「フィシュア!」
夜も遅い時間帯。テトは家の扉を開けたのが誰かを知るなり飛び付いた。
久しぶりの淡い香りに抱き返されながら、「おかえり」とテトはフィシュアの肩に頬をよせる。
半年ぶりに皇都に帰ってきたフィシュアを見たのは、何も今日が初めてではない。
今夜も、昨夜も、一昨日の夜もテトはフィシュアの歌を聴きに彼女の舞台へシェラートと一緒に出かけたのだ。
だが、人気者の歌姫は人に囲まれていて二言三言話すのがやっとだ。舞台でない時間帯もまたフィシュアと話す機会は巡ってこなかった。いつもながら忙しい彼女は皇宮や警備隊の詰め所を往復するばかりで、時間を取るのも一苦労らしい。
「ただいま。少し見ないうちに背が伸びたわね、テト」
「でしょう? 自分でもびっくりしてる」
二人は顔を見合わせて、けたけたと笑う。ただいま、とフィシュアは斜め上に顔を向けて、一人無言で椅子に腰かけていたシェラートに声をかけた。
離れた場所から二人を眺めていたシェラートは、「あぁ」と笑う。
特に労うでもない。その物言いがシェラートらしくて、テトはこっそりとほくそ笑んだ。「フィシュア」とテトはフィシュアの手を握る。
「今夜はここにいられる?」
「ええ。明日の昼まではここにいるわ」
「じゃあ、今日はずっと話そうね!」
「もちろんよ」
力強くフィシュアは頷く。テトは嬉しくて、家の中へとフィシュアの手を引いた。
話したいことが次から次へと溢れ出て、そわそわする。ずっとフィシュアが帰ってきたら話そうと、話題を溜めておいたのだ。
しかし、いざ寝台に二人並んで腰かけて、話し出すと用意していたのとはてんでばらばらに話が飛んだ。飛んで、入り混じってごちゃごちゃになって、時折、フィシュアの旅の話を聞いた。
帰ってきたその日に貰った木彫りの土産。ネズミによく似た身体の背に何本もの角を突き出ているあの動物は、フィシュアが訪れた隣国で昔、信仰されていた地の神らしい。
神、と聞いて、テトは図書館で読んだ古い神話を話す。テトに問われて、シェラートは東の大陸の神話を話しきかせた。
夜が更けるのは早かった。もともと遅い時刻から、話し始めたこともあり、話は尽きないながらも、気力の方が先に尽きてしまったのだ。
うとうとと船をこぎだした、テトを促して、フィシュアも並んで横になる。
数分後には聞こえ出した二つの寝息に、シェラートは静かに苦笑しながら一人、注いだ茶を飲んだ。
テトにしては大分夜更かしをしてしまったらしい。窓の外に見える満月は、もう中点を随分と過ぎていた。夜空に煌々と輝く満月の位置は、夜明けがもうほんの数刻で訪れることを示していた。
「昼までって、昼まで寝てるんじゃないのか?」
テトもフィシュアも、それくらい寝てもおかしくはなさそうだ。久々なのだから、それくらいのんびりしてもよいだろう。後で、散々テトになじられることだけは覚悟しなければいけないが。昼過ぎに起きだして怒っているテトを想像してしまったシェラートは、溢れ出そうになった笑いを噛み殺す。
奥の部屋から、余分に掛け布を取ってきたシェラートは、テトとフィシュア二人で分けるには幾分か小さい掛け布の上から、持ってきた掛け布を重ねた。
すぅ、と息が吸い込まれる。
「覗かれると寝れないわ」
ぱちりと目を開けたフィシュアは、自分たちを見下ろしていたシェラートの顔を、ぐいと手で押しやった。
「お前なぁ……」
顔を無理に背けられたシェラートは、呆れ混じりに溜息をつく。
「掛け布かけたくらいで、いちいち起きるな」
「無理。一度身に付いちゃった習性は変えられないもの」
悪びれもなく言い放って、夜のしじまの中、フィシュアはけらけらと笑った。
「シェラート」
頬に添えらた手の力が弱まったのを感じて、シェラートは目線を動かした。仰向けに眠るフィシュアに対して、彼は片眉をあげる。するとフィシュアは、情けなさそうに眉を下げた。
「そうされると弱音ばっかり吐いてきたって思い知らされるから。決まって眠る前だったもの」
フィシュアは、シェラートの頬をなぜる。彼女の指の腹が辿るその感覚は、輪郭を確かめているようで、何か言おうかと思ったが、結局シェラートは、フィシュアのしたいようにさせることにした。
微笑んだのは、一瞬。眦を緩めて、フィシュアはシェラートを見上げた。
「シェラート、シェラート。キスして」
歌に似せて、彼女はささめく。
覆う人影が濃くなって、睫毛の先に唇は寄せられる。
フィシュアの乞いに応じて、こめかみと首元を辿った彼は、最後に彼女の口先に、軽く口付けて身を離した。
辿られる間、笑いをこらえていたフィシュアは、最後の最後に口を寄せられて噴き出す。隣で眠るテトを起こさないように、静かに。けれど確かに。くすくすとフィシュアはたっぷりと笑い転げてから、握り返したシェラートの手の爪先へ口付けたのだ。
「好き。大好き。きっと。ずっと」
012.キス2秒前
2011.11.02.
冬眠中看板裏「おやすみのその前に」ボツ。
基本、私は幸せフィシュアに飢えている。頼むから幸せになって!
とりあえずこのこさえ幸せになってくれれば後はもうどうでもいいとすら思ってる。
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