泥棒さがし

 

その日はやけにじぃと見つめられていたから、訝しいと言うよりも正直気味が悪かった。
 
 
*****
 
 
「…………何だバロフ」
 いえ、と言いつつも、バロフは目を逸らさぬまま、じぃとこちらを見続ける。
 ルメンディアの王女が、この部屋を後にしてからずっとこうなのだ。いい加減やめて欲しい。つっ立ったまま、文句すら言わずに、黙っている宰相は、気味が悪くて仕方がない。
 バロフは、「はぁ」とこれ見よがしに溜息をついた。閉じられた扉の方を見やってから、口を開く。
「どうして手を出さないんですか?」
「バロフ、お前、そう言うことはもっと包みこんでから言え」
「そう言うことは、少しでも動揺を見せる方が言うものです」
 きっぱりと言って、バロフはまた溜息をつく。
「反対を押し切ってまで、末席の妃においた意味はどこにあったのですか?」
「さあ?」
 さあ、じゃない、とバロフは今度は睨みつけてきた。忙しい奴だなぁと思う。
 トゥーアナの立場は今でも微妙そのものだ。
 妃と言っても、それは城の中でだけ。“末席の妃”は、王の宣言だけ。そこに婚姻関係は結ばれない。ただの妾と同じ。対外的には、トゥーアナは今も亡国ルメンディアの王女でしか無いのだ。
 つまり、生かしている意味をもたせたのは愛妾として。だから、どうしてだ、と彼らは問う。
「ただ、生かしておきたかっただけだ」
 そこに、深い感情も考えも、きっと見つけられはしないのだと。
 恐らく放っておけば、勝手にすり抜けてしまうから。
 すり抜けられるくらいなら、逆に捕らえられてもいいと思ってしまったのは確かで、だが、だからと言って、それがどうしてだと問われると難しい。
 牢に帰ろうとする姿は寂しすぎた。
 処刑するとなれば、その承諾を下すのは自分だとも分かっていた。
 なら、すり抜けさせなければいいと思ったのだ。何かが変わるのならば、それを見てみたいと思った。ただ、それだけだ。だから、生かしておきたかったのだろう。
「生かされている意味を与えられないのも、酷だと思うのですが」
 それなら、さっさと正妃を迎えてくださいよ、とバロフは呆れた声を出す。
 寄り道してる暇はないのだと。
 触れぬなら、いらぬ期待を抱かせるな、と。
「けどなぁ……」
「何ですか」
 まだ何かあるのですか、とバロフは半眼する。
「だが、泣いて拒まれたからな」
 あの時の声にならない慟哭は本当にすごかったのだ。
「それで、やめたんですか? 貴方が!?」
「いや、そうじゃなくて、見てなかったから」
 は!? と問い返された言葉は、それほど驚くことでもないと思うのだが。
「だって、あれはな、俺を見てないぞ。しかも、触れた時に限ってな」
 俺のことを、好きだ、好きだ、と言っておいて、いざ触れたら、トゥーアナの目に映るのは過去の恐怖の対象でしかない。あの時も、こないだも。
「これは面白くないだろう? 恐怖するなら、せめて俺を恐がっとけと言いたい」
「そんな理由ですか……」
「そう、こんな理由」
 特大の溜息は、やはりというか、この部屋に響き渡った。
「私には、あの王女が貴方を優しいと言う理由が全く理解できないのですが……」
「それは、俺にとっても意味不明だ」
「早く間違いに気付いて自ら出て行ってくれると非常に助かるのですがね」
 まあ、それも時間の問題かもしれないな、と答えたら、また溜息が目の前に落ちた。
 
 俺から手を伸ばすことはないだろう。なぜなら、触れることが意味をもたないのだから。
そして、トゥーアナも自らは手を伸ばそうとしない。俺が許さない限りは。
 
だから、もう触れることなど無いと思っていた。
 
 
***
 
 
「何やってるんですか、貴方は!?」
 
 驚愕は執務室に響き渡る。バロフは呆気にとられた表情でこちらを見ていた。
「あー……何だか急に触りたくなった?」
 自分でもよく分からない。ただ、留められた彼女は腕の中に居て、身を寄せたまま静かに瞳を閉じていた。
 包み込みたくなった。閉じ込めたくなった。
逃してはならなかったからだと悟った。
 気が付いたら自分から手を伸ばしていた。
 何故かとても嬉しかったから。
頬に口付けていたことに気付いたのは、彼女の頬から離れた後だった。
 
「えっと、悪かったな?」
「いえ、とても……」
 
 口を閉ざしたトゥーアナは、こちらを見据えて、はにかむ。彼女の小さな微笑みは、いつもと何ら変わらぬように、ふわりと広がったのだが。
 ああ、と頷いて、トゥーアナの髪を前に梳きやったところで、あれ、と不思議さに首を傾げる。
 部屋にはバロフの大きな諦めの溜息が落ちた。
 
 それは、トゥーアナがここにやって来てから四か月と半月がたった頃のこと。
 
 
 
 
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