ラピスラズリのかけら 5:継がる名 10 夕星の灯し風【3】

 

 出会ったら打ち合いって結構よくあるのよ、と告げたフィシュアには、当然ながらシェラートからお小言が飛んだ。誤解が解けた今も、警戒を解こうとしないテトとシェラートの二人に、フィシュアは苦笑よりも、困惑を浮かべる。
「でも、これが普通だし」
「普通って、フィシュア! 怪我するところだったじゃないか!」
「えっと、でも、ね? テト。ドヨムだって、さすがに殺そうとまではしないはずだから大丈夫よ」
「なら、怪我はさせられるってことだろ」
「いや、でも、これも、鍛錬の内だし……」
「明らかに本気で掛かって来てただろうが!」
 どう見ても、かすり傷で済むようなものではなかった。深手を負っても何もおかしくはない斬りかかりようだった。一体どういう兄妹なんだと見やれば、庭へと降りてきていた問題の人物は笑みを返してきた。
 テトは、用心するようにぎゅっとフィシュアの手を握り、庇うように彼女の前に出る。
「思いっきり危険人物扱いですね、ドヨム様。だから、常日頃から控えて下さいと申し上げているのに」
 ロシュは苦言と苦笑の交じった揶揄を茶の髪と藍の瞳を併せ持つ男へと投げた。だが、ドヨムの方は特に気に止めた様子もなく、「ま、そう言うなよ」とロシュの肩を叩いた。
「めずらーしくロシュが何も仕掛けてこないから変だなとは思ったんだけどな。まさか噂のジン(魔人)が近くにいたとはね」
 ドヨムは、含んだようにジン(魔人)を一瞥する。けれども、こちらを咎めてくる以外は何の反応も返さないシェラートに飽きたのか、ただ肩を竦めた。
「なんかジン(魔人)って言っても結構普通なんだな。フィシュアが消えた時はさすがに驚いたが」
 もっとすっごいの想像してたんだけどな、とドヨムは期待が外れたとでも言うように、わざとらしい溜息までついてみせた。
「ま、一応挨拶でもしとくか。ドヨムな、よろしく」
 そう言って彼は右手を差し出した。けれども、完全に不審人物として扱われている彼の手を誰も取るはずがない。行き場をなくして宙に浮いたままの手を誤魔化すように、ドヨムは胡散臭げな目を向けている少年の頭にあてがうと、そのまま栗色の髪をかき撫でた。
「何するんだよ!」
 キッと睨み上げつつも、決してフィシュアの前から退こうとしない少年を見て、ドヨムは目を細めて相好を崩した。
「うっわ、ものすっごく嫌われてるなぁ、俺」
 ロシュに同意を求めるも、返るのは溜息だけである。
もう一度、テトの髪の毛をがしがしとかき回そうとした兄の手を、フィシュアは呆れながら止めた。テトの顔の高さと同じになるようにしゃがみ込んで、乱れてしまった栗色の髪を綺麗に整える。
「ドヨム、テトにちょっかい出すのはやめてよね。大体、ルディは? 外廊にいたでしょう?」
「んー? まだ上にいるんじゃないか? 相手にならなかったからな。おしいとこまで来てはいるが、やっぱ、まだまだだな。せめてフィシュアくらいじゃないと面白くない。ロシュはやる気ないし。つまらん」
いい加減な兄の物言いを受け、フィシュアは外廊を見上げた。ルディの姿を確認することはできないが、彼のことだ、意識を失ってまではいないだろう。それでも、ドヨムに叩きのめされたのなら動けないのかもしれないな、とフィシュアは思った。
ドヨムの第一撃は、ほとんどが不意打ちだ。咄嗟の事態に対する経験値が自分たちよりも圧倒的に少ないルディは、対応に遅れてしまったのだろう。
不意打ちなどなんとも卑怯だと誰もが思うのだが、そう言えば「戦場は常に不意打ちの集合体だ」とドヨムは胸を張り、持論を以って周りの反論をしりぞける。しかし、実際のところは少しばかり違う。トゥッシトゥス(三番目の皇子)が、他人の驚愕した顔や、瞬間的に張り詰める空気を何よりも楽しみとしているが故に不意打ちを好んで使うような嫌な性格の持ち主だということは、この皇宮中では誰もが知っている公然の事実なのである。
ドヨムは、妹からの無言の非難をものともせず、今では鞘にはめ直していた長剣の柄の飾りを指先でなぞって遊んでいた。
「それもラピスラズリなのか?」
 今まで黙していた男の言葉に、ドヨムは顔を上げ、シェラートを見た。
ああ、これか、とドヨムは柄から手をどけて柄を露わにする。彼の長剣の柄頭には深く濃い藍の石がはめ込まれていた。
「そう、ラピスラズリだ。シュザネは俺らに魔法を使ってはくれないから、疑わしかったんだけどな。まさか、あそこまで効果があるとは思わなかった」
「……そうか」
 シェラートは、それきり黙り込んだ。思案するようにドヨムの持つラピスラズリに見据えられていた翡翠の双眸は、次いで、フィシュアの方へと向けられる。
 全く動かない視線に、フィシュアが怪訝気に眉を寄せて首を傾げると、シェラートは「何でもない」とだけ言って、視線をそらした。
 
「ドヨム!」という怒声が上階から降ってきたのはその時だった。
肩に届きそうな薄茶の髪を一つに編んで束ね、眼鏡の奥にある藍の双眸を暗く光らせる男は、ぐったりとした、こちらも薄茶の髪の青年を支えながら、階下を見下ろしていた。
 顔を引きつらせたのは、先程まで暢気にしか見えなかったドヨムである。
「げっ、ヒビカ……」
 漏れた呻きは階上の男には聞こえなかっただろう。けれど、その雰囲気は察したらしい。ますますその目に剣呑な威を宿して、ヒビカは目を細めた。
「一体何をしているのですか。よもや、会議の刻限を忘れたとか言いませんよね?」
 体格的に威圧感を与えるのは、むしろ、がっしりとした筋骨を持つドヨムの方だ。ヒビカの方はどこからどう見ても鍛えているらしき要素は一切見当たらない。彼が武官と文官のどちらだと思うかと問われたら、十人中十人が自信を持って文官だと答えるような細めの体躯である。にも関わらず、ドヨムは居心地悪そうにヒビカから目を背けると、妹であるフィシュアに助けを訴えた。
「全く……弟妹に構ってもらいたいのは分かりますが、そんなことばかりしていると嫌われますよ。
 フィシュアも、迷惑なら迷惑と切り捨てていいのですよ。そんな兄とも言えぬ奴にいちいち構う必要はありません。早くおいでなさい。ドヨムのせいでフィシュアまで遅れる必要もないでしょう」
 フィシュアは、ヒビカに一つ首肯を返した。それを認めると、ヒビカはさっきまでとは打って変わって優しげな微笑を浮かべ、「先に行ってますね」と歩を進め、姿を消した。
 
「誰?」と不思議そうに聞いてくるテトの髪の毛を、もう一度、撫でやってフィシュアは膝に手を当て立ちあがった。
「あれも、私の兄。ドヨムとは違って、まともな方のね。ネイジュトゥス(二番目の皇子)のヒビカ。で、その隣にいたのが、私の弟でフィストゥス(五番目の皇子)のルディ」
「へぇ、みんなフィシュアと同じ瞳の色なんだね」
 テトの感嘆の内容を、軽く確かめてみてからフィシュアは頷いた。
「ああ、そうね。そう言われてみると、そうかも。他の兄弟姉妹もみんな同じね。違うのは母様たちだけかな。髪の毛の色もほとんど同じだし。……えっと、ごめんね、テト。私もう行かなくちゃ。また後でね」
 テトは、「うん」と頷いて笑みを浮かべる。
フィシュアは、「シェラートもさっきはありがとね」と再度簡単に礼を告げると、ふてくされているドヨムの背を押し促して庭園を後にした。
 
 
 フィシュアの姿が完全に見えなくなってしまってから、ロシュは「さて、どうしましょうかね」と呟いた。
その声に思考を止めたシェラートが「何がだ?」と問い返すと、ロシュは苦笑を洩らして告げた。
「フィシュア様が戻ってくる前に剣術の稽古を終えなければならなくなりましたからね。続けていたら、また参加したいと言いかねませんし。それにしても、見える魔法はいいのですが、見えないものだと避けようがないですね。先程の風ぐらいならば、大気が動いたのが何となく分かったのですが」
「けど、そういう剣術をフィシュアに手ほどきしたのはロシュなんだろう?」
 脈絡のない問い返しに、彼らの傍らに立っていたテトは首を傾げた。
「何の話?」と尋ねてきたテトに、シェラートは「時間はいっぱいあったってことだ」と答えた。テトはますます首を傾けてしまったが、きっと時間はたくさんあった筈なのだ。それこそ、砂漠の砂の粒のように。それでも、フィシュアが知らないと言うのならば、教えなかったことこそにロシュの意図がある。
「それに関してはご推察通りとしか言いようがありませんね」
 ロシュは常時貼り付けている笑みを逸して、「それならば、申しておきましょうか」と落ち着いた声音で静かに言った。
確かに、剣術を習いたいと言ってきたフィシュア様には急拵えという言葉にかこつけてわざと一撃必殺しか教えていません。私が誰よりも何よりも、まず第一に守るべきはフィシュア様の命であって、それ以外では有り得ないからです。
少しでも相手のことを知ってしまえば躊躇するフィシュア様の性格も解しています。けれど、闇に紛れて襲ってくるものは決して彼女と親しくない者とは限りません。だから、もしもの時、フィシュア様が咄嗟に動いた瞬間その者の命を絶つことができればいいのです。フィシュア様に状況を見極めることができるほどの余裕があって、尚且つ戸惑った時には、変わりに私が排除します。しかし、大抵の場合は咄嗟的な反射が命運を分けますからね。
結果的に壊れてしまうものがあっても私は別に構いません。命さえ守ることができればいい。その点があなた方との違いでしょうか」
 テトとシェラートを順に見据えて、ロシュは息をつく。
「ですが、だからと言って壊れてしまうことも私の本意ではないのですよ。本当は、このままであって欲しいと私自身は思っているのですが……ついでですので、一応。
よろしいですか。フィシュア様を手助けしようなどとは思わないで下さいね。ここ以外の場所でなら、全く構わないのです。むしろ、気にかけて下さって嬉しいのです。しかし、ここは皇宮です。だから、やめておいた方がいい。助けになるどころか却って追い込むことになるかもしれませんよ」
 一応ちゃんと申し上げましたから、と言うと、ロシュはにっこりと微笑み、すらりと剣を抜いた。
「もう充分満足ですよね? では、続きを始めましょう」
 
 
 
 あれ、とフィシュアは部屋に会した顔ぶれを見渡した。
「トゥイリカ姉様は?」
 一か月前は確かに皇宮に帰って来ていたはずの一番上の姉の姿がどこにも見当たらなかった。
 お帰り、とフィシュアを迎え入れたのは、波のある茶の髪を肩下までゆったりと流し、藍の濃い瞳をふんわりと和ませた女である。薄桃のドレスは彼女の雰囲気と同じく柔らかに揺れ、唯一茶の髪に挿し入れられている髪飾りについた藍の石だけが、しっかりとした強い印象を与える。
彼女の姉であり、ネジュトリア(二番目の姫)であるウィルナは座っていた席から立ち上がると、傍へより、フィシュアの両手を取った。
「なんだかね、トゥイリカちゃんは暇だからって、旅行に行っちゃったのよ。アエルナ地方の……どこだったかしら? 確か砂漠に近い所に行くって言ってたような気がするんだけどね」
「アエルナ地方に?」
 それは、ついこの間までフィシュアが赴いていた場所である。
「そうだ。わざわざ行ってもらったのに悪かったな、フィシュア。こんなことなら、あいつに行かせとけば良かった」
 長机の中心に座していたアーネトゥス(一番目の皇子)であるオギハは忌々しげに言うと、「まぁ、座れ」とディルの前の席を示した。
 フィシュアから手を離したウィルナは静かに自分の席へと戻り、フィシュアも定位置に着く。フィシュアの後に続いて来ていたドヨムも与えられた席にどっかりと腰を下ろした。
 皇宮内でも、割と狭い部屋の部類に当たるこの部屋。皇族の会議の為だけに使われているこの部屋には、中央に滑らかに磨かれた白石で拵えた長机が置かれている。全部で二十二脚分の席は、歯が欠けたように空き、埋まってはいない。今回の件に関して動ける者は、アーネ(一)、ネジュ(二)、フィス(五)のそれぞれのトゥス(皇子)とトリア(姫)、トゥッシトゥス(三番目の皇子)、それに、皇太子妃であるイオルの八人。アーネトリア(一番目の姫)であるトゥイリカが抜けている今、この場に揃っているのは七人だけである。
「けっどさあ、トゥイリカが出かけたくなるのもうなずけるよな。だって、アエルナのジン(魔人)の報告受けてから、もう三か月以上だぞ? 何もなさすぎてつまらん」
 ドヨムはアーネトリア(一番目の姫)が座すはずだった空席を見ながら、頬杖をつく。
「あらあ、何もないなら何もない方がいいじゃない。取り越し苦労は、取り越せば越すほどいいのよ。ねぇ、イオルちゃん?」
 義姉ではあるが、ウィルナよりも年下のイオルは、彼女に向かって口の両端をあげて、優美に微笑む。
「それじゃ、全然意味分からないよ、ウィルナちゃん」
 ルディが言う。普段は誰よりも姿勢の良い彼の体勢が不自然なのは、やはり少なからず痛めているからだろう。弟の指摘を受け、ウィルナは口を尖らせた。
「そんなのだから、ルディは、まだ子供なのよ。分かってないなぁ」
「俺も分からないけどな。ウィルナはいっつも意味不明」
 ドヨムが皮肉気に口の端を上げると、ウィルナは柔和に笑んで首を傾げる。
「何かお姉さんに言ったかな、ドヨム」
 素早く自分と同じ色の双眸から目を逸らし、ドヨムは「どうして、こうネジュ(二)がつく奴らは恐いんかな」とぼやいた。
 ウィルナはそれを聞こえぬものとし、「無駄口もそれくらいにね」と軽く諌めかけてきた眼鏡を付す眼前の兄を見やった。
 ヒビカは妹の視線を受け、次いで、オギハへと流し、小さく頷く。
 オギハが机上で、黙したまま両手を組み合わせたことで、場に集まった皆の視線が一挙に彼へと集まった。
「じゃ、まずフィシュア。報告は先に受けてはいるが、確認してきたことを語れ」
 長兄の命に、フィシュアは「はい」と頷き口を切った。
「アエルナ地方のキャピエ村の端に位置する野には、センジダ候の提言通り民が集まって野営をしていました。同アエルナ地方の難民です。数は五十程。訳の分からぬ内にあちこちで爆ぜた火が回って命からがら逃げたと皆、口をそろえて言っていましたから、ジン(魔人)の襲撃を受けた村の内の一つに住んでいた者達と見て間違いないでしょう。センジダ候に彼らへの支援と村人たちが望んだ場合には定住許可を出すようにとの要請をお願いします」
 請け負ったオギハに、フィシュアは「あと、もう一つ」と眉をひそめて言った。
「おかしな点があるのです。村人たちは自身の村から逃れて野へと辿り着いたのだろうと思っていたのですが、話を聞いていると、どうやら彼らは逃げている途中、気が付いたらあの場に立っていたらしいのです。あの場にいた村人全員が同じ体験をしています。被害を受けたどの村とも大分距離があるので、人の力では一瞬にして移動するのも不可能だと思うのですが……」
「それのどこがおかしいんだ? ジン(魔人)の仕業だと考えたら納得いくだろ」
 ドヨムはのんびりと言った。「だから、おかしいとフィシュアは言いたいのですよ」とヒビカは単純すぎる見解を述べた弟に嘆息する。
「どこに自分が襲った村の民を避難させる襲撃者がいるのです」
「案外親切だったんじゃないか? そのジン(魔人)達が」
 どうしてそうなるんです、とヒビカは呆れたが、ドヨムの方は「その可能性も無きにしも非ずだろ」とあっさり返した。
「でも、それこそがおかしいのよ」とフィシュアは指摘する。
「シェラートが前に言ってた。ほとんどのジン(魔人)やジーニー(魔神)は、例え人間から神と崇められようと興味が無いから放置してるって。つまりは、人間に興味が無い、どうでもいい、ということでしょう? 興味のない対象を助けるはずがない。それに、ジン(魔人)は契約によって結ばれれば人間の命を聞くけれど、ジン(魔人)の契約者である者自身が村を襲撃させたはずだから、ヒビカ兄様の言う通り、助けるのはおかしい。行動が矛盾してる。他にジン(魔人)たちが力を行使する時は、彼らの気まぐれだってことも言ってたけど、そんなに都合よく気まぐれを起こして人間を助けてくれるジン(魔人)やジーニー(魔神)がいるかは……謎、としか言いようがない」
 会議室を包んだ妙な重苦しい静寂。だが、それは、同じく別の意味で妙に明るい声によって即座に崩された。ウィルナは、ぽむと自身の拳を掌で受け止め、緊張感のない緩やかな表情をつくる。
「そっか、今ジン(魔人)が皇宮にいるのよね。私まだ会ってないのよ。ずっと見に行こう、見に行こうっては思ってたんだけどね」
「あー、それな。俺、今日見てきたけど期待したほどじゃないぞ。なんか普通。ものすっごい普通。ヒビカよりも若く見えるな」
「えー、そうなの? 私の予想ではねー……」
「ウィルナ、ドヨム」
 淡と落ちた声音に、名を呼ばれた二人は身を凍らせる。
「別に外に出ていてもいいのですよ?」
 互いに顔を見合せて、ヒビカから逃れるように首を竦めた弟妹を見て、オギハは苦笑した。
「ヒビカは厳しすぎるよな。でも、ま、二人も気を付けとけ。アエルナの難民については、これ以上考えても無駄だろう。どうせ考えたって分からないからな。頭には入れとく。ご苦労だった。次、ルディ」
 はい、とこの中では一番年下のルディが、顔を引き締める。
「皇都においての火点け、物盗りは共に減少傾向にあります。前回の報告からの、火点けは五件、物盗りは二件です。ただし、冬に向かうにつれ空気が乾燥しますから、より一層の注意が必要かと」
 うむ、と頷いて「ナディール(季節風)もなぁ」とオギハは付け加える。
「あれが吹き始めた今は一度火点けが起こるとあっという間に広がりそうだからな。それでなくとも、これからの季節は火事が多い。人手が足りなそうだったら軍の方からも人員を割くから、その時は遠慮なくドヨムに言え。むしろ、今日やられた分、ドヨムをこき使ってやるといい」
 ドヨムは嫌そうに顔をしかめ、ルディは曖昧な顔をしつつも礼だけはきちんと述べる。
「それにしても、ジン(魔人)に火点けって皇都も物騒になっちゃったわよねぇ。フィシュア、宴の時は十分に気を付けるのよ!」
「そうですよ。何か起こったら、ひとまず逃げなさい。体勢をしっかり固めてから向かえばいいのですから」
「フィシュアは突っ走るからなぁ」
「フィシュアの周りは人も集まるからその分、警備も強化しとくけどね。ロシュがいるから何とかなると思うけどさ」
「いいか。何をおいても、まずホークで知らせろ。フィシュアが勝手に動くと損害が増えるかもしれない」
 次々と発せられた、心配とも忠言ともとれる言葉に、フィシュアは思わず微妙な色をその表情に宿す。何と答えればいいのか、ちょっとは怒るべきか、迷うところであった。
 イオルだけは、何も発さず、ただクスクスと笑って、彼らの様子を眺める。
「ああ、もう、私が代わってあげられたらいいんだけどなっ」
 机の上で、自身の両腕を伸ばして眉を寄せているウィルナに向かって、ヒビカが「無理でしょう」と言う。
「ウィルナの歌声は酷いですからね。ジブダがあなたの鼻歌のせいで頭痛がすると言ってましたよ」
「何それ、ひっどい! 帰ったら文句言ってやらなくっちゃ」
 頬を膨らませたウィルナに、ドヨムは「義兄さんの反応は正常だろう」と憐れみを含んで呟く。ウィルナの音痴の程度を知っている他の兄弟たちも苦笑を浮かべるしかない。
「やー、でも、そうだなぁ。警戒ついでに宵の歌姫の舞台でも見に行くか? この頃、フィシュアの歌、聞いてないしな」
「や、仮にも皇太子様がそう簡単に街なかに下りちゃだめでしょ」
 のほほんと真面目な顔をして提案する夫の袖を、イオルはついついと引っ張った。彼なら本気で行きかねないというイオルの憂いは間違ってはいない。
 
 重苦しい議題とは対照的に、和やかに進む会議は、その後もいくつかの案件に渡り話し合ってから、特に問題もなく幕を閉じた。
 
 
 
 
 
 

(c)aruhi 2009