フィストリア(五番目の姫)とジン(魔人)

 

「―――で、どうすればいいんだ」
 
 月の光が漏れ入るだけの暗い部屋の中、シェラートは一人深い深い溜息を吐くこととなった。
 先程、ロシュが言っていた通り、フィシュアが服から一向に手を離そうとしなかったのである。なんとか解こうと試みてみるも、剣術を使える為か、無駄に握力の強いフィシュアの手は離れない。
どれだけ力があるんだよ、と驚き呆れる気持ちを抑えつつ、そういえばフィシュアが老師(せんせい)と呼ぶシュザネも結構力があったと嫌なことを思い出す。シュザネの方は塔の最上階に置いてきたから今頃、数ある本や雑貨に埋もれて眠りこけてるはずであった。
 助けを請おうにも、テトもすぴすぴと自分のベッドの中で眠りこんでいた。
 とりあえず、フィシュアを向かいのベッドで寝かせてみたところまでは良かったのだが、これでは離れられないし、陣取られているので眠れない。
 正直非常に迷惑な気持ちを味わいながらも、風邪を引いたら困るだろうと思い至ったシェラートはフィシュアの体に掛布をかぶせてやった。
「おい、フィシュア」
 呼び掛けても後は静かに夜が落ちるだけ。
 実際は押し付けられたとも言えるのだろうが、引き取ってきたことをシェラートは軽く後悔しつつ、面倒な奴だな、と溜息を付いた。
 
 
 特に何もすることが無かったせいか、いつの間にかまどろんでしまっていたらしい。シェラートが目を覚ましたのは「やっ」という小さな呻き声によってだった。
 悲痛で静かな叫びは歪みを浮かべ、「やだ、やだ」とうわごとが繰り返された。
「フィシュア……?」
 ぎゅっと握りしめられた手は強すぎる為か白く血の気を失っている。シェラートは、先程とは違った驚きをフィシュアに見た。
「いや、だ……ロシュ、死なない、で……」
 涙は流れてなどいない。けれど、必死に懇願しているフィシュアの様相に、シェラートは眉をしかめた。それは、テトの母を失った時の痛々しい様とも似ていた。だが、フィシュアが見ているだろう夢は、彼女が呟いた言葉だけで充分心当たりの付くものでもあった。きっと、護衛官を瀕死に陥らせたことを今でも悔いているのだろう。
 シェラートは片手を掲げると、フィシュアの額へと振りおろした。
 
 
 
「なーんだ、シェラートかぁ」
「第一声がそれかっ!? 何だ、じゃないだろう!?」
 ひたりと首筋にあてられた短剣。それでも、シェラートが大声を出さなかったのは、テトがすぐ傍で寝ていたからだ。
「えーっと……、ごめん、よね? ごめん、ごめん」
 鋭かった光を収束させて、フィシュアはにへらにへらと笑った。
「でも、何か殺気がしたのよね」
「殺気って、ただ額を叩こうとしただけだ」
 シェラートの手が額へと当たる瞬間、ぱちりと覚醒したフィシュアは、素早く短剣を引き抜くと一瞬のうちに切っ先を彼の首にあてがったのである。シェラートが反応する間もなく、気付いた時には全てが終わっていた。刺されなかったので良かったが、何とも物騒である。
「なんで叩こうとするのよ。せっかくいい気持ちで寝てたのに」
 どこがいい気持ちだ、と思いつつ、シェラートは「覚えてないならいい」と呟いた。思い出しても楽しくもない夢なら、言うだけ無駄である。
 怪訝気に眉を寄せていたフィシュアはとたりとベッドから降り立った。
 シェラートが見ている傍で、とたとた、よたよたと部屋を横切ると向かいのベッドへと向かう。
「ふっわぁっ! テトだぁ」
 フィシュアはそのままテトへと手を伸ばし、小さな体をきゅっと抱き竦めた。
 ふふふーと満足そうに微笑むその顔は、先程のものとは完全に異なり、とろりとしている。
「うわっ、待て、フィシュア、寝るな! そのまま、寝るな!」
 しかし、シェラートの忠告は遅すぎたらしい。フィシュアはテトを抱きしめたまま、再び瞼を下ろしていたのだ。テトの方も触れた存在にきゅっとしがみついて、さっきのフィシュアと同じ状態になっている。
 シェラートにはもう諦めるしか術はなかった。これは、もう絶対に離れないだろうと分かっていたのだ。
 長く溜息を吐いたシェラートは、テトとフィシュアを抱き上げ、ベッドに寝かしつける。すやすやと寝息を立てる二人にそっと掛布を掛けやって、シェラートはやっと息を付いた。
 酒場から帰って来るのだけでも一苦労だったのに、今ので疲労は確実に数倍へと増した。
それでも、フィシュアの表情が苦しげでなくなったことにどこか安堵しながら、シェラートは一度だけ彼女の額を撫でてやったのである。
 
 
 
 
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