ラピスラズリのかけら 5:継がる名 1 遊楽の道行

 

荒涼と風が吹きすさぶだけの野の原。
陽光を遮るものなど一切無い場所だからこそ、ここまで成長したのだろう背の高い草々が、風を受けて波を作り、うねりを広げていく。鳥の声はおろか虫の声さえも聞こえない荒れ果てた野。耳に入ってくるのは草が風にあおられる音だけだった。
けれど、木の一本さえ見出すことのできないこの場所だからこそ見えるものがあった。それは人の手を加えられていない野の向こう、高く澄んだ青空の下に位置する皇都の象徴的な建物。ひときわ大きな中央塔部を軸とし、対照的に青色と白で構成されたそれは遠くから見ても鮮やかであった。
太陽の光に照らされた三つの青の丸屋根の天頂は、まるで巨大な手によって摘まみ上げられたかのように流線を一点で集約して空へとのびる。
周りのこまごまとした建物よりも頭一つ分どころか山一つ分飛び出ているのではないかというこの壮麗な建物こそが、皇都の要であり、同時にダランズール帝国の要でもある、皇宮であった。
「すごいわ。本当にあっというまね」
 今まで何度も転移を経験してきているはずなのに、旅の終わりを告げる皇宮を目にしたフィシュアは感慨深げにそう呟いた。
「うっわぁ! なんだかあの屋根、一生懸命、卵白を泡立てた時にできる“つの”みたいだね」
 初めて見る雄大な皇宮の姿に感心しているらしいテトは、両手をめいいっぱい広げ、その大きさを示した。けれど、皇宮の屋根に対するテトの例えは、今まで聞いたこともなく、思いもよらなかったもので、フィシュアはテトの発想に納得しながら「確かに」と返す。青いという点を除けば、彼の言う通り、泡立てた卵白やクリームを落とした形に見えなくもないのだ。
「まさか、あれ、全部ラピスラズリでできてるのか?」
 同じく皇宮を眺めていたシェラートは、その中でも皇宮の濃い青に目を留め、フィシュアに尋ねる。
 どこか嫌そうな顔をしているシェラートに対して可笑しそうに笑いながら、しかし、フィシュアは彼の推測を否定してやった。
「いいえ。あの皇宮はトゥッシトリア(三番目の姫)のジーニー(魔神)にラピスラズリを与えられる以前に建てられたものだから、他の青の顔料を漆喰の壁に混ぜ込んで色を付けてあるわ。屋根と飾り壁の方はラピスラズリ以外のいろんな種類の青の石のタイルを集めて組み合わせたものね。
 ラピスラズリの力が知れた後、皇宮の青を全てラピスラズリとその顔料でつくりなおそうとした皇帝もいるにはいるらしいんだけどね。やっぱり、全てを宝石でもあるラピスラズリで賄うには多量の資金が必要になってくるのよ。だから、断念して実行されなかったっていうのが結果論ね。
第一、例え皇宮だけが守られて残ったからって、都がやられてしまえば全く意味が無いでしょう? なら、皇宮に財産をつぎ込むより、都全体、国全体に回した方が私は国を守る為にはいいと思うわ」
「それは、宵の歌姫としての見解か?」
「そうね。この国を回ってきた者として、そして、この国に暮らす民の一人として、そうあって欲しいと願ってるわ」
背を押すように後ろから吹いてきた風に、前へと流れた横髪をフィシュアは耳へと掛けた。
 眼下に広がる皇都の風景は傍目から見たら平和そのものに見える。彼女はとりあえず、そのことに安堵して、連れの二人へと微笑みを向けたのだ。
「フィシュア、海はどこ?」
「テト、ここからじゃまだ見えないのよ。だけど、ちゃんと連れてってあげるから安心して。今からヴィエッダさんとの約束の品も見繕わないといけないしね」
「いいのか? 何か報告しなきゃならないことがあるんだろう?」
 宵の歌姫は皇帝の代わりに、国内を回り視察している。それこそが彼女の裏の仕事であり、本来の仕事でもあるとシェラートとテトはすでに知っているのだ。それゆえのシェラートの問いに、フィシュアは頷いて答えた。
「大丈夫。どうせ通り道だもの。それに、皇宮に行く前に詰所の方に寄らないと。馬はこの距離ならもう必要無いし、詰所に着いたらそこに馬を転移させてくれる?」
「分かった」
 シェラートの了承を確認したフィシュアは「じゃあ行きましょうか」と、テトと手を繋ぎ、歩き出した。
「いい? テト。皇都は今までの街以上に人が多いし、広いの。だから、迷子にならないようにね」
「大丈夫だよ、フィシュア。でも、それなら、シェラートも手を繋いどこう? だって、シェラートが迷子になったら困るからね」
 大真面目な顔で、シェラートへと手を差し出したテトの姿に、フィシュアは吹き出した。
「ええ、でもテトの言う通りよね。はぐれたら恐らく絶対見つけられないから。迷子になりたくなかったらシェラートもしっかりと手を繋いどくのよ」
 注意を喚起する言葉とは裏腹に、クスクスと笑い続けるフィシュアへ目をやりながらも、シェラートは素直に小さなテトの手を握ったのだった。
 
 
 
「あら、フィシュア様、いつ帰ってらしたの?」
「おっ! 歌姫様、丁度いい所に! 今、いい魚が手に入ったところなんだよ。すぐに捌いてやるから、ちょっと寄って行きな」
「今回は帰りが遅かったから心配してたんだよ、フィシュアちゃん。ロシュ様は一人で戻ってらっしゃったし」
「おや、歌姫様。新しい連れかい? ロシュ様とは違って今度は随分と可愛いのまで連れてるじゃないか」
「どうぞ、この花をお持ちになって下さい。フィシュア様」
「宵の歌姫の公演はいつやるんだ? 決まったら、すぐ教えてくれよ。あっと、場所を教えてくれるのも忘れちゃだめだからな! こないだは聞き忘れて散々だった」
 皇都の道に足を踏み入れ、数歩も行かぬうちに、フィシュアへと掛り始めた声は次々と伝播し始め、新たな声を呼んだ。結果、老若男女どころか、道で行き遭う全ての者が何かしら彼女に話し掛けてきているのではないかというほど、四方から声が飛び交い、元々活気の良かった都に、より勢いがついて賑やかな喧噪に包まれていった。
「……なんかいつにも増して、だな」
「だって、一応ここが本拠地だからね」
 掛けられた言葉を受けては流しながらも、フィシュアは驚いているシェラートに向って答えた。
 そんなフィシュアと、テトと繋いだ手を見比べ、確かにこの状態ではぐれたら人に紛れてすぐに見失ってしまうだろう、とシェラートは苦笑する。それくらい、彼ら三人は大勢の人々に取り囲まれて皇都の大通りを歩いていたのだ。
「もしかして、フィシュアって皇都に住んでる人達、全員と知り合いなの?」
 テトの問い掛けに、フィシュアは考えるように少し首を捻った。
「さぁ、どうかしら。だけど、もしかしたら全員一度は顔を合わせてるかもしれないわね。皇都は広いけど、国全体に比べれば狭いから、回れないことはないもの」
「そっか、そうだよね! じゃあ、僕も今度探検してみよっかな。面白そう」
「そうね。時間ができたら、その探検がてら、ちゃんと案内してあげるからね。でも、悪いんだけど、今日はヴィエッダさんへの約束の品の買い出しと海だけで我慢してね。
 ―――あっ! ねっ、テト! ほら、あそこ」
 フィシュアはテトと繋いでる手を軽く引っ張ると、空いているもう片方の手で右前にある店の看板を指差した。彼女が示した白地の看板には絡まったツタの装飾の中に、茶の文字が書かれている。
その看板を見、フィシュアの意図を理解したテトは頷くと、彼女を見上げて言った。
「オクリア菓子店!」
「正解! もう字を読むのは完璧じゃない、テト! メイリィの為に勉強したかいがあったわね」
 褒められたテトはへへっと、照れたように、だが、どこか誇らしげに笑う。
「よし。じゃあ、ご褒美にテトにも一つ何かお菓子を買ってあげるから楽しみにしててね」
「いいの!?」
 瞳を輝かせ、今にも菓子店へ向かって走り出しそうなテトに、フィシュアは「もちろん」と頷いた。
「心配しなくても、シェラートにだってちゃんと買ってあげるわよ?」
「いや、俺は別にいい。高いんだろう?」
「駄目よ、食べなきゃ! ちょっと高いけどオクリアの菓子はそれだけの価値があるのよ。皇都に来たなら無理してでも食べなきゃ。だから、遠慮なんかしなくていいわ」
 それに、とフィシュアはほくそ笑みながら続けた。
「さすがに、高級菓子だから、宵の歌姫の特権を使って貰うわけにはいかないのよ。いくら、料金はいらないって言われてもね。けど、今回はヴィエッダさんの分に、私達三人の分を買うでしょう? おばさんのことだからきっとたくさんおまけしてくれるだろうし、今回に限っては私も気兼ねなく貰えるわ」
「そっちが目的か!」
 呆れた声を出したシェラートのことなど気にかけた様子もなく、フィシュアはウキウキと菓子店へ向かって歩を進める。
「何とでもおっしゃい。だって、すっごく美味しいんだから。テトだってたくさん食べれた方が嬉しいわよね?」
「うん! 食べたい!」
「なら、二人で頑張りましょうね。ああ、こっちが食べたい、でも、こっちも食べたいなぁって」
 フィシュアとテトは顔を見合わせると、同時に口元に笑みを刻み、そして、深く頷き合った。
 
 そんなことを知るはずもない気の良いオクリア菓子店の女主人は、久しぶりに皇都に帰って来た宵の歌姫と、ずらりと並ぶ菓子の前で一生懸命、どれにしようかと悩んでいる少年に、彼らが買った菓子と同じくらいの量のおまけをつけてくれたのだ。
 だから、シェラートはただ、予想外のおまけの多さに喜んでいるテトとフィシュアの姿を見ながら苦笑するしかなかった。
 
 
 

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