5:継がる名 24 絡まりのないもつれ目【5】

 

 ダランズール帝国立中央総合学校――一般には皇立学校という通称で呼ばれることの多いこの学校は、皇都の西に位置し、細々とした施設を含めると皇宮に並ぶ敷地面積を有している。元来、帝国学術機関の中枢であったことに加え、国・地域・身分を問わず多方から優秀な人材が惜しみなく呼び集められた結果、同校には西の大陸で随一の知識が集った。あらゆる分野における最新の研究とその成果がここから外へ発信されていく。同校が学問を志す者にとって羨望の地となるのに、そう時間はかからなかった。
 そんな皇立学校の東端、最も市井に近い一角に初等部の校舎はあった。
 濃い茶の髪を二つに結んだ少女は、自分よりも一回りほど身丈の大きい同級生の少年の前で、ぶんぶんと手を振る。だが、何やら小難しい顔をして思案しているらしい少年の顔は、相変わらず小難しい顔のまま。いくら手を振っても反応しない同級生の彼の気を引こうとしているうちに、小難しい表情がうつってしまった彼女は手を振るのをやめると、痛くなってきた腕をさすった。
「だめだわ。反応なし! かんっぜんに周りが見えてないみたい」
「ばっか。イーラのやり方が下手なんだよ。どいてろ」
 肩をすくめた少女の体を押しやって、そばかすを鼻頭に散らした少年が前に出る。「いったいじゃないの!」と悪態をつくイーラをよそに、堂々と同級生の真ん前に立った少年は、ふんっと鼻息を荒く息巻いた。彼は両腕を大きく振りながら、飛び跳ねた。比較的新しいはずの板張りの床が、少年の跳躍に押されてみしりみしりと唸る。
「テットー! テトテトテトラン! いい加減に起きろ! 授業はとっくに終わったぞー! お前、ぼけっとしながら給食たべやがって! あんなぁー、別にいらないなら俺が食べてやったのに。あんな豪華なの食べられるの学校くらいなんだぞ。勿体ないことしやがっ――」
「――それは、関係ないでしょうがっ!」
「だあぁっ! ――っと何すんだよ!」
  足が床を離れたと同時に、イーラは彼の体を押し出す。ぐらついたそばかすの少年の体を、細面の少年が溜息と共に受け止めた。居並ぶ同級生に比べ身なりのよい彼は、倒れてきた同級生の腕を抱えながら、顔をしかめる。
「危ないよ、ナルマ」
「危ないのはイーラのせいだろうが! ジィール」
「だぁって、ナルマだってだめだったじゃないの!」
 ねぇっ、と首を傾げたイーラに対し、教室に集う女子十数人が賛同する。立場のないナルマは、ジィールに腕を抱えられたまま「うぐくっ」と言葉を詰まらせた。女子と同数存在する男子は、ナルマを支援すべく彼女らに言い返そうとしたが、結局は女子たちの冷やかな視線の前に、誰もが開きかけた口をつぐんだ。
「だけど、本当にどうしたんだろうね、テトは」
 ジィールはナルマを起こし立たせながら、二つ年上の同級生を見やった。目の前でこれだけの大騒ぎをされているにも関わらず、テトは微動だにしない。一体何がそんなに気にかかっているのか、今日は朝からずっとこの調子である。
皇都から遠く離れた山村から越して来たというテトは、学校に通うこと自体が初めての経験だと言う。その事実は、六年前の義務教育化に伴い、入学した当初から既に子は学校に行くものという認識を持ち合わせていたジィールたちをひどく驚かせた。特に皇都にある皇立学校では、本格的な実施に先駆け、正式な施行の三年前から現状と同じ授業・給食費無償で子どもたちに教育を行ってきた為、貴族も貧民も子ならば通学するというのが常識に近かった。ところが、テトがやって来たことにより、まだ学校すらない地域があることを彼らは図らずも知ったのである。
学校が珍しいからなのか。テトは日々の授業をとても興味深そうに、ナルマに言わせるならばクソ真面目に受けていた。
そのテトが、今日は心ここにあらずと言った風に始終ぼんやりとしている。否、ぼんやりと言うには妙に張り詰めている為、教師たちも一応注意はするものの困惑を露わにした。普段の態度が真面目である分、『何かあったのだろう』『今日くらいは大目にみるか』と教師の誰もが、悶々と考え込んでいる彼を早々に放置し授業を進める。結果、全時限終了後、昼の給食、清掃を通りすぎ、すっかり下校の時刻となった今も、テトは朝と同じ状態を保ったまま席についているのだ。
どうしようか、とイーラは級友たちを見渡す。「どうせ、また余計なこと考えてんだろ」というナルマの意見に、皆は揃って深く頷いた。
 テトは変わったところがある、と言うのが級童総じての意見だ。放課後は働き家の生計を支えている貧民層出身のナルマから、革職人の娘であるイーラ、貴族層のジィールまで、三十人弱の級友の中には、様々な身分が入り混じっている。一般民が通う学校に子を通学させるのを厭う貴族も多い中、貴族の中でも特に上級位しか与えられない称号である侯を親に持っているにも関わらず、自ら好んで皇立学校に通っているジィールも大層な変わり者という印象が強い。だが、そんな彼らから見ても、テトはジィールの数倍変わっているように見えた。それは、テトが皇都とは違う場所で生まれ育ったせいかもしれないし、歳が二つ分離れている為に起こる相違なのかもしれない。加えて、一見貴族にも何にも見えない極普通の少年が、毎朝立派な馬車で通学しており、帰途もやはり馬車を使っているという事実が、テトの不思議さを増した。
 イーラは、辺鄙な村に住んでいた為、学校に通った経験がなく、そのせいで本来ならば中等部第一学年にあたる年齢にも関わらず、自分たちと同じ二つ下の初等部第二学年に通っている、かと思えば、貴族のように馬車で学校に来るという何だかよく分からない境遇の同級生をじぃと見つめた。
「謎だわ。謎すぎて何を考えているのか分かんない」
「こないだ考えてたのは、どこから海になるかだったよな? 河がどこから塩辛いのか」
「その前は、音階の音がなぜその音に定められたのかでしたっけ?」
「中身が毎回毎回、どうでもよさそうなことなのも謎だわ。それに、今回は考えるにしても長すぎよ。――ああっ、もう!」
 突然、バッと両腕を上げて叫び出したイーラに、皆はぎょっとして彼女を見た。皆が見守る中、掲げていた手を腰にあてたイーラは「これ以上、気を使ったって時間の無駄よ!」と憤然と断言する。
「いつまでもテトの調子に付き合ってたら、日が暮れてしまうわ。ナルマ、いくわよ!」
「がってん!」
 イーラの掛け声に、ナルマはニヤリと口端を持ち上げる。そうして、それぞれに、ぎゅっとテトの耳たぶを握った彼らは、両方向に思いっきりテトの耳を引っ張った。
 
「テ、ト、ラ、ン!」
「――わ!? わぁっ! い、痛いよ!!! 何、どうしたのっ!?」
 
 ばちんと両耳を離されたテトは、じんじんと痛む両耳を手で押さえた。何やら自分を取り囲んでいる級友たちを見渡して、彼はみるみる目を丸くする。
「どー、おー、しー、たー、のー、じゃ、ないでしょう?」
 ばちり、と今度はイーラに額を指で弾かれて「あいたっ」とテトは額を押さえた。その隙に、ぐいぐいとまたもや引っ張られ始めた耳たぶ。テトは少しばかり泣きそうになりながら、容赦なく耳たぶを引きちぎろうとしているらしいイーラを見上げた。
「イーラ、耳、取れる!」
「そう? じゃあ、私が付けてあげるわよ」
 言うが早いか、イーラは、びよーんと横に引きのばしていた手を逆に中央に寄せた。それに伴い頬までイーラの掌に押しつぶされたテトは、顔をしかめる。
 頬も目も口も、顔のあらゆる部位が中央に寄せ集まっているテトの顔を見て、イーラはきゃらきゃらと笑った。
「テトが悪いのよ」
「まぁ、テトが悪いな」
「うん、テトが悪いよ」
 級友たちは、変な顔になっているテトに対し、笑いを隠すことなく順に頷き合いながら連呼していく。しっかり二十六人分『テトが悪い』を受け取ることとなったテトは、納得のいかない気持ちを味わった。
「僕、何もしてないと思うんだけど」
「その通り。何もしてないのよ。手を振ったのに反応がなかったもの」
 これ見よがしに、目の前でひらひらと手を振られ、「ええっと」とテトは頬を掻く。
「ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ」
「ばっか。ちょっと年上だからって大人ぶっても無駄だぞ」
「別に大人ぶってなんかないんだけど」
 むすりと口を曲げたナルマを見上げ、テトは困惑する。
「どうしてみんな、そんなに怒ってるの?」
 自然と零れ落ちた疑問。けれども、テトが発した言葉に、彼を取り囲んでいた級友たちは揃って彼に呆れた目を向けた。
 ただ一人、ジィールだけがこの年上の同級生の様子に、しょうがないとでも言う風に苦笑する。
「あのね、テト。テトが一日中、何かを考え込んでることは、みんな分かってたんだよ」
「う、うん……?」
「授業なんか耳に入ってこないくらい考えてたんでしょう? 今日の給食何だったか覚えてる?」
「え? ええっと……」
 なんだっけ? と眉を寄せたテトの頭を、「豆スープだろ!」とラマルがはたく。ジィールは答え合わせをするように「つまりさ」と手を広げてみせた。
「みんな、テトに相談して欲しかったんだよ。テトが一日中考えるくらいだ。そりゃあ、相談してもらったからって、すぐに解決するとは限らないけど、もしかしたら誰かが答えを知っていたかもしれないだろう? せっかく二十六人もいるんだから。テトを入れたら二十七人だしね。友達が悩んでるのを見たら、何かできないかなって、もどかしくてしかたがないもの」
「……相談?」
「そう。無理にとは言わないけどね」
 ジィールに続いて皆が頷く。テトは、級友たちが一様にうんうんと首を縦に振っている姿をきょとりと不思議そうに眺めた。
「だけど、相談って友達にするものじゃないでしょう?」
 テトは、こてんと首を傾げる。その様は、嫌味でも何でもなく、至って真面目な疑問であるようだった。だからこそ、彼の周りにいた友人たちは、テトの発言に絶句する。
「――こーら。ちょっと、待ちなさいよ? なら、誰に相談するって言うの」
 再び耳たぶを引っ張り始めたイーラに抗議しながらも、テトは「だって」と言い募る。
「相談ってお母さんにするものじゃないの?」
「はい!?」
「お母さんに、相談しようにも……そうだね、どうすればいいのかな」
 それきり押し黙ってしまったテトに、級友たちは神妙な顔つきで互いを見合わせた。どうやら、テトの認識に誤解から生じたずれがあるらしいことだけは確かなのだが、やっぱりテトはどこか変わっている。もっと注意してあげなければと、テトよりも二歳下のはずの彼らは改めて確認し合ったのである。
 
 

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