ラピスラズリのかけら 4:シェラート 19 飾り花の香

 

 金茶の細い髪の束が一房、また一房とられ、その度に小さな白い野の花が丁寧に編み込まれていく。
「すごいね、フィシュア」
 その様子をじっと見守っていたテトは感嘆の声を上げた。テトが新たに差し出した一輪の花をフィシュアは慣れた手つきでメイリィの髪に加える。
「意外と簡単なのよ? ゆっくりすれば、きっとテトでもできると思うわ」
 言葉とは対照的にフィシュアの単純そうな手の動きは、動く度に複雑に絡み合いながら次々と形を成していく。
 一体どのようにしてメイリィの髪が編まれているのか。すぐ傍で注視していてもテトには皆目見当がつかなかった。
「よし、できたわ」
 フィシュアはそう告げると、メイリィを座っていた椅子から立たせて、姿見の前へと移動させた。
「どう? 我ながら上手くできたと思うんだけど」
 姿見に映ったメイリィに向かってフィシュアは問い掛ける。金茶の髪には純白の花がたくさん散りばめられ、かといって強調されている訳でもなく、すっきりと程良く纏まっている。
メイリィは自分の髪に恐る恐る手を伸ばし、けれど、花が落ちてしまっては大変だと触れるのをやめ、代わりに鏡の中の自分に手を伸ばした。
「すっごく綺麗だよ、メイリィ。まるで本当のお姫様みたい!」
 テトの感想を受けて、メイリィは嬉しそうに頬に朱を散らすと、くすぐったそうに微笑む。
「良かったね、そのドレス着れて」
 メイリィはコクリと頷いた。
 彼女が身に纏っているのは花と同じ純白の衣。かつて彼女の花嫁衣装となるはずだったそのドレスはただのドレスとなり、メイリィが動く度に刺繍の施された薄い布をひらひらと優雅に舞わせるだけに留まっている。
「メイリィ。お誕生日おめでとう」
『ありがとう』
 声なき声でメイリィは礼を言うと、テトの手を両手でぎゅっと握った。
 仲の良く笑い合っている二人を見ながら、フィシュアは「仕上げ」と言って、メイリィの金茶の髪に髪飾りを挿した。
「まさか、メイリィの誕生日が今日だなんて知らなかったから、私のおさがりで悪いんだけどね」
 申し訳なさそうに目線の高さを合わせながら言ったフィシュアに、メイリィはブンブンと首を振った。
鏡を見ては、自分の右耳のちょうど上の方に挿してある髪飾りの輝きにメイリィは目を細めて笑う。空色と濃い青の宝石で摸された二つの花の髪飾りは、彼女の空色の瞳とよく相まっていた。
「でも、これなら花が枯れても手元に残るでしょう? 気に入ってくれた?」
 メイリィは大きく頷き、フィシュアの問いに答える。
「じゃあ僕、先に降りて、みんなにメイリィの準備ができたよって、知らせてくるね」
「ええ。よろしくね、テト」
 パタパタと急いで扉へと向かうテトの背中にフィシュアは声を掛ける。
 
 テトが完全に去ってしまうまで見送った後、フィシュアは改めてメイリィと相対した。
「本当に十一歳のお誕生日おめでとう、メイリィ」
 水初(みそめ)の儀の翌日。フィシュア達が皇都に旅立つというこの日は、メイリィの生まれた日でもあったのだ。
 宵の歌姫一行の旅立ち、そして、水端(みずはな)の巫女の生誕日とあって、この小さな村では昨日からの宴の興奮が今日も冷めることなく続いている。重なった祝い事に、村総出の祭りのような騒ぎが朝から村のそこかしこで起こっていた。
だからこそ、フィシュア達も少しだけ出発の時間を遅らせ、この小さな巫女の誕生日を一緒に祝うことにしたのだった。
『ありがとう』と口を動かしたメイリィに、フィシュアは微笑む。
「メイリィ。あなたは水端(みずはな)の巫女から外れたわけじゃないから、完全に自由になれたわけではないけれど……でもね、きっと、何もできないって訳じゃないわ。私もね、自分の役目の中からやりたいことを見出せるようになったのよ。そうしたら開けた道もたくさんあったわ。だから……頑張っているメイリィにこんなこと言うのもおかしいかな、と思うんだけど。これからも、もっと頑張ってね。今度は役目の為だけではなくて、メイリィ自身の為にも」
メイリィは目を瞬かせ、そして、しっかりと頷いた。
「あなたに幸福と手に入れ得る限りの自由を」
 フィシュアはメイリィの額に祝福を落とす。
 目をつむってそれを受け入れたメイリィは、そろりと目を開けると、照れたように微笑してから自分の顔を指差した。
「何? メイリィもしてくれるの?」
 フィシュアが問うと、メイリィは『当たり』と首肯した。
「なんだか巫女様の祝福ってすごく効果がありそうね」
 クスクスと笑うフィシュアの頬へとメイリィはそっと口付けて、祝福を返す。
 そして、二人は互いを見合わせて笑ったのだった。
 
 
「それじゃあ、機会があれば、また」
 村人たちの宴の中心から離れた場所、別れの言葉を告げたフィシュアへとディクレットは深々と頭を下げた。
 今日の主役であるメイリィは村の人々に囲まれて、絶えず朗らかな笑みを周りの皆に振りまいている。村に留まることを許された水端の巫女は、恐らくこれから先もずっと同じようにこの小さな村の中で過ごして行くのだろう。それが、彼女にとって一番の幸せになりうるかどうか、今はまだ判断することはできない。
けれど、この先、誰かの意志によって彼女が不幸になることだけは決して無いだろうと、穏やかな目で彼女を見守る無愛想な黒衣の神官を見ながら、フィシュアは確信していたのだ。
「テトは、いいの?」
 ディクレットと同じ様に、そして、とても嬉しそうにメイリィのことを見ているテトにフィシュアは問い掛ける。
 けれど、テトは「うん、いいの」と笑って首を横に振った。
「さっきちゃんとメイリィとは話してきたから」
 ふと顔を上げ、こちらの視線に気付いたらしいメイリィがにこりと目を細めた。彼女の表情には少しの寂しさが覗くものの、それは彼女の笑みを翳らせるほどのものではない。
テトは笑みを浮かべ、メイリィに小さく手を振った。
再び村人との会話に戻ったメイリィの姿を見やりながら、テトもまたどこか寂しそうではあるが、「ねっ、だから大丈夫」と笑って、フィシュアを見上げのだ。
「そっか」
 フィシュアは頷き、テトの栗色の髪をふわふわと撫でる。
「皇都に着いたら、メイリィに手紙を書きましょうか。テトはもう大分字が書けるようになったし、これからもっと上達する為のいい勉強にもなるわ。なにより、テトの手紙ならホークは喜んで届けてくれるでしょうからね」
「それなら、僕からもホークに頼んでみようかな」
「ええ、メイリィ様もきっと御喜びになりますよ」
「じゃあ、もっと練習しなきゃね!」
ディクレットからの相槌を受け、テトはぐっと両の拳を握り締めてみせた。
「けど、ほどほどにな」
 この村に着いたばかりの日、テトが時間も忘れて必死に文字の書き取りをしていたことを知っているシェラートは苦笑しながらテトを抱き上げる。
「会いたくなったら言えばいい。転移したらすぐだからな。そっちの方が早い」
「ああ、それもそうね」
 そうしたら、『明日も明後日もずっとテトと遊びたい』と言った水端の巫女の願いを叶えるのは不可能ではないのかもしれない、とフィシュアは微笑する。
 けれども、「うーん」と唸りながらしばらくシェラートの提案を吟味していたテトは「それでも……手紙を書くのもやっぱり頑張ってみるね」と宣言したのだった。
 
 
 
「おやあ、この子も可愛いらしいねぇ」
 転移してきた三人を出迎えたジーニー(魔神)は、初めて会う柔らかそうな少年の栗色の髪へと当然の如く手を伸ばした。
 しかし、彼女の手が触れる寸での所で少年はジン(魔人)の後ろへと隠され、代わりに睨みつけてくる翡翠の双眸と相対することとなった。
「近づくな、ヴィエッダ」
「ほんっとに……その危険人物扱い結構傷つくんだけどねぇ、シェラ坊」
 牽制するシェラートに向かって、ヴィエッダは肩を竦めてみせたが「まあ、いいわ」と紅い唇に弧を描くと今度はフィシュアの方へと向きなおった。
「それなら、フィシュアちゃんで遊ぶから」
「……だから、何でそうなるんだ……」
 転移させてくれるなら早くしてくれと言わんばかりにシェラートは嘆息する。だが、彼の訴えを却下したヴィエッダの方は嬉々としてフィシュアの手を取った。
「今日はもう一応選んで用意してあるんだよ、フィシュアちゃん。そんなに時間はとらせないから付き合っておくれ。その後でちゃんと約束通り、皇都まで送ってあげるからね」
 ヴィエッダに右手を引かれ、促されたフィシュアはシェラートとテトに「大丈夫だから」ともう片方の手をひらひらと振ってみせた。
 
 相変わらずすごい数の衣服と装飾具が並んでいる部屋の中、机の上に昨日はなかった山を見出して、フィシュアは苦笑する。
「これ、全部ですか?」
「そう、全部。
―――って言ってもさすがにこんなにたくさんとっかえひっかえして時間かけてたら、またシェラ坊に怒られちまうだろうからねぇ…………」
これでも随分選別して少なくした方なんだけど、どうやら私もランジュールと同じだったみたいだ、とヴィエッダは微苦笑する。
フィシュアは衣服の隣に並べてあった装飾具の中から、一対の耳飾りを手に取った。
「綺麗、ですね」
 ちゃらり、と軽い音を立てたのは、一見、真っ黒な闇にしか見えない六角錐の飾り石。けれど、石は光を受けると奥の方で翠に輝き、色を変える。
「気になるかい? アジカもその耳飾りを大層気に入ってたみたいで、いつも身につけていたんだよ。折角だから持って行くといい」
「いえ、私はあまり耳飾りは付けませんし、トゥッシトリア(三番目の姫)がよくつけていたものなら、ヴィエッダさんにとってはとても大事なものなんでしょう?」
「そんなこと言い出したらきりがないよ。だってここにあるものは全て少なからずアジカと関わりがあるものばかりだからね。どうせ、私も使わないし、このままここに放っておくのも勿体無いからね。遠慮せずに持って行くといい。それなら別段身につけなくても眺めるだけで楽しめるだろう? 私なんかが持っておくより、フィシュアちゃんが持っている方がよっぽど相応しいさ」
 ヴィエッダはフィシュアの手に暗緑石の耳飾りを包み込ませた。フィシュアの手に添えられた白いヴィエッダの手は冷たく、それでいて温かさもある。
「―――聞かないんですね……」
 かち合った藍の瞳に、ヴィエッダはただ口の端を上げた。
「何をだい?」と問うているのに、ヴィエッダの表情は明らかに自身の問いの答えを知っていることを示す。けれども、自分からは切り出すつもりのないらしいヴィエッダは、無言でフィシュアに先を促していた。
だからこそ、フィシュアは「意地悪ですね」と笑ってから、素直に答えを返すことにしたのだ。
「シェラートから直接、昔の話を聞きました」
「そう」
 ヴィエッダはフィシュアの頬へと手を触れさせる。しかし、白く長い指は一度くすぐってみせただけで、すぐにするりとフィシュアから離れた。
「…………やっぱり、フィシュアちゃんからは懐かしい香がするよ。全く同じとは言わないけれどね」
 衣服と装飾具の山が出来ている机の上に、ヴィエッダは軽く腰掛けて、腕を組んだ。
「いいよ、フィシュアちゃん。別に話してくれなくても。だって、それは私の役目とは違うものだし、今更シェラ坊の話を聞いたって私にはどうしようもないからね。言っただろう? 聞き流してくれて構わないって」
「だけど、ヴィエッダさんは私に聞いてきて欲しかったんでしょう?」
 思い返せば、思い返すほど、やはり、あの時ヴィエッダはこのことを告げたかったからこそ、この部屋へと連れ出したのだろうとフィシュアには思えてならなかった。そうでなければ、きっと、少し話題に上ったくらいでは、このジーニー(魔神)の話の方向はあっさりと別へと移ったに違いないのだ。
 それが何故なのかまでは、フィシュアには分からなかったのだが。
「それでも……、もし、そうでなかったとしても、フィシュアちゃんはきっと聞いてくれただろうと私は思うけどね」
 気付いていたのにわざわざ思惑に乗ってくれて有難う、と彼女は静かに笑みを浮かべる。
「さあ、じゃあそろそろ戻りましょうか」
 両手を合わせて立ち上がったヴィエッダは、来た時と同様、フィシュアの手を引いてテトとシェラートが待つ扉一つ隔てた部屋へと向かった。「これでも本当に心配しているんだよ。まあ、当のシェラ坊は信じちゃくれないんだけどね」とフィシュアに優しい光を宿した金の双眸を投げかけながら。
 
 
「フィシュア、何握ってるの?」
 扉を開けて早々、問い掛けてきたテトへとフィシュアはしゃがみ込んで、手を開いて見せた。
「わぁ、これ不思議な色だね」
「でしょう?」
 覗き込むテトの隣で、同じくフィシュアの掌に載っている一対の耳飾りを見やっていたシェラートが呟く。
「アジカのか」
「そう。ヴィエッダさんが譲ってくれたの」
 問いというよりは確認に近いシェラートの言葉に、フィシュアは頷きを返す。
「懐かしいだろう、シェラ坊?」
「そう、だな」
 シェラートは暗緑石に目を留めたまま、ふと苦笑した。
 今ではもうここに居る彼ら二人しか知らない過ぎ去った日。
 シェラートの答えにヴィエッダは満足そうに微笑むと「たまには、遊びにおいでよ?」と言って、軽く手を横に振った。
「ヴィエッダに会うのはもう100年位先でいい……」
 消える直前に聞こえてきた何とも疲労の滲むシェラートの声にヴィエッダはコロコロと声を立てて笑う。
 
 
「―――またね、フィシュアちゃん」
 
 そして、他に誰も居なくなった部屋の中。ただ一つ残った変わらぬ香に、ヴィエッダは一人、椅子へと腰掛け、瞳を閉じた。
 
 
 
 

(c)aruhi 2008