へたくそ

 

「じゃあさ」
 どうやら話に入ることができないと悟ったらしいラルーは、自ら会話の方向を元に転じた。
「父上は、どう? 母上と同じで俺のことアイシテル?」
 ふふん、と上を向き、小さな子どもは面白そうに答えを待っている。
 そういう風に、ラルーが言うと、全く別の言葉に聞こえてしまうから、不思議だ。この息子にとってその言葉は、どう言った意味を含むのだろうか。
「じゃなかったら、ラルーはここに存在していなんじゃないか?」
 口にできることはここにある現実。
 満足そうに首をすくめてみせたラルーは、次いで、後ろにいるメレディを振り返る。生まれた頃より、彼を育ててきた老侍女は、ラルーの言葉ない報告を受け、ゆったりと首を縦に振り頷いた。
「じゃあさ、じゃあさ」と、ラルーは言いつのる。
「父上は、俺と母上どっちの方が好き?」
「ラルー。それは一番聞いてはいけないんだぞ。順番をつけられるものじゃないだろ」
「どうしてさ。別にいいじゃんか」
 両腰に手を当てて、ラルーは反論する。
「なら聞くが、ラルーは、バロフとメレディどちらの方が、好きなんだ?」
「メレディ」
 ラルーは思いもかけず、即答した。彼の目に迷いはない。
メレディは、彼の答えを聞いて、嬉しそうに頬を赤らめる。対して、バロフは、「だから、何故私なのですか」と不機嫌そうにぼやいた。
「あー……、悪いバロフ」
「……謝らないで下さいよ」
「なら、次だ、ラルー。メレディとアシュレイならどっちが好きだ?」
「何故、貴方じゃないのですか」
「決まっているだろう、そんなの」
「――な! 卑怯ですよ、ご自分だけ!」
「知らん。聞こえん」
 バロフと言いあっている間にも、ラルーはしっかりと考えていたらしい。一人眉根を寄せていた。
「……メレディとアシュレイはどっちも同じくらい、かな?」
 彼は自分自身に問いかける。
「うん、それでいい。どうせそれ以上考えたって答えはないからな。つまりは、そういうことだ」
 ラルーは、怪訝そうな表情のまま、バロフに助けを求めた。バロフは苦笑しながら、こちらを見る。
「だって、計りようがないだろう。そもそもが違うんだから。相手に持つ感情も評価も価値も、その相手によって一人一人違うぞ。ラルーならラルーに、バロフならバロフに、トゥーアナならトゥーアナに。そもそもが全く違うものを、比べる方が間違ってる。だから聞くだけ無駄だ。答えはない」
「だけど、メレディとバロフなら簡単に答えが出たじゃないか」
「それは、確かにそうだったが、その辺は難しいな」
 素直に納得してくれない存在に苦笑する。
しばらく、何かないかと考えてみたが、これ以上は思いつかなかった。伝えることは、なかなかに難しい。
「よし、じゃあ、バロフ任せた。答えてやれ」
「……困ったからって私を巻き込むのやめませんか、陛下」
 はぁ、と溜息をつきながらも、バロフは「そうですねぇ……」と考え出す。
「その辺は、存在の大きさの違いではないでしょうか? 立場を抜きにしたとしても、こないだ来たという貴族の子らとラルシュベルグ様なら、私は、間違いなくラルシュベルグ様を選びますよ。どれだけ親しくしているかとか、どれだけ必要かとか、大切かとか、そういったことが関係してくるのではないですか? だから、存在の大きさが同じ者たちの中では優劣がつけられないのでしょう」
 ラルーは、無言でバロフを見上げる。しかし、いっときすると「なんか、混乱してきた」と、彼は呟いた。
「父上たちの説明分かりにくいよ」
「悪かったな。昔から、答えの出ないことを考えるのは苦手だ」
 ラルーは、まだ、考えているようだ。青い双眸が、どこか違った場所を探している。
「まぁ、自分なりの答えをみつけることだな」
 明るい風の中には、日向の匂いが混じる。
「ラルー」
 最後に一つだけ思い立って、問いかけてみた。何、と彼は疑いもなく、きょとりとこちらを見返してくる。
「お前は、母が好きか?」
 答えを探すように、ラルーはぐるりと辺りにいる身近な者たちを見渡した後、首を捻った。
「さぁ。分からないや。だって、話の中でしか知らないから。好きか嫌いかなんて決められないでしょう?」
「そうか」と頷けば、「うん」と真面目な顔で頷かれる。
 だけど、とラルーは続けて、楽しそうに笑った。
「母上の話は好きだな」
 
 
*****
 
 
「ガーレリデス様」とトゥーアナは呼ぶ。
そして、いつも口に出して宣言するのだ。
「私はとても幸せですよ」と。
「トゥーアナはいつもそればっかりだな」
「ええ、他に伝えようがないのです。どうやったら伝わるのか。ちっとも言葉が足りません。他に言葉を知らないのです」
 手を伸ばせば、淡い金の髪は、指の間を、さらりと流れる。
 その様を見ていたトゥーアナは、はにかむように打ち笑って、両手を伸ばした。そっと添えられた、少しばかりひんやりとした彼女の掌に、両頬とも包み込まれる。
 薄闇の中で、ほんのりと光りを灯した紫の双眸が覗く。それを、ずっと見ていた。
「本当は、いつも、一緒の想いを抱いているわけではないのですよ。貴方に伝えたいことはいつだって、ちょっとずつ違っているのです。けれど、その時々の気持ちに一番近い言葉を探していると、どうしても“幸せ”になってしまうのです」
 いたずらめいて彼女は言う。それから、こつり、と。トゥーアナは微笑したまま自身の額を、俺の額に押し当てた。
「とても、もどかしく感じることがあります」
 近すぎるせいで表情がはっきりと見えることはない。けれども、込められた声音に、なんとなく彼女がどんな表情をしているのか察しがつくような気がした。
「ああ」
 なるほど。
「トゥーアナ」
 それは、とてもよく分かる。
「はい」
 抱き寄せると、ふと彼女はいつも顔をほころばせるから、鼻先にかすかな呼気がかかったことも別段驚きはしなかった。
 額が離れても、向き合ったトゥーアナは、やはり小さな花みたいに微笑んでいた。
 腕の内に収まっていることに安堵して、淡い髪色の中に、頬を埋める。
「だから、愛しています。ラルーも、ガーレリデス様、貴方のことも、いつだって」
 耳元で囁きが落ちる。
 相も変わらず、与えられた言葉に、その日も苦笑しかできはしなかったのだ。
 
 
 
孤独な王様へ End.  
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