ever after 4

 

 月の光が漏れ入る大きな窓辺に彼女が立つ。
 そっと窓の淵に手を添え、窓の外を見降ろしていた彼女の姿は柔らかな白い光にそのまま溶けて消えそうなほど儚く見えた。
 部屋の中へと歩を進めると、静かすぎる部屋の中、己の足音だけが響く。
 その音に気付いたのか、ゆっくりと振り向いたトゥーアナの金の髪は薄く淡い光を宿していた。
「何を見ていた?」
「ここから見えるケーアンリーブの家々を。この国は本当に豊かですね。皆、惜しみなく家に火を灯すことができる。裕福な者も貧しい者も、皆」
 そう言って彼女は再び窓の外に見える家々へと視線を戻した。
 一つ一つの家が灯火を持って橙色に輝き、温かさを保っている。
「貴女の国ではそうでは無かったのか?」
 トゥーアナは初めて悲しそうな表情を浮かべて「残念ながら」と首を振った。
「けれど、貴方ならきっと私の国もここと同じように豊かにして下さいますよね? 誰もが皆、火を使うことが当たり前となるような、そんな国に」
 紫の瞳が窓辺から真摯にこちらを見上げる。
 それが恐らく彼女が持つ王女としての顔だったのだろう。
 国王や次期王となる王子よりも民のことを考えていた、と謳われた程の王女の顔。
 笑むだけでは無い、彼女の真の顔。
 そこに込められた願いは如何程のものか。
 計り知れない真剣さに押されるように、重々しく頷き、誓いの言葉を述べた。
「ああ、約束しよう」
 そう言うと、トゥーアナは顔をほころばせ、やはり花のように微笑んだのだ。
 
 小綺麗に整え、梳かれたであろう金の髪。
 この上なく磨かれたであろう白く透き通る肌。
 
 けれど、彼女が身に纏っている白い夜着は、血まみれでこの王宮へと現れた日のことを色鮮やかに思い出させて、それが皮肉だった。
 
 彼女の前に立った俺の方へとトゥーアナが手を伸ばし、そこでピタリと止めた。
「……触れてもよろしいですか?」
「ああ。好きにするといい。そういう約束だ。ただし、今日だけだが」
「ええ」と、どこかほっとしたように呟きながら、トゥーアナが恐る恐る俺の頬へと触れる。
「冷たいな。ずっと窓辺に居たのか?」
 ヒヤリとした感覚にそう尋ねたら、彼女は、また「ええ」と頷き、微笑んだ。
「人々の生活はいつ見ても、いつまでも飽きぬものです」
「ここからじゃ、人がどのように生活しているかまでは見えないだろう」
「それでも、安心するのです。そこに確かに存在すると。……貴方に触れているみたいに」
 再び優しく頬に触れている柔らかな手の感触を確かに感じて、その細い体を抱え上げた。
 紫の瞳が不思議そうに上からこちらを覗きこむ。
「どうして貴方は私が貴方に触れることを許して下さったのですか? ただ、牢に閉じ込めておけばよかったのに。どうして貴方は私の望みを叶えて下さろうとするのですか? 牢に留めて置きさえすれば貴方に不都合などなかったはずなのに」
「さぁ。ただ単に歌を止めて欲しかったからだ」
「そんなに私の歌がお嫌いなのでしょうか?」
 首を傾げて絶えず微笑む彼女を見上げる。
「そういう訳では無い。綺麗だと思うが、あれは……」
 
 綺麗すぎて、楽しげで……
 ――――――――――――――逆に哀しいのだ。
 
 何と言えばいいのかと言葉に詰まっていると、トゥーアナは僅かに目を伏せて、長い睫毛を小さく瞬かせた。
「もう、歌いません。もう……歌いませんから。だから今日だけは……。
今日で終わりにします。他にはもう何も望みません。望むものなどありません」
 柔らかく形の良い彼女の唇が自分のそれにそっと触れ、離れた。
 それと同時に紫の瞳から落ちた雫が、先程まで彼女が触れていた頬を伝う。
「貴女は本当にそれでいいのか?」
「ええ」
 もうそこに涙は無い。
 再び降りてきた柔らかなものを今度は離さず、さらに深く重ねた。
 
 
 トスリ、という微かな音と共に重みを加えられ始めた寝台が徐々に沈んでいく。
 
「……ふっ、あぁ……」
 時折、漏れる熱い吐息を確かに己の肌に感じながら、首筋から鎖骨へ、そして二つの膨らみへと手を滑らせ、次いで舌を這わせる。
 触れる度に微弱ながらも反応を返してくる白い肌。
 見た目通り滑らかであるその肌を貪り、時には優しく撫で上げながら、行為を進める。
 そこに、何の感情も無い。
 ただ、義務的に繰り返す。
 この無意味さを終わらせるためだけに。
 
 衣が剥がれ、露わになった白い肌が月明かりの元にぼんやりと浮かび上がる。
 輪郭が無くなったようにも見えるその肌を、再び確かめるようになぞり、ふっくらとした胸元へと顔を沈めて何度も何度も口付ける。
「……っはあ……」
 弱々しい鳴き声と共に、何をされるのか分かったらしい彼女の体が身じろぐ。
 けれど、体ごと抱え込み、再びシーツに縫い付けると声も出せぬように己の口で彼女の口を塞いだ。
 そして、そのまま彼女の太腿に留め置かれていた片方の手をゆっくりと滑らせ、足の付け根へと移動させる。
「………んん!!」
 触れられた王女は、今までになくビクリと体を大きく仰け反らせ、震えを催し始めた。
 
 その様子に、自分で望んでおきながら何を、と薄く笑い、それには構わず、紅い唇から口を離して再び胸の先端へと口を付け始めた。
 
 しかし、明らかな異変を感じ彼女の胸に埋めていた顔を上げる。
 
「……トゥーアナ?」
 
 先程まで微々たるものだった震えは、カタカタというのを疾うに通り越し、今はガタガタと音が聞こえてきそうなほどになっていたのだ。
 トゥーアナは自分の両の手を口に当て、必死に何かを堪える様に荒い息を繰り返していた。
 際限まで見開かれた紫の瞳は溢れそうなほどの涙を浮かべて、縋る様に寝台の天蓋を見上げている。
 
「どうした?」
 
 訝しさに眉を寄せ、トゥーアナの頬に手を添えながら彼女の顔を覗き込んだ。
 だが、彼女はその問いに答えることなく喘ぎ続ける。
 
「一体貴女は何を見ている?」
 
 紫の瞳には映っているはずの己の姿が映ってはいなかった。
 
「一体貴女は誰を見ているのだ、トゥーアナ?」
 
 彼女の頬にもう片方の手を添え、両手で顔を包み込むようにしながら、もう一度トゥーアナの瞳を覗き込む。
「あっ」という掠れた声と共に紫の瞳から涙が一滴零れた。
 
「ガーレリデス様……?」
 
 確かめる様に呟かれたトゥーアナの言葉に一つ首肯を返す。
 すると、王女は口に当てていた手を外し、俺の体へとその手を廻した。
 弱々しくも、その手が背中に触れ、まだ微かに震えているのを感じながら彼女の腰の下に手を廻して、王女ごと体を引き起こした。
 
「……悪かった。もう何もしない」
 汗で絡まった金の髪を梳き流しながら、彼女の頭を擦る。
 けれど、トゥーアナは震えたまま首を振った。
「……い……嫌です。貴方は約束して下さいました」
「……しかし……」
「―――お願いです。一度でいいのです。一度だけで。私を抱いて下さい。そうすれば、もう私は……」
 震えながらも言葉を繋げようとするトゥーアナの体を静かに寝台へと横たえる。
 
「ガーレリデス様……?」
 
「ちゃんと抱いているだろう」
 
 ようやく震えの治まり始めた細く白い体に回した腕に力を加えながら抱きしめる。
 
「…………はい」
 
 トゥーアナは自身も俺の背に回した手に力を込めながら、腕の中で小さく微笑んだのだった。
 
 
 
 夜が明けて、陽の光が差し込む頃。
 胸の近くに温かく柔らかなものを感じて目を覚ました。
 その瞬間、昨夜のことを思い出し、隣で眠る王女を見る。
 規則正しい寝息を繰り返す彼女の頬にそっと触れて涙の跡をぬぐう。
 
 上半身を起し、軽く溜息をつきながら再び彼女の白い体へと視線を落とした。
 けれど、そこに不可解なものを見つけて眉をひそめる。
 
 掛布から出て露わになっている白い肌の部分。
 朝日に照らされて、輝きを増している肌には、昨夜、己がつけた跡が花びらのように散っている。
 首筋、鎖骨、胸へと順を追うように記された赤い軌跡をなぞる。
 
 それに促されるかのように、トゥーアナの睫毛が震え、彼女がゆっくりと瞼を上げた。
 
 肌に触れられていることに気付いたトゥーアナはその頬にパッと朱を散らせ、胸元へと掛布を手繰り寄せながら深々と頭を下げた。
 
「―――昨夜は申し訳ございませんでした」
 
 そんな彼女と己の手を見比べ、首を振る。
 
「いや、それはいいのだが。トゥーアナ、貴女は…………」
 
 突然言葉を切ったことを不思議に思ったのか、顔を上げた彼女が首を傾げる。
 
「―――いや、何でもない。……今日からこの部屋を使うといい。後で貴女の侍女にも伝えておこう」
 
「……けれど……」
 
「仕方がないだろう。約束がまだ果たされてないからな」
 
「―――よろしいのですか?」
 
 驚きと同時に戸惑いを見せながら恐る恐る尋ねる彼女に溜息を落とす。
 
「貴女に歌われたら困るからな」
 
 彼女は呆気にとられたようにこちらを見ていたが、やがて微笑し、はにかんだ。
 
「――――はい」
 
 
 
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