我慢しきれずに零れるのは、明るい笑い声でありますように

 

「歌が……聞こえないな」
 
 部屋へ来ていたバロフは、俺が漏らした呟きに耳聡く反応すると眉根を寄せた。
「貴方がそう約束させたのでしょう? 彼の王女は約束を守っているだけ。わざわざ止めに行っていた歌が聞こえなくなったのです。良いことではありませんか」
「だが、聞こえないのは聞こえないので、また気になる」
 静まり返った部屋の中。風に揺られる木々のざわめきだけが、窓の外で鳴る。
バロフが溜息をついた。不機嫌そうにこちらを睨んで。
「陛下。貴方が気にしているのは歌ではなく、あの王女なのでしょう?」
「そう、かもしれない」
 全ては初めから。
 鮮烈な印象と共に現れた血に濡れた不気味な王女。
 まるでそれが嘘だったかのように刻まれた花のような笑み。
「彼女の侍女が語ったことに嘘偽りが無いと断言することは無理です」
「分かってる」
「妃として置いておくことを決めたと言っても、それは名ばかりの妃。妾と変わらない。これ以上を認めることは他の者にも無理ですよ」
 亡国の王女を留め置く猶予を伸ばす為だけの理由。
「貴方がしているのはただの同情です。愛情ではない。囚われてはなりません」
「けれど、あの時、俺は本気で彼女に捕らえられてもいいと思ったんだ」
 たとえ、その結果、囚われることになろうとも。
 あまりにも哀しげに彼女は微笑むから。
 トゥーアナは「哀しくなど、ありません」と言った。彼女自身がそう言うのなら、それはきっと本当のことなのだろう。
 ただ、彼女の笑みを見ると訳もなく泣きたくなる。
 だからこそ、煩わしかった。だからこそ、嫌って欲しかったのだ。
 言葉にするには酷く形容し難い感情。けれど、あえて言葉にするのなら、“哀しみ”が一番近いと思った。
「ただ傍に居たいのです」と彼女は願う。
 たったそれだけで、彼女の願いが叶うというのなら。
 俺が傍に居るだけで、トゥーアナの笑みが何の憂いも、屈託もない、ただ明るく、朗らかなものへと変わるのならば、彼女に捕らえられるのも悪くはないのではないだろうかと、あの時の俺は、心からそう思ってしまったんだ。
 
 
 
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