しくしくと鼻が痛む。冷えた空気の溜まった部屋で、紅は目を覚ました。
 薄い掛け布は、周りの温度をよく通す。外気を吸い込んだ少女は、痛む鼻をすぐ傍にある人の体温に擦り寄せた。次第に冴え渡ってゆく意識の中で、顔の近くにあたる温かさが、とくりとくんと脈を打つ。それは庭にある水場が際限なく零し続ける水音にも似ていて、彼女は確かな安堵を伴ってこの日もすぐ上にあるのだろう実己の口に手を伸ばした。
 この人の寝息は浅い。家の隙間から洩れ入る風のような息は、毎度、動かなくなるのではないかという焦燥を彼女に起こさせた。動かなくなる。母さんみたいに。あの人みたいに。
 毎朝、繰り返し伸ばされる手の意味を彼は知っているのだろうか。
 少女の小さな掌が、男の呼気を探り当てるよりも早く、彼は腕の内にある少女の肩を温めるように抱いて、結い目のない頭を撫ぜるのだ。
「起きたか」
「起きた」
「おはよう」
「おはよう、実己」
 瞬時に軽くなった憂いに、紅は吐息を綻ばせ、おはよう、おはよう、と実己の肩に頬を擦りつける。ふふふ、と脈絡もなく笑った彼女は、彼の腕間から抜け出すと、低い寝台を飛び降りた。
 凍える土床が、剥き出しの足にじかに響く。
「朝ご飯!」と振り返った少女のすぐ脇を足音が通り過ぎた。「そうだな」と請け負った実己が、引いた家の戸は、ぎぎぎとやけに重苦しく引っかかった。するりと吹き込んだ風の中で、何かがくしゃりと鳴った。
 紅は首を傾げる。
「あぁ、すごい葉だな。ちょうど戸の端が吹き溜まりの山になってる」
「落ち葉?」
「そう」
 戸口まで駆け寄った紅は、こんもりと降り積もった落ち葉を踏みしめる。音を鳴らして崩れる葉は、脆くちくちくとして柔らかい。煎った時とも違う香ばしい香気が浮かび上がった。しゃがみこんだ紅は、両手に掬いあげた落ち葉に、顔を埋める。
「いい匂い」
 そうだな、と零れ落ちてきた苦笑は、紅が顔を向けるよりも先に、彼女の身体を抱きあげて、その膝に座らせた。
「紅、草履」
 汚れた足の裏を、実己は掌で拭いとる。くすぐったそうに身をよじった少女を押さえ、彼は紅の足に草履を履かせた。
 できた、と言う合図と共に、紅は彼の膝から飛び降りる。朝ご飯、朝ご飯、と笑いながら繰り返す紅は、今度は寄り道をすることなく厨へと向かった。

***

 さわさわと木は音を鳴らして葉を降らせる。
 厨の窓の格子越し。絶えず落ち葉が降る音にぼんやりと耳を傾けていた紅は、厨の扉が開く音に我に返ると、手元の作業だけに集中することにしたのだ。


鮮やかな憂鬱 027

2011-2012.05.02. 五、移ろいを幾返りも繰る 冒頭ボツ