愛おしく思う気持ちのままに、あなたを愛せますように

 

 かつてルメンディア王国であった地の采配について、彼女に尋ねると、いつもすぐに的確な答えが返ってきた。

 決して政治に関わる立場では無かったにも関わらず、トゥーアナの亡き自国に対する知識は王のそれと等しいものがあった。
 
 王や王子を凌ぐほどに民のことを考えていたと謳われた王女。
 ルメンディアの王女としての彼女の顔。
そこにはいつも少しの悲しみと自嘲が滲む。自分の望みの為に滅び去った王国。彼女は己の罪深さを背負って生きていた。
 
 けれど、恐らく、跡目の王子であった彼女の兄さえ暴挙に走らなければ、トゥーアナは一生彼の寵に飼われる自分を甘んじて受け入れ続けていたのだろう。
 彼女はただ厭ったのだ。戦を。それに付随して失くなるであろう全てのものを。
 
 トゥーアナがここまで来た理由は本当にただ俺に会いたかっただけなのだろうと思うことがある。
 彼女が王となったとしても、ケーアンリーブへ来て国を譲り渡したのだとしても、結果として彼女の国土が戦禍に見舞われることはない。それらを考えた上で、自分の望みを叶えることを選んだのではないだろうかと。
あの時「もう充分気が済みました」と笑んだ彼女は、もう何もかも手放してしまっていた。きっと俺が引き止めなかったのなら、彼女は本当に牢に戻っただろう。そして、何もかも受け入れただろう。そう、例えば、罰を受けて死することさえも、トゥーアナは当然のこととして受け入れたに違いない。
だから思う時があるのだ。ただ彼女は自分が去った後のルメンディア王国とその民を、俺に託したかっただけなのではないだろうかと。
その為だけに、ここまで来たのではないのだろうかと。
 それほどまでにトゥーアナは民を尊ぶ。それは彼女の侍女の話を聞いた後、トゥーアナと接するうちに、数日で嫌でも分かってしまったこと。
 ルメンディアの地を差し出したとはいえ、その地に住む民が不利益を被ることをトゥーアナは彼女自身の知恵を以ってして退ける。それも、完全に相手を否定するのではなく、あくまでさりげなく。下手をすれば気付かれない程の器量を以ってして。
 その紫の瞳には強い意志が滲む。決して譲れないものを持った者だけが持てる意志。
 
 かと思うと、彼女はただ、微笑むのだ。
 何も知らぬ花のように。
 いったん、ルメンディアの話を離れると、彼女はあっさりと王女の顔を手放す。
 その変わりようが可笑しくて、
 いつのまにか何気なく伸ばしていた手。触れた頬。
 彼女は一瞬驚いたように瞬きをして、一度瞳を閉じ、微笑んだ。
 その瞬間、彼女の笑みが哀しみではなく幸福と慈しみのみを映すようになった。
 そのことにただ苦笑する。ただ、単純に嬉しかったから。
 ようやく、彼女が過去だけではなく、今を認め始めたのだと。確かにそれが分かったから。
 その感情が『愛おしい』というものだと気付くのはもう少し後の話だったのだが。
 ただ、その時は単純に体が動き、気付いたら彼女の頬に口付けていたのだ。
 
 
「どうしたのですか?」
 ふっと吹き出したら、トゥーアナがこちらを見て不思議そうに首を傾げた。
「いや、少し昔のことを思い出していた」
昔、と言ってもたかだか一年半前のことにすぎないのだが。
それでも、遠い昔のように思う。今ではあまりにもトゥーアナがこの場所に馴染み過ぎているから。
「重そうだな」
「平気です。命の重みですから」
 こちらへと歩みよってくるトゥーアナ。その口に幸せそうな笑みを浮かべて。
 大きくなったお腹を抱えた彼女は、よたよたと酷く危なっかしく歩く。そう言うと本人は「きちんと歩いています」と言うのだけれど。
 すぐ傍まで来たトゥーアナを抱き上げる。抱き上げた瞬間、ふわりと広がる、彼女の金の柔らかな髪が、小さな白い花のような笑みが例えようもなく愛おしいのだ。
「重たいですよ?」
「命の重みだろう」
「ええ」と言って彼女は笑う。穏やかに、紫の瞳を細めて。
 
 額に落とされた彼女の熱を、両の腕に掛かる何より大切な彼女の重みを、恐らく忘れることなどないだろうと思った。
 
 
 
 
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(c)aruhi 2008