裁きの君

 

「ああ、王様? それなら貴方は王女に裁かれたんだろうね」
 吟遊詩人は背を丸め、くっくと喉を震わせながら嬉しそうに嘲った。
 
 
*****
 
 
 気遣わしげに叩かれる扉の音が、億劫さを誘う。
答えずにいると、諦めたのだろう、開かれぬ扉の向こう側から昔馴染みの侍従が声を掛けてきた。
「陛下」
「…………何だ」
 隣の部屋で、そっと息をつき安堵しているヘリアデルの様子が目に浮かぶようだった。
 窓辺から降り注ぐ日差しは優しい。春の陽気はどこまでも穏やかだ。ルメンディアのネイドラフージュのように風にのって一斉に舞う花樹はないが、ケーアンリーブの春もうかれたように鮮やかな花が咲き乱れる。けぶるような綿毛に似た黄色い花を咲かせるモルザの大木には、蜜を集めにきた虫たちがせわしなくたかっていた。
 トゥーアナの葬儀は明日。相も変わらず、この薄い空は晴れ渡るのだろう。
 それまで、彼女はこの場で眠る。
 生気のない金の髪にも、白い衣装にも、陽光を宿してトゥーアナは眠り続ける。所在なく眺めているうちに、変化していった陽の加減が過ぎた時間を知らせた。寝台の横で、ずっと膝をついて眺めていたせいで、感覚が鈍ってきたことにも気付いてはいたのだ。
「バロフ殿からの伝言です。ルメンディアの方から使者がいらっしゃったそうです。捕らえた者たちの処遇についてですが、トゥーアナ様の葬儀後にこちらへ移送させてもよろしいでしょうか、ということでした。いかがいたしましょう?」
「移送する必要はない。そのまま全員釈放しろ」
 外からは、鳥が枝を飛び立って羽ばたいていく音が聞こえる。はじかれた枝が、葉を揺らしてさざめきをおこした。
「……しかし、そのようなことをすれば」
「うる、さい」
 言ってしまってから、息を深く肺まで吸い込んだ。「悪い」と、かすれてしまった呻きは扉の外に立つヘリアデルの耳まで届いただろうか。
「明日まで待ってくれ。立て直すから」
 抱え込んだ頭を握りつぶす。目をつむれば広がるのは、純白の石に広がる血の海ばかり。
 残酷すぎるだろう、と乾いた笑いばかりが起こりそうになる。
『どうか、ルメンディアの民を咎めることはないように』
文字の羅列は彼女の遺志を語った。
 どうして殺させてさえくれないのか。正当な理由も権限も持っているのはこちら側のはずだ。
 処刑をしたのならば、なるほど、新たな反感を生むのかもしれない。けれども、何もせずに許しを与えたのならば、奴らを増長させる可能性があることも彼女はまた気付いていたはずなのだ。
 どちらになった場合でも、一地域を圧することなど簡単だ。すぐに絶やすことなど考えずとも可能だろう。
 それでも、トゥーアナはどんな民でも弾圧することを望みはしないのだろう。例え怒りのごく一部だとしても、その身で受けて、怒りを和らげてくれることを願ったのだろう。ほんのわずかでも、ラルシュベルグに自分の引き起こした荷を背負わせたくはなかったのだろう。
 メレディから手紙を託される前の方が、まだ冷静でいられた。
 一枚の紙切れには、トゥーアナそのものが映る。
 だから、破り捨てたくても捨てることは叶わなかった。
 あんな手紙なければよかった。
 そうであれば、たやすく奴らを屠ることができたのに。
 結局、俺は何もできてはいなかったのだと思い知らされることもなかった。
 
 変更された儀に、城の皆は偽りのない哀しみをその顔に添える。
この城の人間を変えて、認めさせたのは、皆に触れた彼女自身だった。俺にできたことは本当にわずかなことだけだった。
限られた狭い空間のみだけだったのだ。
 
 あの日から、ずっと見ないふりをしてきたトゥーアナが犯した罪を――それができなかったからこそ、この結果があるのだと、目の前の現実が語る。
 全てを動かし、変えるためには、あまりにも時間が少なすぎた。
 
 
*****
 
 
「そうだな」
 あの日から遠く離れた今ならはっきりと分かる。どちらかだけに非があったわけではない。負うべき責はどちらにもあった。トゥーアナにも、そして俺にも。だから、言い訳するつもりもないし、できはしないだろう。彼女だけ綺麗に裁かれたことに対してだけは、今となっても言いたいことがたくさんあるのだが。
 しかし、頷いた俺に対して、吟遊詩人はひたりと嗤いを引っ込めた。唇をわざとらしく曲げてみせて、彼は言う。
「楽しくないですねぇ。もっと面白おかしく生きないと損しますよ?」
「お前の損得に興味はない、ザイルジ。喜劇にされたらたまらんからな」
「はっ! なら、とびっきりの悲劇にして差し上げましょうか、王様」
「それもどうだろうな。悲劇だとは思ったことがない。トゥーアナなんかは特にそうだろう」
 吟遊詩人は手に持っていた大きな帽子の縁を、つまらなそうにいじくりまわしながら、口元だけはにたりと笑わせる。
「まっさか、心に閉まった思い出だけで生きていけるとかいう口ですか。それだけは、勘弁していただきたい」
「そうではないが、そうとも言えるかもしれない。そうあれたらよかっただろうな。だが、見えるものはいつも現実しかない。それでも、悔恨よりもずっと大きかったんだ」
 何が、と彼は問わなかった。
ただ、ついと手元から視線を上げると、光のこもらぬ目でこちらを見据える。
「はぁー」と大袈裟に息を吐き出した吟遊詩人は、姿勢を崩して椅子の背に腕を回し、体を凭せ掛けると、どかりと机上に足を乗せてくんだ。
「全くもってつまらん答えだ、王様。せっかくこけにしてやろうと思っていたんだがな。国は嫌いだ。支配者は大嫌いだ。とうとう逸材を見つけることができたと喜んでいたんだがなぁ。こき下ろしてめちゃくちゃに笑ってやろうと、それだけを楽しみにしていたのに」
 残念だ、と彼はふっと口の端だけを持ち上げる。
「だから、真面目につくってくれればいいだろう。報酬はちゃんとそれ相応のものを払ってやるぞ。性格はともかく王宮に招かれるほどの才ではあるからな」
「言ってくれるじゃないか。大体、尋ねてもくれないのかね? 私がお前たちを嫌う理由を」
「それなら、尋ねてやってもいい。問う。お前は、何故国を嫌う。支配者を嫌う」
「だあれが、お前らなんかに答えてやるものかね」
 鼻で笑ってみせてから、ザイルジは天井を振り仰ぐ。「どれもこれも無駄な装飾だねぇー」と彼はつまらなそうに言った。
 肩をすくめる。すると、ちらと吟遊詩人がこちらを向いたのが分かった。
「ただ伝えてくれればいいんだ。国の力を使うだけじゃ無理だったからな。これだけの時間をかけてもまだ足りない」
「そんなことで上手くいってたら、私らの商売、あがったりというものさ。誰が上からの言葉に耳を傾けるものかね。同じ場に立ち、語りかけられる物語だからこそ、人は私らの物語に足をとめてくれるのさ」
机に足をのせた体勢のまま、吟遊詩人は指の先でくるくると回していた帽子をひっつかむと、頭にかぶった。
ダンッと音を鳴らして両足を机上から下し、「うーん」と欠伸のような伸びをしながら、ゆったりと立ち上がる。
「いいだろう、約束はすでに交わしてしまったんだ。その代わり、何の面白味もない歌になるが文句は言うなよ」
 どこに信をおけばよいのかと言うほど、ぶっきらぼうな口調に、苦笑すれば、片眉をはね上げて、吟遊詩人はこちらを見下ろしてきた。
 帽子に添えられた可憐な一輪の小花がどこまでも似つかわしくない吟遊詩人を見上げて、言う。
「まぁ、話が変わらないのなら、仕方がないだろうな。元々面白味などない話だ」
「ほう。よく分かっているじゃないか」
 ザイルジはにっと口角を上げる。わずかに彼の双眸で光ったものは好奇のそれに似ていた。
だが、彼はふっと首を傾げると、思い出したように続ける。
「そうだ、王様。吟遊詩人の花の話を知っているかい?」
「いや」
 かぶりを振れば、吟遊詩人は「そうか」と静かに呟く。
「あいつも、大切な娘を失ったんだよ。彼が願い歌った問いに答えてしまった娘は、閉じ込められていた高い塔から縄梯子で降りようとしたのさ。長い時間、糸をより合わせて作った縄梯子でね。だけども、お察しの通り、降りている途中で縄梯子がぷっつりと切れて、落ちてしまった哀れな娘は死んでしまったと言うわけだ。彼女が、彼にね、答えの代りに塔の上から投げたのが小さな小さな花だった。だから、私らは彼女を忘れないように花を飾り続けなければならない」
 よく似ているだろう、とザイルジは帽子にあしらえた小花を指して、苦笑する。
 それから、帽子を目深にかぶりなおして、ザイルジは長いローブを翻すと、トントンと拍子を刻むように大股で歩き、扉へと向かった。
「それじゃあ、まあ、完成したらまた伺うよ」
 そうして、吟遊詩人は振り返らぬまま、片手だけでひらひらと手を振ると、部屋を出て行った。
 
 
 
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