亡き皇太子を偲ぶ

 

 こうなってしまうと、始まりがどこだったのかと考えてしまうのが道理だろう。
 
 
*****
 
 
 知らなかったわけではない。
ただ覚えていないのだ。トゥーアナという存在をどこで認識したのかを。
 血にまみれた剣を持ち、酷い様相でここへと辿り着いた者。
 現れたのが誰なのかくらい名乗られずとも知れていた。顔も名前も知らないうちに一致していたくらいには見知っていた。どちらも社交の場に出る隣国の者同士。知らないと言う方が奇妙だ。一度も言葉を交わすことも無く、それどころか目に入れることすらないなど不可能に近いだろう。
 それならば、初めて出逢ったのはいつだったのだろう。
 十の頃、父王に連れられてルメンディアに赴いたことがある。確か、あちらの王族も揃った場所で会食を行ったはずだ。もしかしたら、その場にも居たのかもしれない。だが、座り並んでいた者が多すぎて覚えてなどいない。それどころか、トゥーアナの言った通り誰かに優しくした覚えなど一切無い。まあ、このことに関しては、トゥーアナが言っていたものとは絶対に違うだろうが。あの場に会していたとしても、当時彼女の年齢は三、四歳だ。覚えているはずもない。
 可能性が高いのは、シトロナーデの祝祭における舞踏会だろう。あの場には近隣諸国から多くの者が集まる。少なくとも一度くらい口はきいているはずだ。交わした会話が記憶になくとも、挨拶くらいはしたはず。貴族どころではない、仮にも一国の王女である。その可能性は非常に高い。いつから顔を見知ったのか覚えはないが、確かに見知っていたのだから、そうであろう。
しかし、それ以外には何もない。あったとしても、忘れてしまうくらいの些細なことでしか無かったのだろう。
行き過ぎるだけの存在を『出会い』の数に入れ出したらきりがない。そんなことをすれば、どれだけ膨大な人物と出会ったことになることか。出会いを繰り返したことになるのか。
『出会い』とはいつ成立するだろうか。『出会った』と認めなければ、それは成立しないのだろうか。
と言うことは、相手をそれと認めなければ、成立しないのではないだろうか。
そうなってくると、トゥーアナと俺の出会った日には確実にずれが生じるだろう。
 トゥーアナがどこで俺に出会ったのかは知らない。
 俺にとっての出会いはやはりあの日だったのだから。それならば、始まりの日もあの日か。
 あれは、鮮烈だったな、と目の前で流れゆく雫を拭いながら笑いが零れた。
 零れ行く涙の筋が綺麗だった。怯えては震えている彼女が愛おしすぎた。
 
「嫌なら嫌と言え」
 
 夜の暗がりでさえ、淡く映える金色の髪を撫ぜる。滑り落ちてはまた戻って。
繰り返す。何度も。
 言えばいいのだ。いつも。言ってしまえばいい。
「―――いやっ、……嫌、です。触れ、ないで……」
 拒まれたことで悦に浸りかけそうになった。
 弱々しくも押し返されて離れていった手。また伸びて来たかと思ったら頭を抱え込まれた。
「矛盾しているぞ?」
酷く可笑しかった。酷く可笑しくて、酷く嬉しかった。
トゥーアナが何を恐れているのかが手に取るように分かった。今日はとても分かりやすくて助かった。常にこうであってくれるといい。
しっかりと縋りついている彼女をそのまま抱きよせて膝にのせる。さらさらと指通りの良い髪が、見た目同様近くで淡く香った。
「トゥーアナ? 別に今日で終わりとは言わなかっただろう」
「一度だけ望みを叶えてくださったら、それ以降はないと仰いました」
「ああー……そう言えば、そうは言ったか」
 どうしてそんなことばかり覚えているのか。いっそ忘れてしまえば楽なのに。
 淡さが離れて気薄になる。
 面白いくらい頃合いよく、また涙が一筋下り落ちていった。
 金の束を一房引っ張って、留める。離れて行かないようにと。なぜなら、彼女は言ったのだから。そう彼女に尋ねてみては、確かめを問う。
「そうじゃなかったのか?」
 ひっくと嗚咽が返った。まるで子供が泣くみたいに大きな嗚咽だった。
「捕らえ、……」
 言葉の先は途切れて消える。後に残ったのはまた嗚咽だけだった。
 だが、それで充分だったのだ。
 尚も溢れ続ける涙が、笑いを誘う。このまま泣き続ければ、干からびるのもそれほど先の話ではないだろう。
 拭っては通り道を阻んだ。これ以上はもういらないから。
「トゥーアナ?」
 そうっとトゥーアナの頭ごと抱きよせる。つい今しがた、自分が彼女にされていたみたいに。
「明日もまた来る」
 なぜなら捕らえたいのはこちらの方なのだ。閉じ込めておきたい。
しかし、それは本意ではないから。
 閉じ込めるくらいなら、抱き上げた時に見えるものの方がいい。
「来るから、笑え」
 雫を吸い上げて根本を断つ。
 首筋に触れたら、「ふっ」と小さく笑い声が響いた。
だから、紡ぐ。
彼女に約束を。トゥーアナに安楽の場があるように願って。わずかでも見出してくれることを願う。
その場がここであるといい。
「だから、泣くなら、笑いながら泣け」
 可笑しすぎて泣くのなら、そうしてくれるといい。
 その場が、ここにあって欲しい。
 
 
出会いはすれ違った。
だからせめて、今日を、明日を。
 
 
 
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(c)aruhi 2009