「不気味だから歌うのをやめろ」
もうかれこれ一週間塔の上で歌い続ける女の目の前に立つ。
鉄の格子越しに見る亡国の王女は日増しに痩せ細り、やつれていくどころか、生き生きとしていた。
今日も楽しげに微笑み、口を開く彼女は奇怪そのものであった。
「それは聞きかねぬご相談にございます。なぜなら、歌は私の生活の一部ですから。それに、歌えば貴方が来てくれる。だったら私は歌うことをますますやめることはできません。だって私は貴方に会いたくてここまで来たのですから」
「なら、もうここへは来ない。歌っても無駄だ」
元来た道を戻ろうと踵を返すと、歌うように軽やかな声が石造りの牢の中響いた。
「それでも、私は歌い続けます。貴方がここへ来なくなったとしても、貴方の耳には私の歌が届くのでしょう?そうしたら、貴方は嫌でも私のことを思い出してくれるから」
目を細めて振り返り、少しも応えた様子を見せないトゥーアナへと問いかける。
「―――何が望みだ?」
「ただ、貴方の傍にいること」
毎日繰り返される問答。
聞く者が聞けば、酔いしれるほどの甘美さを持つはずの魅惑的な言葉。
けれど、紅い唇から紡がれる言の葉はただ、己の苛立ちを増させるばかりであった。
「はっ、つまりはこういうことか」
格子に両の手を掛けて一心にこちらを見つめ続けるトゥーアナに再び近づいていく。
さすがに意味が掴めなかったらしく、首を傾げた王女の頭へと手を伸ばした。
「―――ガーレリデス様何を!?」
侍女の悲痛な叫びを無視して、トゥーアナの頭を押さえつける。
反射的に抗おうとする彼女の体を抱え込むように格子へと引き寄せたまま、その紅い唇へと口付けた。
突然空気の通り道を奪われ、必死に息を吸おうと開いた口の中へと、自身の舌を無理やりねじりこむ。
熱く、とろりとした感覚。
奥へと逃れる彼女の舌をからめ捕り、逃げることも、呼吸をすることさえも許さない。
細い首の後ろから彼女の頭を手で押さえ、自分の元へと寄せた唇を、固く冷たい格子越しに、何度も角度を変えてむさぼり続けた。
やがて、抵抗することを諦め流れに任せていたトゥーアナの体から力が抜け、カクリと膝が落ちた。
「トゥーアナ様!!」
体勢を崩したトゥーアナの体をメレディが素早く支える。
けれど、「ひゅぅっ」という音と共に再び息を吸うことを許されたトゥーアナは激しく咳きこみ、そんな彼女を支え切れなかった老侍女は、王女と共に倒れこむように床へと腰を下ろした。
未だ整わぬ呼吸で喘いでいる王女を重い鉄の格子越しに冷ややかな目で見下ろす。
「これで貴女は満足か?」
紫の瞳がこちらを見上げる。
じっと見つめ、それから彼女は口を開いた。
「いえ」
そこには不快な色も、哀しみも、ましてや怒りさえ映ってなどいない。
ただ、いつもと同じ穏やかな表情があるのみ。
「―――何故だ?」
固く低い声が広い石造りの部屋の中に朗々と響く。
「……何故、と申されましても何がでしょう?」
彼女が首を傾げる。
まるで本当に何も分かっていないかのように。
けれど、どこか楽しげに。
その姿がとてつもなく憎々しい。
「何故、俺にこだわる? 何故、俺を嫌いにならない? あのようなことをされても尚」
トゥーアナは一瞬キョトンとし、それから目を細めて微笑んだ。
可憐で、純粋で、日向に咲く小さな白い花のように。
彼女は微笑む。
「何故なら、貴方は私が嫌がると知っていても尚そうしたから。そして、それを後悔しているから。だから、そのような顔をなさっているのでしょう?」
呆気にとられる俺に彼女は小さく笑い声を洩らし、さらに言葉を続けた。
「それに、私は知っているのです。貴方がとても優しい方だということを。だからこそ、私は貴方を愛してしまった。だからこそ、貴方に会う為だけに、私は今、ここに居るのです。
勘違いしてはなりませんよ、ガーレリデス様。貴方は先ほど私に苦痛ではなく、喜びを与えてしまったのです。これでは、ますます貴方を嫌いにはなれるはずがありません。
もし、私に嫌って欲しいのでしたら、あのような生半可なものではなく、最後まで私を痛めつけることです」
「―――つまり、それが貴女の真の望みであると?」
「はい」
躊躇いもなく頷くトゥーアナに嘆息しつつ、再び牢の中の彼女と向き合った。
「―――いいだろう。貴女の国を貰った礼として、一度だけ貴女の望みを叶える。ただし、一度。それ以降は無い。それから、歌をやめろ。それが条件だ」
「はい、お約束いたします」
彼女が笑う。
花のように。
そこに、企みが隠されているのか、未だ読み取ることはできない。
「牢を開けて、部屋を用意させよう。湯浴みをして充分に支度をするとよい」
(c)aruhi 2008