おや、シェラ坊。お生憎様だねぇ。せっかく手伝ってやったのに」
 口に手をあてて相も変わらずヴィエッダはコロコロと笑う。
「ヴィエッダが何か動く時も大抵裏があるからな」
「じゃあ、今回は“大抵”には入らなかったようだね。残念だけど、今日のはただの親切心だよ。皇都まで送ってあげようと思ったんだ。シェラ坊は確か行ったことがないから転移はできないだろう?」
「どうして俺たちが皇都へ向かうってことを知ってるんだ」
 シェラートの疑問に対して、ヴィエッダはただ片手を掲げて人差し指を伸ばす。彼女の指の先にあるのは、シェラートと同様に疑問を露わにしていたフィシュアだった。
「それ、ラピスラズリ」
 青よりも濃い藍。完全な闇に落ちる前の夜の石。
 ヴィエッダはラピスラズリを指し示しながら、妖艶な笑みを口元に描く。
「フィシュアちゃんはラピスラズリを持ってるからね。それを見れば分かるだろう? フィシュアちゃんが皇都へ行かなければならないということは」
「宵の歌姫のことを知っているんですか?」
 シェラートは知らなかったのだ。だからこそ、ジン(魔人)やジーニー(魔神)は興味がないのだとフィシュアは思っていた。
 それゆえのフィシュアの問い掛けに、ヴィエッダはゆるく頷いた。
「宵の歌姫が本来何者であるかってことくらい、長く生きていれば知れるからね。できるなら早く戻れた方がいいだろう? 遠慮しなくていいよ。私にとっては手を振るのとなんら変わりはないからね」
「それは……助かります」
 ヴィエッダの言う通り。早く帰れるなら早く帰れるに越したことはない。テトの村とここでの滞在。自分で選んだこととはいえ、想定していた以上に日数をとっていたのだ。
「そうだねぇ、転移するならどこがいいかい?」
「できるのなら、皇都の端の野に」
「確かに。いきなり都の中心に転移したら他の人間は驚くだろうからね。分かった。了解。それと、転移するのは明日でいいかい? これからフィシュアちゃん達が村に戻って用事を済ませた後じゃ、もう日暮れに近いだろうからね」
 フィシュアはちらとシェラートを見上げた。フィシュアとしては反対する理由もないが、ヴィエッダとの付き合いが長いのはシェラートの方である。彼女に何か裏があるというのなら、それを見極める手段はシェラートに頼るしかない。
 フィシュアの視線を受けたシェラートは一度肩を竦めると、ヴィエッダと相対した。
「―――で、本当のところは何だ?」
 先程と変わらず何かあると疑ってかかるシェラートにヴィエッダは苦笑を洩らす。
「本当に、今日は何も無いんだけどねぇ……」
「ヴィエッダがそう言うと逆に怖いんだよ。後で何かやっかいなことを請求してきそうだからな」
「そこまで言うんだったら……そうだねぇ、じゃあとりあえず、オクリアの焼き菓子と、シャクリイの香水だろう? それから……そうだ! オンプロバの紅と叩き粉も。できるなら、ルビラルダの髪飾りも付けれくれると嬉しいねぇ」
「全部高級店……」
「何も無いとか言いつつ、結局かなり要求してるじゃないか……」
 並び立てられた品の価値と数に唖然とするフィシュアとシェラートをよそに、ヴィエッダは「このくらい安いもんだろう?」と笑う。
「フィシュア……これ、全部揃えられるのか……?」
「多分大丈夫……なんとかするわ……」
 フィシュアの力のない笑みが、取引が成立したことを告げる。
 ヴィエッダはニッと口の端を上げた。
「それじゃあ、フィシュアちゃん。明日また、私の家で待ってるわ。ほら、あんたもさっさと行きなさい」
「はい! もちろんですとも、ヴィエッダ様」
 ヴィエッダに半ば放られるように背を押されたヘダールは、それさえも嬉しそうにフィシュアの元へと向かった。
「さぁ、行くぞ、娘」
 そう言ってフィシュアへと伸ばされた手に、シェラートはヘダールを睨みつける。
「だから、お前は余計なことばかりするな……。バレバレなんだよ」
 落とされたシェラートの溜息と共に、ヘダールの手の中に細く絡み合った糸が現れた。
 どうやら、先程まで不可視だったらしい糸は、今は彼の手の中で実体化し、キラキラと光る。
 危うく絡め捕られるところだったらしいフィシュアは、ただ苦い笑みを浮かべた。ラピスラズリによって無効化するということは先程の会話からヘダールにも知れているはずである。それにもかかわらず、こんなことをしてくるとは、シェラートの言う通り魔法の類ではないものでも仕掛けてあったのだろうか。そうは思ってみたものの、ヘダールがそこまで考えていたとはフィシュアには到底思えなかったのも、また事実であった。
「ちょいと、ヘダールのおぼっちゃん? 言わなかったかい? フィシュアちゃんは私のお気に入りだと」
 つっと細められた金の双眸に、ヘダールはビクリと体を震わせた。
「やっぱ、こいつ縛って持ってった方が早いんじゃないか?」
 完全に固まってしまったヘダールをシェラートは面倒臭そうに一瞥する。
「この状態なら縛っても大して意味ないんじゃない?」
 フィシュアもまた、全く動く気配のないヘダールへと視線を向けながら言った。ヴィエッダに見据えられたことのある身としては、ヘダールが固まってしまった気持ちも分からないではない。けれど、ヘダールの場合は自業自得とフィシュアはただ呆れるしかなかった。
 
 こうして、ガンジアル地方に訪れた意味のない災厄は真の意味で終わりを告げる。
 
 例年と同じように雨季が戻って来た村。
 今はまだ、しとしとと、けれど、決して止みそうにはない雨の中、続けられていた賑やかな宴の席へ、急に姿を現した水神と彼の花嫁の姿に村人たちは自分たちの目を疑った。
 驚く彼らに、水神は告げる。
 
雨は元道り降らせてやろうと。
 自分には特に花嫁は必要ない。歌を聴いて満足したから、花嫁は返してやろうと。
 我が愛しき娘、メイリィの病は癒えた。彼女は陽の下に置くのがふさわしい。私は光の中にある彼女が愛しいのだから、メイリィはこのまま外で暮らすのがよかろう、と。
 
 次第に雨足を強めだした雨が奏でる音を、遥かに凌駕する歓声が村人たちの中から上がる。
「水神様」と讃える声が辺りから一斉に響き渡った。
 
 彼こそが、今回の災厄の原因と知っておきながら村人たちは雨をもたらした水神に感謝を捧げる。
 災厄をもたらした理由がくだらないものであるとも、村人の喜びの声に水神は何の関心もないとも、ここに集った村人たちは誰一人、知らずに。
 
 
 
 

(c)aruhi 2008