ever after 5

 

 部屋を後にした俺は自分の手を見下ろした。
 手に付着しているのは細かく白い粉。
 
 そして、トゥーアナ。
 彼女の肌に残されていた軌跡。
 赤く鮮やかなものではなく、薄くなりつつはあったが確かに付けられた薄紫の無数の印。
 明らかに自分以外の誰かが彼女の肌に触れた証。
 
 一体どういうことだ……?
 
 
「ガーレリデス様」
 
 唐突に掛けられた声に、答えの出ない思考から顔を上げると、そこには彼の王女の侍女が立っていた。
「この度のご厚意有り難く存じます」
 それが、先程侍従に頼んで知らせたことを指しているのだと察し、軽く頷く。
「一時的なものだ。それに恩を感じる必要はない」
「ええ。それでもトゥーアナ様へのお心遣い本当に心に沁み入ります」
 深く頭を下げるメレディに軽く溜息を落とす。
「それよりも、貴女に聞きたいことがあるのだ。王女のあの痣のことだが……」
 そう告げると、メレディは顔を上げ、サッと顔色を変えた。
「トゥーアナ様が話されたのですか……?」
 固い顔をして問う侍女に深く頷きを返す。
 トゥーアナは話してなどいなかったが、そんなことは今どうでもいい。
 やはり、この老侍女は全てを知っているのだ。
「はたき粉で隠してはみましたが、やはり無駄でしたか……」
 白い粉の正体はそれか、と逡巡していると、メレディはどこか安堵したようにほっと溜息をついた。
「けれど、これで少し安心しました。トゥーアナ様は貴方様に話すことができたのですね。あれは、御一人で抱えるには恐ろしい、忌まわしい記憶にございます。本当に…………」
 王女と同じようにメレディもまた震え出した。
「――――少し場所を変えよう。あまりひどくトゥーアナに問うことができなかった。
貴女が話してくれるか? 知っていること。ありのまま、全てを。一体何が起こったのかを」
 
 穏やかに微笑む彼女が国を滅ぼすこととなってしまった理由を――――――
 
 
 
「一体貴方は何を考えているのですか!!」
 宰相であるバロフの怒声を無視して亡国の王女の老侍女、メレディに席に座るよう促す。
「別に何も起こらなかったから問題はないだろう」
「御身に何か起こってからでは遅いということなど分かりきっているでしょう! あのような姫と床を共にするなど軽率にも程があります!!」
 しれっと言ってみたが、それは逆に奴の怒りを煽るだけだった。
 額に青筋が浮き立って見える。
 そんな気がするほど彼は怒っていた。
 こうなると思ったからこそ昨夜のことは彼には言わずに済ませる予定だったのだ。
 けれど、状況が変わった。
 バロフにも聞いてもらう必要がある。
 そう判断したから、あえて彼をここへ呼んだのだ。
 
 人払いを掛けた王の執務室に居るのは、敵国であったルメンディア王国侍女のメレディ、宰相であるバロフ、そして王である己自身の三人のみ。
 気詰りな雰囲気が流れる中、客用の椅子に腰かけていたメレディが「恐れながら」と前置きをし、バロフを睨み上げた。
「我が君はそのような無粋な真似は致しません。姫を侮辱するような勝手な憶測はお止め頂きますよう」
 そこには長年王家に仕えた者の貫禄が備わっていた。
 だが、バロフは臆することも、詫びることもなく、冷ややかな目でメレディを見返した。
「そちらこそ、そういった類の憶測を呼ぶような軽率な行動はなさいませぬよう」
 平行線を辿りそうな睨みあいに嘆息しつつ、バロフにも席に着くよう命じる。
 
「とにかく今はメレディ殿の話を聞くのが先だ」
 
 大袈裟に溜息をつきながら腰かけたバロフを横目で確認して、メレディと対峙する。
 
「ではメレディ殿、話を」
 
 老侍女は一つ首肯してから、その口を開いた。
 
「貴方様方はルメンディア王国に跡目の王子がいたことはご存知ですよね」
 メレディの言葉に俺もバロフも頷く。
 トゥーアナとこの侍女が持ってきた首の一つこそがその王子のものだ。一体何を確認する必要がある?
 訝しげに眉を顰めた俺とバロフを目に留め、確かめるとメレディはさらに問いを重ねた。
「それでは、ルメンディア王家には跡目の王子以外他に王子がいなかったことも、もちろんご存知ですよね」
「ああ、知っている。生まれた他の王子は不幸にも全て病死されたとか」
 病死…………或いは、不慮の事故。
 この世界ではそう珍しいことでは無い。
 王位を手に入れる為に他の誰かが手を下すことなど良くあること。
 そう考えていたのが顔に出てしまっていたのか、メレディは溜息をつき、再び話を切り出した。
「―――お察しのとおりです。跡目の王子であったリーアン殿下以外の王子は全てリーアン殿下の手によってその御命を絶たれました。
 王子たちが一掃されたのはもう五年も前のこと。継承権第三位であったリーアン殿下が御年二十一歳の時のことです。記録にはもちろん残されてなどいません。父王陛下は御気付きになりつつも不名誉なこととして王子たちの死を病死と書き変えました」
 やはり、か。
 バロフも同じことを思ったらしく、興味なさそうに肩を竦めている。
「トゥーアナ様がここを訪れた際、何と仰られたか覚えておいでですか?」
 質問の意図がつかめず再び眉を寄せると、メレディは自ら答えを紡ぎ出した。
「トゥーアナ様は“王族はトゥーアナ様を除いて命ある者は無い”と仰られました。
 つまりはこういうことなのです。王族は王、王妃及び王子、王女だけではなく、王弟殿下そして、それにつながる王族全ての者がいない、と」
 王女がこの城へとやって来たあの日、あの時、告げられた端的な言葉に込められた真実に息を呑む。
「つまり、それは……」
「そうです。全ては五年前に遡ります。五年前、リーアン殿下が王族に少しでも係る全ての者を次々と亡き者にしはじめたあの恐ろしい日々。女も子も関係なく十数名もいた王族が御二人を残して全て殺されました。
 その御一人、当時すでに老齢であられた父王陛下は命を取り留めましたが、それにもリーアン殿下の思惑があってのことです。いくら他の者を排除したとはいえ、継承の証の剣がなければ認められません。代々王によって受け継がれる証は父王陛下に管理され、その時はまだリーアン殿下にその在りかが知らされてはいなかったのです。なので、リーアン殿下は父王陛下を廃したくても廃せなかった、というのが実情であったのかもしれません。
そして御二方目、王族が殺されていく中、王以外に唯一生き残ったのが…………」
 
「―――トゥーアナ」
 
 呟かれた彼女の王女の名にメレディは重々しく頷いた。
 
「そう、トゥーアナ様。リーアン殿下はトゥーアナ様の御命と引き換えにある条件を彼の姫に求めました。けれど、それは十六歳であられたトゥーアナ様にとって恐ろしく忌まわしい日々の始まり、地獄に身を落とすのと同意義だったのです」
 
 
 
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